戻った世界に、君がいない
【Side;智士】
「……コメント、落ち着いたな」
編集作業の合間、モニターに映るコメント欄を眺めながら、ぽつりと呟いた。
あれほど目立っていた誹謗中傷の類は、今や嘘みたいに消えていた。代わりに並ぶのは、いつもの笑顔を想像できるファンたちのコメントばかり。温かくて、居心地のいい空間。
悪意の渦が、まるで最初から存在しなかったかのように、影も形もなかった。
「なんか変だよな。ピタッと止まるって」
齊藤さんが言うと四宮も頷いた。
「でも、まぁ、収まったならいいじゃん。騒ぎの収拾に時間取られてたし。こっちもメンタルゴリゴリに削られたしな」
「あれ絶対運営かどっかが動いたんじゃないかな?まぁ、よかったわ」
井口さんがほっとした顔をしている。
なにがどうなったのかは分からない。
でも、何かが終わった。そう感じた。
「じゃあ、明日からまたGG4の収録いけそうだな」
齊藤さんの冷静な声も、なんとなく晴れやかなように感じる。
「……うん。ほんと、戻ってきた感じする」
そう、戻ってきた。俺たちの日常が。
GG4の活動が。俺の、居場所が。
それなのに、心のどこかがザワザワしていた。
昨日、菜緒さんと過ごしたあの夜。笑っていたはずの彼女の、笑顔の奥。何かを、堪えていたような、隠していたような——。
スマホを取り出してメッセージを送った。
《昨日は、来てくれてありがとう。コメント、収まったよ。もう大丈夫》
でも、既読がつかない。
珍しいな、とは思った。でも、仕事中だろうしな、と自分に言い聞かせる。胸の中のざわめきが、消えない。
ようやく通知が鳴ったのは、帰宅した後だった。
そこにあったのは、ただ一言
《ごめんね、もう会えない》
「……は……?」
喉が締めつけられた。目の前の文字が、何かの冗談にしか思えなかった。
でも、何度見返しても、そこには同じ文章が浮かんでいた。
「ちょ……っ、何、言ってんの……」
すぐに電話をかけた。
一度、二度、三度——でも、出ない。
連続でメッセージを打つ。
《どういう意味?》
《なんかあったの?》
《お願いだから、話して。何があったのか教えてよ》
でも、既読にならなかった。
部屋の中が、急に冷えていくようだった。
昨日、菜緒さんがうちに来たときのことを思い出す。
彼女からのキス。積極的な態度。
ベッドの中で見せてくれた、普段よりも熱のこもった視線。
……そして、最後の「じゃあね」。
全部、どこか——おかしかった。
まるで、最後のつもりで俺に触れてきたような、そんな……
「……まさか」
胸の奥がチリチリと焼けるようだった。
「ふざけんなよ……っ、なんで……なんで、何も言わねぇんだよ……」
椅子に座り込んで、スマホを握りしめる手に力が入る。
自分のことでいっぱいいっぱいで、気づいてあげられなかった自分が悔しかった。
いつもと違うことに気づいてたのに、見ないフリをした自分が、情けなかった。
その後、彼女の部屋にも行ってみた。オートロックのインターホンを鳴らしても誰も出ない。表から見ても、部屋は真っ暗のままだった。
現実味が薄すぎて、悪い夢を見てるみたいだった。
その翌日から、GG4の収録が再開された。
あれからも何度もメッセージを開いた。返信は来ない。既読も、つかない。
「……羊くん、大丈夫か? 顔、死んでんぞ」
井口さんが冗談めかして声をかけてくる。
齊藤さんも心配そうにこっちを見ていた。
「……ああ、ちょっと寝不足で」
「寝不足ってレベルじゃないだろ。お前、目の下クマできてるぞ」
「昨日、朝まで録ってたろ。収録あるのに無理すんなって」
「まぁ、わかるけどな。アンチ落ち着いて、配信したくなるよなー」
四宮の言葉も、井口さんの笑い声も、全部遠くから聞こえるみたいだった。
返事はしてる。笑ってる“つもり”だ。でも、心がここにないのは、自分が一番よくわかってた。
菜緒さんが、いない。
あの温かい笑顔も、優しい声も、俺をまっすぐ見つめてくれる瞳も——
全部、急に目の前から消えた。
そして俺は、何一つ理由を知らされていない。
たった一言で終わる関係だったのか?
想い合っていたのは、俺の錯覚だった?
彼女が、俺を抱きしめながら泣きそうだったのは、全部「さよなら」の前兆だったのか?
ただひとつ、わかってる。
あのとき俺がもっとしっかり見ていれば、気づけたはずの“何か”が、確実にあった。
菜緒さんがいなくなったのはきっと何か理由がある。
何かのために、自分を犠牲にした。自分よりも人を優先する。あの人はそういう人だ。そしてそれはきっと、アンチコメントがピタッと止まったことに関係がある。
このまま彼女の手を離してたまるか。
「……絶対、見つけるから」
小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。
でも、その言葉だけが、俺の中で唯一の灯になっていた。
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