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ヴァルブルガの幼い愛情

 亭主が教えてくれた隅の席は、二人の客で埋まっていた。

 片方は大地の精を祖先に持つノーム族、片方は人間の若い女だ。

 二人の頭の上には、王立アカデミーの職員だけに支給される帽子が載っている。

 探していたのはこの連中で間違いなさそうだ。

 小柄なノームのほうは普通の椅子ではテーブルに届かないため、椅子を三つ積み上げた上に座っている。

 ノーム族らしく幼い子供のように可愛らしい顔をしているが、顎には立派な髭がはえている。

 とんがり帽子と細かい刺繍の施された繋ぎ服は、彼らノームが好んで身に纏う民族衣装だ。

 黒髪を腰まで伸ばした若い女のほうは、体型によほど自信があるのか、体のラインがわかるパンツを着用していた。

 上着は腹が出るほど短いうえに、袖はサラサラとした透ける素材でできている。

 王立アカデミーの職員というよりも、踊り子が好みそうな服装だ。

 濃い化粧を施した顔は美人の部類には入るものの、自信過剰で鼻持ちならない表情が、彼女の魅力を台無しにしていた。

 ブラッドがテーブルの脇に立つと、ノームと踊り子もどきのコンビは、怪訝そうに顔を上げた。


「王立アカデミーの職員ってのは、あなた方のことであっているな?」


 答える前に、二人は警戒した表情で顔を見合わせた。

 その態度に若干の違和感を覚える。

 見ず知らずの人間に話しかけられたのだから戸惑うのも当然だ。

 だが、この二人の反応からは、後ろめたさのようなものが僅かに感じられた。

 その不自然さを取り繕うように、ノームがぎこちない笑みを見せた。


「確かに私たちは王立アカデミーの職員だが、何か用かね?」


 ブラッドは職員たちの動向を観察しながら、用件を伝えた。


「古代魔法について尋ねたい質問がある。もし多少なりとも知識があるようなら、協力を請いたい」


 話を聞いた途端、片割れの若い女が鼻で笑った。


「あっは! あんた正気かい? せっかくいい男だってのに、オツムが残念なのかい? 古代魔法の知識を、王立アカデミーの職員ごときが持っているわけないだろう。とんでもなく貴重な知識なんだよ。だからあたしらも我慢して、このクソ田舎に滞在しているんだし――」

「アリアナ! 無駄口をペラペラと叩くな!」

「あっ……す、すみません、ネモ室長。つい……」

「まったくおまえはいつだって口が軽すぎるんだ」


 ネモという名らしき室長に怒られた若い女アリアナは、いっきにシュンとなった。


「申し訳なかったな。うちの部下が生意気な態度をとって」


 ネモ室長が、アリアナに代わって謝罪してくる。

 ノームという種族は子供のような見た目をしているため、パッと見はアリアナのほうが保護者に見えたが、実際の立場は逆らしい。


「古代魔法に関心があるのなら、あんたもニムーゲン博士を訪ねてきたのか? ニムーゲン博士の様子には、驚かされただろう。あれじゃあほとんど生きる屍だ」

「ふふっ。ネモ室長ってば、例えがうますぎますう」


 ネモ室長の不敬な言葉を聞き、アリアナがニヤニヤと笑う。

 上司といい部下といい、ロクな連中じゃなさそうだ。

 古代魔法についての知識もないようなので、さっさと立ち去るべきだろう。


「頼るべき相手を間違えたようだ。失礼する」


 ブラッドは不快さを隠さずそう告げると、彼らのテーブルから離れようとした。

 その背に向かって、ネモ室長が声を掛けてくる。


「何についての知識を得たいかは知らんが、我々があの研究所を引き継いだ際には、改めて相談に乗ってやろう。もちろん知識の対価として、それ相応の謝礼はいただくがね」


 ブラッドは肩越しにネモ室長を振り返った。


「ニムーゲン博士側は、研究所を譲る気などないみたいだったが?」

「ああ。だが状況は変わるものだ。我々の背後には、大きな勢力もついてくれているしな」


 ネモ室長が意味深な笑みを浮かべる。

 大きな勢力というのは王立アカデミーを指しているはずだが、やけにもったいぶったいい方なのが気になる。

 何を匂わせているにしろ、不快なことに変わりはない。

 結局ブラッドは食事も摂らずに、部屋へ引き返した。

 そこでブラッドを待っていたのは、さらなる苛立ちを誘発する状況だった。

 窓が大きく開いた部屋はもぬけの殻。

 ヴァルブルガが逃げ出したのだ。


◇◇◇


 まさか二階の窓から脱走するとは思ってもいなかった。

 たしかによくよく確認してみれば、窓の脇にはしっかりとした木が立っていて、そこを伝えば子供でも地上へ降り立つことが可能だった。

 これは明らかに自分の落ち度だ。

 現役を退いていた期間が長かったせいで、警戒心が鈍っていたのだろう。

 以前なら子供相手だって、こんな油断はしなかった。

 ブラッドはミスを犯した自分に腹を立てながら、ヴァルブルガが逃げ出したと思しき窓から飛び降りた。

 宿屋の前の道は、右へ行けば行き止まり、左へ曲がれば大通りへ出られる。

 ブラッドはひとまず大通りへ向かった。

 マーケットは相変わらず買い物客でごった返している。

 明るく活気に満ちた空気に胸やけを起こしながら、右と左どちらに進むべきか迷っていると、急に辺りが騒がしくなった。


「このガキ! 万引きなんぞしやがって!」


(子供が万引き?)


 直感で声がしたほうへ足を向ける。

 何軒か並んでいるマーケット、そのうちのパン屋の前に人だかりができている。


「この泥棒猫が!!」


 ブラッドが野次馬の後ろから覗き込むと、怒鳴り声を上げた商人が、子供に平手を浴びせるところだった。

 殴られた衝撃で、子供の小さな体が弾き飛ばされる。

 地面に倒れ込んだ子供は、予想通りヴァルブルガだった。


「とっととパンを返しやがれ!!」

「やあっ!!」


 地面に転がったヴァルブルガは、体を丸めるようにして握りしめた品物を守っている。

 殴られた頬は赤く腫れているし、転んだせいで全身擦り傷だらけだ。

 それでも頑なに盗品を放そうとしない。

 その態度が余計に商人を苛立たせた。


「てめえ、いい加減にしろ!!」


 激昂した商人が、ヴァルブルガの腕を掴んで引きずり起こす。

 さすがにやりすぎだと周囲の人間が止めているが、興奮した商人の耳には届いていない。

 今度は平手ではなく、拳が振り上げられた。

 商人は、日中自らパンを焼いているのか、両腕にかなり筋肉がついているうえ、体格もいい。

 そんな男が力いっぱい殴ったりすれば、最悪命に関わる。

 ヴァルブルガの命を奪う権利を、他人に譲るつもりなどない。


「【風喚(かぜよび)】」

 瞳を眇めたブラッドは、誰にも気づかれないよう風魔法を発動させた。

 人々の足の間を駆け抜けた風は、商人の元まで辿り着くと、両足を絡めとった。


「うわっ!?」


 突然見えない力に足を払われた商人が、情けない声を上げながら地面に倒れ込む。


「な、何が起きた……!?」


 上体を起こしてきょろきょろしている商人の上に、不意に影が差す。


「……? なんだ、あんた……?」


 影の主であるブラッドは、心を殺してから、保護者らしく見えるよう申し訳なさそうな表情を作った。


「申し訳ない。うちの子が迷惑をかけたようで。しっかり言い聞かせるので、商品はこのまま買い取らせてくれないだろうか?」


 そう伝えながら、パン代以上の金を商人に握らせる。

 商人はその額を確認してから、さっさとコインをポケットにしまった。


「ふん、まったくどんな教育しているんだか」


 吐き捨てた商人が屋台に戻るのと同時に、野次馬たちも散っていった。

 ヴァルブルガはまだ地面に付したままだ。


「ほら、俺たちもさっさと行くぞ」


 ヴァルブルガの腕を掴んで立ち上がらせる。

 商人に対する態度とは違い、ヴァルブルガはされるがままだ。

 盗んだパンを奪われる心配がなくなったからだろうか。


(……とんでもない食い意地をしているな)


 立ち上がらせたヴァルブルガは、両手で抱え込んでいたパンを心配そうに見下ろした。


「あっ」


 悲痛なヴァルブルガの声を聞き、ブラッドも視線を向ける。

 ヴァルブルガが抱えていたパンは、地面に投げ飛ばされた時の衝撃か、それとも強く抱え込みすぎたせいか、ぺちゃんこに潰れて原型を留めていない。


「あ、あ、あ……」


 見る見るうちに、ヴァルブルガの顔全体に哀しみが広がっていく。

 そして――。


「ううう……うあーんあーん!!」


 堪えきれなくなったというように、ヴァルブルガは大粒の涙を流しはじめた。

 その声を聞き、立ち去ろうとしていた野次馬たちが再びこちらを振り返る。


「くそっ……」


 これ以上いらぬ注目は浴びたくはない。

 舌打ちをしたブラッドは、大口を開けて泣き喚いているヴァルブルガを抱え上げると、急いでその場から立ち去った。


◇◇◇


「……おい」

「うぇえっぐ……ひぃいっく」

「……」


 ヴァルブルガはベッドの端にちんまりと座って泣き続けている。

 宿屋まで抱えて戻ってきたのだが、ずっとこの調子で泣きやまないのだ。

 潰れたパンは相変わらず小さな手の中に握り締められたまま。

 ブラッドはヴァルブルガを見下ろし、溜息を吐いた。

 ヴァルブルガなど放置しておいてもいいのだが、いかんせん心底悲しそうな泣き声が耳障りだ。

 子供の悲痛な泣き声は、心を掻き乱し、嫌でも気にせずにはいられない。

 かといって脱走の前科者を残して、部屋を出るわけにもいかなかった。


「……ったく、いい加減泣き止んだらどうだ。結果的におまえの欲しかった物は手に入っただろ。でも次からは絶対に盗んだり――」

「だめ……。こんなんじゃだめ……」


(パンが潰れたから気に入らないのか?)


 脱走して盗みを働いたうえ、わがままなヴァルブルガにうんざりとさせられる。


「というかどういうつもりだ」

「うう……?」

「おとなしくしていろと言っておいたはずだ。それを逃げ出したりするなんて」

「……逃げたんじゃ……ひっく……ないよ?」

「くだらない言いわけをするな」

「だってヴァル逃げてないもん……。おいしいもの持ってきてあげたかっただけだもん……」

「……あげたかったって誰に?」

「ん」


 ヴァルブルガが突き出した指は、ブラッドを差している。

 ブラッドは混乱しながら瞬きをした。

 ヴァルブルガが何を言いたいのか、まったく理解できない。


「……ブラッド、ごはん食べない。だから……おいしいもの持ってきたらよろこぶと思った」

「……!」


 息を呑んだブラッドは、絶句したままヴァルブルガを見下ろした。

 初めて名前を呼ばれたことにも驚いたが、それ以上にヴァルブルガの行動理由が衝撃だった。


(……俺に食べさせようとした?)


 わけがわからない。


「……なんで俺なんかに……」


 困惑しすぎたせいで、言葉がそのまま口をついて出てしまう。

 ヴァルブルガは急にもじもじしはじめると、下を向いたまま小声で呟いた。


「お洋服くれてうれしかったから……ヴァルもあげたかった……」

「……」


 ブラッドはますます戸惑った。

 確かにヴァルブルガは雑貨屋を出る時、やたらとうれしそうにしていた。

 しかし洋服を与えたのは、ヴァルブルガのためではない。

 大人物の服を身に纏った幼女を連れ歩くのが不都合だったからだ。

 自分本位の行動から、間違った善意を汲み取られ、とんでもなく居心地が悪い。

 そもそもヴァルブルガは復讐すべき相手だ。

 決して馴れ合うべきではないのに。

 懐かれかけている事実に危機感を覚えた。


(こいつには相当冷たく当たってきたつもりだってのに、なんでこんな事態に……)


 必要以上に会話もしていないし、一度だって甘やかした記憶はない。

 これ以上どうしろというのだ。

 ブラッドはどっと疲れを感じながら、ヴァルブルガから距離を取った。


「金輪際、俺に対して何かしようなんて気を起こすな。そもそも盗んだ品物をもらって喜ぶ人間なんているか」

「ぬすむ? ぬすむってなあに?」

「金を払わずに、商品を持ち出したら盗みを働いたことになるだろ」

「……? 金……払う……?」


 きょとんした顔でヴァルブルガが尋ねてくる。

 真っ直ぐな瞳からは、誤魔化したい気持ちなど一切感じられない。


(嘘をついているのではないということは……。……買い物というシステムを知らないのか?)


 記憶と違って、生活習慣となっている単純な知識は、ヴァルブルガの中から失われていないはずだと魔法鑑定士のカブは言っていた。

 もしかしたらヴァルブルガは、金銭に関する知識を一切与えられていないのかもしれない。

 ヴァルブルガは、幼い頃より世界平和推進結社によって英才教育を受けてきたと聞いた覚えがあるので、意外な事実だ。


(となると、今回の行動、本当に一切の悪気がなかったわけか)


 ブラッドが複雑な気持ちに襲われた時、急に階下が急に騒がしくなった。


「……ごちゃごちゃとうっせぇなッ!! 理由はあんたじゃなくて本人に話すから! さっさと部屋番号を教えろってんだよ!!」


(なんだ? 誰かが階下で怒鳴っている?)


 ブラッドは警戒心を抱きながら、すぐに扉を開けて様子を窺った。

 宿の入口で若い男がやたらと喚いている。

 声の特徴からすぐに誰なのか気づいた。

 古代魔法研究所にいた助手のレイブンだ。

 レイブンは階段の上から顔を出したブラッドに気づくと、即座に助けを求めてきた。


「子連れ冒険者ッッ!! あんたを探してたんだ! 頼む、助けてくれ!! ニムーゲン博士が……!!」

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