復讐開始
死者三名、重軽傷五名を出した居住区の火災から数日。
憲兵隊が一応調査を行ったものの、火元ははっきりとせず……。
火災は原因不明の事故ということで、あっさり結論づけられてしまったのだった。
犠牲になったのは、元々寝たきりだった二十代の女性と、その隣室に住んでいた双子の姉妹だ。
全焼した建物の前には、三人の犠牲者に向けて山のような花が供えられている。
献花に訪れた人々は、火事の原因がわからなかった件について、不満を口にしあった。
住民からすれば、憲兵隊の調査は、なんだか杜撰に感じられた。
貧しい者たちが暮らす区画で起きた火災だから、大して調べもしなかったのではないか。
そう推測する人も少なくはなかった。
真実はわからない。
そんな中、日雇い労働者のための職業案内所では、ジャムベリーが突然現れなくなった仕事仲間ブラッドの身を案じていた。
ジャムベリーは、ブラッドがどこに住んでいるかを知らない。
親しくさせてもらっているつもりだったが、それはあくまで仕事場での話だ。
ブラッドは私生活を一切明かさない人だったのだ。
そのためジャムベリーは、丘の下居住区で起きた火事と、ブラッドの欠勤を結びつけられなかった。
「変だなあ。ブラッドさん、どうしたんだろう……」
知り合ってから一年以上経つが、ブラッドは一日たりとも休んだことがない。
体調を崩しているのだろうか。
冒険者たちとの揉め事があった後だから、なんだか心配だ。
ジャムベリーには想像もしようがなかったが、ブラッドが姿を現さなくなったのは、憲兵隊が見つけ出せなかった火事の真実に気づいたからだった。
様々な憶測や噂話が飛び交う裏で、実際には何が起きていたのかというと――。
◇◇◇
「ギャァァアッッッ!!」
火魔法で焼き尽くされた者がまた一人、断末魔の悲鳴を上げる。
ここはニーダベルクの街にある世界平和推進結社の本部だ。
本部の建物は天まで届きそうなほどの高い塔で、街のシンボルにもなっている。
金色の装飾が施された尖塔の頂上には、天使の像が優雅に翼を広げていた。
各階ごとに美しく彫刻された窓やヴァルコニーが並び、壮麗なデザインが目を引く。
世界平和推進結社の本部塔は、善と希望の象徴として、住民たちからも愛されていた。
そんな塔の中では今、憎悪に彩られた残虐な復讐が果たされている。
街の人々はまだ誰も、その事実に気づいていない。
復讐者であるブラッドは、六階建ての塔を五階まで上がってきたところだ。
ブラッドの通った道には、行く手を阻もうとして返り討ちにあった組織関係者の死体が、山積みになっている。
皆、同じ方法で殺された。
ブラッドの放った火に炙られ、絶叫しながら、焼き殺されたのだ。
「やれやれ。一年ぶりに戻ってきたと思ったら……」
廊下の先から、不意に迷惑そうな男の声がした。
たった今、灰に帰した亡骸から視線を逸らし、ブラッドがゆらりと顔を上げる。
無精髭は剃り、漆黒の髪は清潔に整えられている。
そうすることで露わになった顔は、ゾッとするほど美しく整っていた。
わざわざ身だしなみを整えて復讐に赴いたのは、死んだ妻がこの姿を愛してくれていたからだ。
服も日雇い労働者として働くためのものではなく、現役時代のロングコートを着用していた。
この黒いロングコートは、特殊加工がなされていて、どれだけ返り血を浴びても弾いてくれるのだ。
今のブラッドであれば、誰一人「無能のおっさん」などとふざけた言葉をぶつけられないはずだ。
ブラッドの全身からは、冷徹で有能な冒険者としての殺気が、これでもかというぐらい溢れているからだ。
暗い瞳をしたブラッドは、廊下に立った男をまっすぐ見据えた。
闇の中から現れたのは、ターセム・フェイン。
魔法スクリーンにも映っていたヴァルブルガの側近だ。
ブラッドは改めてターセム・フェインを観察した。
癖の強いアッシュグレーの髪は、右目を完全に覆い隠すほど長い。
唯一見える左目は、穏やかな印象を与えるためか、いつでも薄く細められている。
しかし、一見柔らかな物腰とは裏腹に、男が放つ空気にはどこか冷ややかなものがあった。
その冷徹な印象は、姿勢よく丁寧な所作で歩く姿にも滲んでいた。
ブラッドは、たびたびヴァルブルガから呼び出され、直に任務を申し付けられていたため、ターセム・フェインとも当然顔見知りだった。
「とんでもない事件を起こしてくれましたね、ブラッディ・ハウンド」
かつての通り名でブラッドを呼びながら、ターセムは微笑を浮かべた。
一件余裕を感じさせる態度だが、ターセムの震える指先を見れば、虚勢を張っていることなど一目瞭然だった。
ターセムは明らかに緊張している。
ブラッドから命を狙われる理由があるという事実を、嫌というほど理解しているのだろう。
そのくせターセムは、しらを切ろうとしてきた。
「教えてください、ブラッディ・ハウンド。なぜ世界平和推進結社を襲ったりしたのですか?」
ターセムの往生際の悪さを軽蔑しながら、ブラッドは鋭い視線を向けた。
「仕掛けてきたのは、おまえたちのほうだろう」
「仕掛けてきた? 何の話をしているのです?」
「白々しい嘘はやめろ。おまえたち世界平和推進結社が火魔法を用いて、俺の妻ごと部屋を燃やしたのはわかっている」
世界平和推進結社は、組織の能力を底上げするため、社員全員に特別に開発された『魔法強化石』を所持させている。
火災現場に残っていた魔力には、その魔法強化石の影響がしっかりと残っていたのだ。
ブラッドがそう指摘すると、ターセムは目に見えて動揺しはじめた。
世界平和推進結社の人間は、魔道具の力を借りて自分の能力を強化することを、当前に思い過ぎている。
そのせいで、魔法強化石から足がつくなどという初歩的な失態を犯したのだ。
ブラッドは、世界平和推進結社に在籍当時、結社内で唯一、魔法強化石を所持していなかった。
魔道具による日常的な強化は、分不相応な能力への依存を高め、ろくなことにならないというのがブラッドの考え方だった。
案の定、世界平和推進結社は今回、偽りの力への慢心によって、足元を掬われたのだった。
「証拠を残さないためには、魔法強化石の解除を指示しておくべきだったな」
「ぬ、濡れ衣です。私たちはあなたの居所を知らなかったのですよ。あなたは何も告げず、私たちの元を立ち去ったのではないですか」
「もっとまともな反論をしてきたらどうだ? 俺は魔物解体所で力を使った。あの時の魔力を探知して、俺の居場所を割り出したんだろ」
往生際の悪いターセム・フェインは、何を言われているのかまったくわからないという素振りを続けている。
「たしかに私たちは、あなたの行方を捜していました。ですが――」
偽りばかりを並べるその唇に、これ以上無駄口を叩かせるつもりはない。
たんっと地面を蹴ったブラッドは一息に問合いを詰めると、ターセム・フェインの背後に回り込んで、その腕を締め上げた。
「うぐあッ!!」
無理な方向に関節を曲げられ、ターセム・フェインが呻き声を上げる。
ブラッドはしめつけを強くしながら囁きかけた。
「俺を憎んでいるから、俺の妻を殺すよう命じたのか?」
「まさか……!」
ターセム・フェインは、本気で驚いた顔をした。
「私やヴァルブルガ代表は、あなたの特別さをしっかりと理解しています! あなたは世界平和の守護者です。この国の人々にとって、あなたの存在は不可欠なのですよ……!」
ブラッドは鼻で笑ってしまった。
「何が平和の守護者だ。俺が実際にしていたのは単なる殺人だ」
世界平和推進結社は、その名の通り世界平和を指針に掲げてはいるが、国民たちが思っているほどクリーンな組織ではない。
世界平和推進結社には陰と陽、両方の側面があり、陰の部分を担ってきたのがブラッディ・ハウンドだ。
ブラッディ・ハウンドの主な仕事は、世界平和推進結社の邪魔者を秘密裏に排除する暗殺活動で、場合によっては大量虐殺を行うこともあった。
しかもブラッディ・ハウンドに与えられた責務は、それだけでは済まなかった。
ブラッディ・ハウンドはその類まれな強さと整った容姿から、意図せず他者を魅了する男だった。
それゆえ世界平和推進結社は、組織の人気を支える顔役として、ブラッディ・ハウンドほど的確な人間はいないと判断し、彼を『平和を守るために戦う最強の英雄』に仕立て上げたのだ。
要するにブラッドは、世界平和推進結社が人心を掌握するために利用されたようなものだった。
「ブラッディ・ハウンド、あなたが貢献してくれた活動や、私たちの存在を悪だと思い込むのはやめてください。私たちのように平和を守る側のすることは常に善です。そして排除された側こそ悪だ。となれば悪を摘み取る行為は善行でしょう? どうしてそんな単純な論理をわかろうとしないのです。組織の理念を誤解し、立ち去るなどあなたは本当に馬鹿です」
「今回の件は、そんな裏切り者へ報復を果たしたとでも言いたいのか?」
「いいえ! 私たちはあなたの敵ではありません。ヴァルブルガ代表はあなたの力に、心底惚れ込んでいらっしゃるのですから!」
ターセム・フェインの言葉が真実ならば、ますます理解できない。
「だったらなぜ妻を殺させた?」
絞り出すような声で問いかける。
ターセム・フェインは、物を知らぬ者を憐れむように眉を下げた。
「彼女は間違いなく、あなたの足枷になっていたでしょう? あなたは彼女のために前線から退いてしまった」
「妻が足枷なわけがない。第一、その話は俺が引退する際に済ませている」
「私たちはあの時だってあなたを止めました」
ターセムの言う通り、世界平和推進結社側はブラッドの引退を拒んだ。
それだけでなく『ルクスに洗脳されたのか』などと、馬鹿げたことをのたまいもした。
怒りにかられたブラッドは、そのまま世界平和推進結社と決別し、行方をくらませたのだった。
「あなたは間違いなくこのウィンドリア王国一番の能力を持つ最強の魔導士です。あなたは選ばれし人間なのですよ。特別なあなたの力を、取るに足らない女のためだけに使うなんて許されません!」
追い詰められたターセム・フェインは、開き直った態度でありえない言葉を並べ立てた。
「ブラッディ・ハウンド。あなたの持つ最強の力は、世界平和のために捧げるべきです! あなたはあの女に利用されていた。世界平和推進結社は、あなたを足枷から解放して差し上げたのですよ!!」
「そんな……そんなくだらない理由で、ルクスは死んだのか……?」
強烈な怒りのせいで、笑いが込み上げてくる。
ブラッドの不気味な笑みに気づいたターセム・フェインは、ごくりと喉を鳴らした。
「……今のあなたは冷静さを失っている。これ以上の話し合いは無駄なようです。であれば……【夢幻牢】」
ターセム・フェインは術名を詠唱しながら、円を描くように掌を動かした。
その指先がきらめき、それとともに空間が歪みはじめる。
いつの間にか周囲に充満した霧が、ブラッドの体を絡めとろうとしてきた。
ターセム・フェインは自分が得意とする幻惑魔法によって、ブラッドを幻の中に閉じ込めようと考えたのだ。
ところが予期せぬことが起こった。
霧はブラッドの体から弾かれ、霧散して消滅してしまった。
それとともに、空間の歪みも収まる。
「……ッ!? なぜ幻惑魔法が効かないッ……!?」
「無駄に決まっているだろ」
幻惑魔法は、相手の心に揺さぶりをかけ、幻を見せる能力だ。
幻惑に引きずり込みたい相手の心が動かなければ、魔法は不発に終わる。
今のブラッドは、幻惑魔法にもっとも掛かりにくい状況にあるといえた。
「俺の心は死んだ。もう何も響かない。おまえたちが殺したからな」
光を失ったブラッドの瞳が、ターセムに向けられる。
その眼差しからは、たしかに心の動きがまったく感じられなかった。
ターセムはその時ようやく悟った。
唯一の宝である家族を奪われたブラッド。
失うものがなくなった彼は、恐怖という概念から完全に開放されたのだ。
つまり今のブラッドは無敵状態にある。
「くそッ……」
ターセムの口から罵りの言葉が零れ落ちる。
とんでもなく厄介なことになったと思い知らされたのだ。
無敵となったブラッドをやりこめるなんて、ターセムには不可能だった。
代表からは、ブラッドの命を奪わぬよう言い渡されていたが、背に腹は代えられない。
そう悟ったターセムは、攻撃魔法を発動しようとした。
「くそっ、こうなったら戦うしかない……【撃鉄波】」
「【魔蝕刃】」
ターセムが攻撃を放つより先に、ブラッドの手から禍々しい魔法の刃が放たれる。
「ぐぁああッッ……!?」
腕の先に燃えるような熱を感じながら絶叫する。
視界の端を、鋭い刃で斬られた自分の両手が飛んでいく。
「ああああッツッああああッッッ!?」
血の吹き出した両手首を見下ろしながら、ターセムはその場に膝をついた。
「手があああッッ! 私の手があああああッッッ!!」
涙を流しながら叫ぶターセムの上に、ブラッドの影が覆い被さる。
ターセムは震えながら視線を上げた。
もうなりふり構ってなどいられない。
ターセムはブラッドの足に縋りつく勢いで命乞いをはじめた。
「わ、わかりました……っ。謝罪ならいくらでもいたします……! で、ですがっ……先ほど私が伝えた言葉をもう一度思い返してみてくださいッ……。あなたの最強の力は、世界平和のために使うべきなのです……! 私たちはそれを、あなたに教えて差し上げただけでッ……!!」
「それ以上喋るな。殺すぐらいでは気が済まなくなりそうだ。――【黒焔】」
冷たい怒りが燃え上がるように、ブラッドの手から最強火魔法が放出される。
ブラッドは漆黒の炎に覆われた拳を、そのまま地面に叩きつけた。
熱風とともに炎の衝撃波が発生する。
衝撃波は、地面を這う大蛇のような動きで、ターセムのもとまで駆け抜けた。
「ひぎゃあッッッ!!」
炎に包まれたターセムが絶叫する。
「あぁ熱いいっっ助けぇッ……あぐっアガアアッ……!!」
ターセムが言葉を紡げていたのは、数秒の間だけ。
その後は呼吸困難を起こした喉から、ヒィヒィと掠れた呻き声が漏れるばかりとなった。
それに合わせて、暴れていたターセムの動きも鈍くなっていく。
そして……。
ターセムは、救いを求めるように両手を前に差し出したまま、ピクリとも動かなくなった――。
「これで残りは一人」
呟いたブラッドは、六階に続く階段を仰ぎ見た。
ルクスを奪うよう命じた人間がこの先にいる。
世界平和推進結社の代表ヴァルブルガ。
復讐すべき最後の相手だ。
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