第一章:着ぐるみの夜、廃校にて
「本当に、ここでイベントがあるのか…?」
ユウトは手にした案内メールを見直しながら、鬱蒼と茂る山道を抜けた。道なき道の先に突如として現れる、錆びた鉄門とツタに覆われた木造の校舎――そこが、噂に聞いた“きぐるみの夜”の舞台だった。
校舎の中は古びていたが、どこか暖かい空気が漂っていた。懐かしい木の匂い、きしむ床、消えかけた黒板の文字。昭和のまま時が止まったようなその空間に、既に何人かの着ぐるみ姿の参加者が集まっていた。動物やキャラクター、オリジナルのデザインまで様々だったが、皆その姿のまま自然に会話をし、笑い合っていた。
「君の着ぐるみ、いいね。なんていうキャラ?」
「特に名前はないんだ。ただ、こういう“自分”でいたくて作ったんだ。」
自分の着ぐるみ姿――白を基調とした犬のようなフォルムに、柔らかな表情のマズルと丸い耳。中に入ってしまえば、自分の表情も声も見えなくなる。でも不思議と、話している相手の“気持ち”がよく伝わってくる。
イベントのメインは、夜通しの“交流”。暗い廊下を探検したり、旧図書室でキャンドルを囲んで語り合ったり、理科室に置かれた不思議な鏡で自分の姿をじっと見つめたり。着ぐるみのまま過ごす夜は、現実から完全に切り離されたような、奇妙に心地よい時間だった。
「ここにいると、現実なんかよりも“本当の自分”でいられる気がするよね。」
誰かがそう呟いたとき、ユウトはうなずいた。着ぐるみの中の熱が、だんだんと自分の体と一体化していくような感覚。皮膚の境界が曖昧になり、まるで着ぐるみそのものが“自分”であるかのような錯覚に陥る。
深夜、眠るために旧教室に集まった参加者たちは、誰ひとり着ぐるみを脱ごうとしなかった。というより、脱げなくなっていたのだ。それは恐怖ではなく、むしろ当たり前のことのように受け入れられていた。
「もう、戻らなくていい気がする。」
ユウトはそのまま床に横たわり、やがて意識が遠のいた。
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夜が明ける。薄明かりが割れた窓から差し込み、埃の舞う空間を静かに照らす。ユウトはゆっくりと目を開けた。
そこには、着ぐるみの姿の“人々”が、静かに立っていた。だがそのどれもが、もはや“人間”ではなかった。動かず、喋らず、それでも不思議と“生きている”気配だけは感じられる――そんな存在。
「……みんな……」
声を出そうとして、自分の声も変わってしまっていることに気づく。いや、声だけじゃない。自分の身体の感覚もすっかり変わっていた。手を見れば、もうそれは布でもゴムでもない。自分自身が、着ぐるみの素材でできている。
ユウトはその場に立ち尽くし、呆然とする。でも、恐怖はなかった。ただ、胸の奥に静かに広がっていく確信。
「これが……“本当の姿”なんだな。」
仲間たちもまた、自分と同じように、着ぐるみという形を選んだ。そして、それが最後の“選択”だったのだ。
ユウトは一歩、また一歩と外へ向かって歩き出した。静かな森の朝。校舎を背に、誰にも気づかれず、誰にも知られず、新しい一日が始まろうとしていた。
けれど、それはもう人間としての人生ではない。
“着ぐるみとしての生”が、ここから始まるのだった――。