第五章:目覚める者
目を覚ましたとき、彼はどこにいるのか分からなかった。
教室のようでいて、どこか違う。空気が重く、外の音が一切しない。
床は古びていて、木の軋む音だけが身体の下から聞こえる。だが、寒くはない。
むしろ、妙な心地よさがあった。
「――まだ、夢の中か?」
そう呟いた声も、まるで自分のものではないようだった。
体を起こそうとして、ふと気づく。自分の腕が、自分のものではない。
もふりとした、やわらかく、あたたかな……布のような毛皮のような、なにか。
「これ……着ぐるみ?」
しかし、それは「着ている」というよりも、「包まれている」、
あるいは「なってしまった」ような感覚だった。
彼はゆっくり立ち上がる。教室の壁には、ぼんやりと滲んだ影がひとつ。
それは黒板の前で止まっていて、じっとこちらを見ていた。
「……誰だ?」
返事はない。ただ、影が少しだけ動き、まるで“来なさい”と言っているようだった。
彼は躊躇いながらも歩き出す。足音はしない。教室の扉が、きいと音を立てて開いた。
廊下には、いくつもの足跡があった。
子どもだろうか、それとも着ぐるみのまま歩いた者たちか。
そのひとつひとつが、床板にうっすらと残されている。
「ここは……どうして、こんなに静かなんだ……?」
そのとき、遠くのほうでかすかに歌声が聞こえた。
まるで、風に乗ってやってきたような、懐かしく、胸の奥を締めつけるような旋律。
誰かが“ここで目覚めた”のだ。そして、彼もまた。
――「語り継がれる者になるのか、忘れられる者になるのか」――
ふと、そんな言葉が頭の中に浮かんだ。
彼はまだ、自分の名前さえ思い出せなかった。