初めての贈り物
ブラッドとヴァルブルガが、乗合馬車の旅をはじめて一日目の午後。
春の柔らかな風が車窓から吹き込む中、外の景色は田舎特有の田園風景へと変わりつつあった。
乗り合わせた人々は心地よさそうに世間話に花を咲かせており、空気は始終和やかだった。
旅の記憶がないからか、ヴァルブルガは新しい体験に興奮が止まらないという様子でそわそわしている。
窓の外を見てはきゃっきゃと喜び、時には席を立ちそうになるほどだった。
だがブラッドが冷たい一瞥を向けると、ヴァルブルガはすぐに反省して静かになる。
そんな様子を見て、同乗者である初老の商人が声をかけてきた。
「随分お利口なお嬢さんですな。お父さんも助かるでしょう?」
ブラッドは言葉を発するより先に、敵に向けるような冷徹な眼差しで、男を睨みつけてしまった。
ヴァルブルガと親子に間違われるなんてありえない。
虫唾の走る思いが、そのまま態度に出てしまったのだ。
途端に男は怯えた顔になって、ぐっと体を引いた。
「あ、いや、急に話しかけてすみませんでした」
ブラッドはすぐに弁解しようとしたが、男だけでなく他の乗客たちも怯えたように視線を逸らしている。
(手遅れだな)
気まずい空気が馬車内を支配するのを感じながら、ブラッドは諦めて座り直した。
三十近いブラッドと、その隣に座る小さな少女。
家族でなければどんな関係なのかと、変な詮索をする者もいるだろう。
人攫いだと勘違いされれば、厄介な事態になりかねない。
幸い旅が進むにつれて、得体の知れない二人連れに乗客たちは構わなくなった。
旅に慣れた者ほど事なかれ主義が強いものだし、誰もが厄介事には関わりたくないのだろう。
とはいえ今後は割り切って嘘をつけるよう、心の準備をしておいたほうがよさそうだ。
そんなこんなで、ニーダベルクの街を出発して十日目の午後、ブラッドとヴァルブルガは目的の村に到着した。
村の名前はオルフォード。
オルフォードは、緑の海の中に家々が点在する小さな集落だった。
どの家も屋根が苔むしているため、自然の一部のように見えるのだ。
オルフォードの周囲には、穏やかな風に揺れる大草原が広がり、羊や牛がのんびりと草を食んでいた。
自然と調和しながら、静かで落ち着いた生活を営む村人たちを横目に、なだらかな坂を上っていく。
(すぐにでも古代魔法研究所を目指したいところだが、その前に……)
ぶかぶかのシャツを着たヴァルブルガを見る。
ニーダベルクの街では子供服を調達している暇などなかったが、成人男性用のシャツを身に纏い、靴も履いていない子供は、明らかに人目を引く。
(まずはヴァルブルガをなんとかするか)
古着を求めて向かった雑貨屋は、村の中心部、数軒の商店が円形に並ぶ一角にあった。
日焼けした看板には、【四辻雑貨店】と書かれている。
雑貨屋の窓には、小さなカーテンが掛かっており、その隙間から店内の様子が伺えた。
窓辺には、可愛らしい鉢植えの花や、手作りの小物、小さな陶器の置物などが飾られている。
店を切り盛りしているのは、恐らく女性だろう。
幼児の服を選んでもらうのなら、打ってつけの相手だ。
ベルを鳴らしながら扉を開くと、少し遅れて「いらっしゃいませ」という声が返ってきた。
奥にいるらしい店主を待つ間に、ブラッドはサッと店内を確認した。
右手の棚には、保存食の瓶や乾燥ハーブなど、村人たちが日常的に使う食材が所狭しと置かれている。
中央に置かれた大きなテーブルの上には、焼き立てのパンや新鮮な野菜などが陳列されていた。
ブラッドが求めている古着は、左手の細い通路を進んだ先にあるようだ。
「はいはい、お待たせしちゃってごめんなさいね」
そう言いながら現れたのは、ブラッドの予想通り五十代半ばぐらいの感じのいい婦人だった。
店主は、レースのエプロンがついたふくよかな体を揺らしながら、ブラッドたちの前までやってきた。
真ん丸とした顔や、微笑む目じりに寄る皺から、明るい人柄が伝わってくる。
「あら、まあ! お父さん、随分といい男ねえ! 私があと二十年若ければ、なーんて。さあ、さあ、何をお求めかしら?」
「二人分の旅の道具一式を揃えたい。それから子供服を見繕ってくれ」
ブラッドは店主の冗談を聞き流して、素っ気なく用件を伝えた。
店主が気にする素振りはとくにみられない。
「そちらのお嬢ちゃん用ですね。ふふ。自分のお洋服は汚してしまったのかしら。パパのシャツじゃあ動きづらいものね」
「パ、パ……?」
ヴァルブルガがきょとんとした顔で、瞬きを繰り返しながら呟く。
ヴァルブルガの言葉が引き金となったのだろう。
ブラッドの脳内に突然、過去の記憶が蘇った――。
◇◇◇
『パパー!』
満面の笑みを浮かべ、両手を広げて飛び込んでくる我が子。
舌足らずな娘の声で『パパ』と呼びかけられ、溢れんばかりの幸福が心を満たしてくれた。
『パパだーいすき』
しがみついて甘える娘の仕草ひとつひとつが愛しくて仕方ない。
自分より少し高い体温をした柔らかいかたまりは、向日葵のような匂いがした。
◇◇◇
「……――様? お客様?」
店主に声を掛けられ、ハッと我に返る。
ブラッドは、ヴァルブルガの言葉に触発され、娘の記憶を呼び覚まされた自分を忌々しく思った。
ヴァルブルガと娘の間に、関連性や繋がりなど一切許したくはないのだ。
「大丈夫ですか?」
不思議そうに店主が尋ねてくる。
ブラッドは社交の際にだけ使う表面的な微笑みを無理やり浮かべて、平静を装った。
「申し訳ない。ぼんやりしてしまって。子供の服なんだが、できるだけ丈夫なものを用意してほしい」
ニムーゲン博士が記憶の戻し方を知らなかった場合、古代魔法に詳しい別の人物を訪ねなければならない。
ブラッドは、ヴァルブルガの記憶を戻るまで、決して諦めるつもりはなかった。
「常に乗合馬車を捕まえられるとは限らないから、野宿しても問題のない素材がいいだろう。新米冒険者用の革鎧のようなものが好ましいな」
「革鎧!? やですねえ、子供向けにそんなものはありませんよ」
「だったら在庫の中で一番小さいサイズものを着せてみてくれ。小柄な女性用だったらなんとかなるんじゃないか?」
「本気で言ってます……?」
「何か問題でも?」
「……」
店主は信じられないものを見るような目でブラッドを眺めてきたが、店が暇だったため、ブラッドの希望どおり、一番小さい革鎧をヴァルブルガに試着させてくれた。
その姿を見た途端、問題大ありだとさすがのブラッドも気づいた。
「お、重い……これじゃあヴァル、まっすぐ歩けないよぉ……」
ぶかぶかの革鎧を着せられたヴァルブルガは、その重みに耐えるだけで精一杯らしい。
一歩も踏み出せないようだし、真っ赤な顔でふうふうと息切れを起こしている。
「……確かにこれはないな」
ブラッドが思わずそう呟くと、店主は堪えきれないというように明るい笑い声を立てた。
「まったく、お客さんってば! さては普段、育児は奥さんに任せっぱなしなくちですね? まあ、世の中大半の男性がそうですけど。お客さんほど素っ頓狂なパパさんも珍しいですよ」
店主の指摘は正しい。
ブラッドは小さな我が子との関わり方がわからず、妻を頼ってばかりいた。
いつだって自分がフィアットを傷つけないか恐ろしくて仕方なく、その恐怖ゆえ育児から背を向け続けたのだ。
フィアットを心から愛していたが、しっかり愛せていたかは別問題だ。
ブラッドの場合は、その二つの間に大きな隔たりがあった。
(だから妻と娘を不幸にした……)
また過去に飲み込まれかけたブラッドは、慌ててかぶりを振って、現実を取り戻そうとした。
これ以上挙動不審な態度を取れば、おおらかな店主だってさすがに訝しがるだろう。
疑問を抱かせする隙を奪うため、ブラッドは捲し立てるように喋りはじめた。
「細かい諸々は任せる。とにかく旅で不自由しない格好にしてやってほしい。着替えが終わったら知らせてくれ。俺は旅の道具を選ばせてもらう」
そう伝えると、ブラッドはほとんど逃げるように二人のもとを離れた。
◇◇◇
―—十分後。
店主に呼ばれて振り返ると、着替えの終わったヴァルブルガが待っていた。
雨風をしのげる素材のコートは、裾が二股に分かれていて、ヴァルが少し動くたびに羽根のようにひらひらと揺れる。
コートの下からは、バルーンパンツの裾がちらりと見えていた。
どの服もブラッドの注文通り、動きやすそうなデザインをしていたが、細部には、小さな少女が喜びそうなリボンやレースの装飾が施されていた。
だからだろうか。
ヴァルブルガは新しい服をとても気に入ったようで、うれしそうに小さな手で撫でたりさすったりしている。
支払いを済ませたブラッドは、買ったばかりのヴァルブルガ用の鞄の中に、着替えの下着などを詰めた。
それをヴァルブルガに差し出す。
「これはおまえの物だ。自分で管理しろ」
「えっ!? わっ! わああっ!!」
息を呑んだヴァルブルガの瞳が、キラキラと輝く。
宝物でも見つけたかのようなヴァルブルガの表情を見て、ブラッドは戸惑った。
「おくりものうれしい……。ありがとう……!」
ぎゅっと抱きしめた鞄に、ヴァルブルガが頬ずりをする。
その反応が気まずくて、慌てて釘を刺す。
「贈り物ではない。勘違いするな」
「でもヴァルすごくうれしい!」
「……」
喜ばせるつもりなどなかったし、こんな反応をされても迷惑なだけだ。
ブラッドは自分にそう言い聞かせながら、できるだけ冷たく声をかけた。
「呆けているな。さっさといくぞ」
「あい!」
素っ気ない態度を取っているというのに、ヴァルブルガはにこにこと笑顔を浮かべたまま……。
ブラッドの後ろを追いかけるのが、うれしくて仕方ないというようにも見える。
「おい、喜ぶな。今買ったのは単なる日用品だ。特別なものではないし、特別な意味もない」
「うん! だいじにして特別あつかいする!」
「いや、そうじゃない……!」
厳しく突き放しても、ヴァルブルガの笑顔は消えない。
その瞳の中には、微かだがブラッドに対する信頼の感情まで浮かんでいた。
(……意味がわからない)
嫌われているほうがブラッドとしては助かるし、そうなるよう接しているつもりなのに、なぜこんなことになったのか。
ブラッドは居心地の悪さを感じながら、ヴァルブルガに向けた視線を不自然に逸らした。
本日、まだまだ更新します。
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