君が守ったもの(1)
【Side;智士】
菜緒さんと連絡が取れなくなって、どれくらい経っただろう。
メッセージのトークルームには、既読がつかない俺の言葉だけが虚しく並んでいた。
《菜緒さん、元気? 少しでも話せたら嬉しい》
《体調悪いの? 何かあった?》
《心配してる。お願い、返事して》
ちょっと前まで隣にいた、笑ってた、抱きしめ合った、その人が、まるで他人のように遠い。
「見つける」と誓ったものの、手がかりなんて何もない。焦りと苛立ちが入り混じって、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
収録は何とかこなしていた。
視聴者のコメントも戻ってきていて、アンチも嘘みたいに静かだ。
本当に、あれだけ荒れていたのが夢だったんじゃないかと思うほど。
だけど、俺の中では何も片付いていない。
菜緒さんがいない。こっちの方が夢なんじゃないかと思えるほどに。
条件反射のようにトークして、みんなのコメント拾って、コントローラーを握って。
でも終わった後は疲労困憊で、控室のソファから起き上がれなかった。
「なあ……、菜緒ちゃんさ……羊くんの束縛がきつすぎて逃げた、とかじゃない、よな?」
四宮が空気を和らげるために、冗談めかして言ったつもりなんだろう。けれど、今の俺には響きが重すぎた。
「それはないだろ」
井口さんが静かにかばってくれる。
「あんなにラブラブだったじゃん」
「……聞こえてるぞ」
口を開いた瞬間、自分の声が冷たくて驚いた。
俺がこんな調子じゃ、空気が悪くなるのも当たり前だった。
「……わりぃ」
一言謝って、目を閉じる。誰かと話していても、菜緒さんの顔が浮かんできて、上手く言葉が出ない。
そんなときだった。
控室のドアがノックされ、来訪者を告げられた。
「Asteria Visionの方が、いらしてます」
あの幹部とその娘、そして秘書——例の“個人的なお願い”をしてきたやつらだった。
「羊さん、こんにちは。今日は収録ですか? せっかくですし、この後、お食事でもどうですか?」
娘の方が声をかけてきて腕に触れようとしてきたのを身をひいて避ける。香水の匂いがキツい。
「……すみませんが、まだ収録があるので」
俺は目も合わせずに答えた。
幹部の男は一歩前に出ると、穏やかな笑みをたたえながらも、どこか上から見下ろすような口調で話し始めた。
「突然で申し訳ありませんね。先日、お会いしてからも、娘はずっと羊さんのお話をしていましてね。娘の想いは本物です。よければ、そろそろ真剣に、交際を考えていただけませんか?」
何を言っているのか、さっぱりわからない。
なんで俺がこの子と付き合わなきゃいけない? 俺には菜緒さんが……。
今はすれ違っていても、俺の隣にいるのは、菜緒さんしか考えられない。
幹部はさらに言葉を重ねた。
「今は特に、彼女はいらっしゃらない…ですよね? もちろん、プライベートに踏み込むつもりはありません。ただ……応援してくれる女性が側にいるというのも、悪くないはずですよ。その才能や立場を理解している女性ならなおさら、ね」
その言葉に、俺の胸が一瞬だけざわめいた。
俺に彼女が“いない”と決めつけるような言い方。まるで、何かを知っているかのような——。
「すみません、ようやくアンチコメントも落ち着いたところなので。彼も疲弊しています。今日のところは」
齊藤さんが間に入ってくれて、彼らはようやく引き下がってくれた。
「じゃあ、せめて、差し入れだけでも」
娘が秘書に目配せして置いて行った高級そうなクッキーの箱。
そして——その箱を見て、俺は菜緒さんのことを思い出していた。
「疲れたときは、甘いものだよー」って言いながら、コンビニスイーツを買ってきてくれた菜緒さんの笑顔。
あれは、ただの差し入れなんかじゃなかった。
俺が疲れてるのを見抜いて、何も言わずに気遣ってくれた、その温度があった。
それが、もうない。
どこまでも深く、心が沈んでいくような気がした。
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