最強の復讐者、誕生。
ニーダベルクの中心部には、世界平和推進結社の本部塔が、街全体を見下ろす守護神のような姿で屹立している。
ブラッドが五十万ゴールドを求めて、薄汚れた界隈へ向かう途中、突如その本部塔に、巨大な魔法スクリーンが映し出された。
ブラッドの脳裏に、ジャムベリーが言っていた言葉が蘇る。
『今日の夜には結社本部塔の魔法スクリーンから、結社代表自身がブラッディ・ハウンドの情報を募る声明を放映するらしいですよ』
ジャムベリーの発言通り、ほどなくして魔法スクリーンの前に、世界平和推進結社代表とその補佐役の姿が現れた。
スクリーンの中央に置かれた玉座のような椅子に座っているのは若い女だ。
足を組み、椅子にもたれ掛かるような体勢のせいか、ひどく退屈そうに見える。
ふわふわとした腰までの長い髪と、頭の上の二つのお団子。
小さくて愛らしい唇と、形のよい鼻、バラ色の頬。
しかし少女らしい容姿に反して、彼女の目つきはどこまでも冷ややかだ。
身に纏っているのは、世界平和推進結社の中でも、彼女だけが着用を許された特別仕立ての制服だ。
膝下までの長靴、ピタリとした黒のパンツ、白色の軍服、血のように赤い裏地を施したロングコート。
女の名は、ヴァルブルガ・リリィ。
二十歳にして、世界平和推進結社の代表を勤める人物である。
ヴァルブルガ代表の背後に立っているのは、補佐役のターセム・フェインだ。
ターセム・フェインもまた、世界平和推進結社の制服を身に纏っている。
年は三十代前半だが、彼のコートには結社の中で幹部にしか与えられない勲章がついていた。
ひょろりとした体型から、武勲ではなく知能のほうで、幹部に上り詰めた事実が伺える。
「見て! ヴァルブルガ代表よ! ターセム補佐官もご一緒だわ!」
「おっ! この魔法放送を楽しみにしてたんだよ! ヴァルブルガ代表、相変わらずお美しいなあ!」
街行く人々は皆足を止め、魔法スクリーンに見入っている。
塔を仰ぐ人々の横顔には、崇拝相手に向けるような熱狂の色が滲んでいた。
このウィンドリア王国の人々が、どれほど世界平和推進結社を慕っているのかが嫌というほど伝わってくる。
「皆様、ご承知の通り、我々は過去一年半にわたり、伝説の英雄ブラッディ・ハウンドの行方を探し続けて参りました」
そう言って人々に語りかけたのは、補佐役ターセム・フェインのほうだ。
ヴァルブルガ代表は、足を組んで椅子に座ったまま微動だにしない。
ヴァルブルガ代表が何を考えているのか、表情からは一切読み取れない。
その謎めいた様が余計に人心を魅了するらしく、人々の間からは「ミステリアスで素敵……」などという呟きが聞こえてきた。
映像の中のターセム・フェインが続ける。
「ブラッディ・ハウンドはただの英雄ではなく、私たちの国と世界平和にとって不可欠な人物です。この長い間、多くの放送を通じて彼の行方についてお伝えしてきましたが、今なお所在は不明のままです。国民の皆様におかれましては、彼に関するどんな些細な情報でも構いませんので、速やかにご一報ください。皆様のご協力が、ブラッディ・ハウンドの安全な帰還につながることを強く願っております。王国と国民のためにも、どうか力を貸してください」
ターセム・フェインがそこまで話したところで、ブラッドはその場を静かに離れた。
念のためコートの襟に顔を埋め、いつも以上に俯いて歩いたが、人々は魔法スクリーンに夢中だ。
おかげで疑惑の目を向けられたりもせず、目抜き通りを抜けられた。
そこからはひたすら人目を避け、黙々と路地を進んだ。
ブラッドの目的地は、街でももっとも治安の悪い区画にある『不認可依頼斡旋所』だ。
冒険者でごった返すニーダベルクの街には、依頼斡旋所が数え切れないほどある。
そのうちいくつかは、冒険者ギルドの息がかかっていない、いわゆる潜りの経営を行っている。
そんな不認可依頼斡旋所で紹介されるのは、保険適応外の討伐、暗殺、密漁など、法やモラルを無視した危険な仕事がほとんどだが、その分報酬は桁違いにいい。
(今更こんな場所に足を踏み入れるとは考えていなかったが……)
他に方法はない。
腹を括ったブラッドは、不認可依頼斡旋所の門を潜った。
半地下の店内に足を踏み入れると、古臭い湿気の匂いがした。
照明は最小限で、部屋の四隅には闇が巣くっている。
カウンター内にいる所員たちは、油灯の弱々しい光りを頼りに、書類整理を行っているところだった。
ブラッドの存在に気づき、所員の中でも壮年の男がゆっくりと顔を上げた。
白髪まじりの栗毛を油でしっかり固めたこの男が、不認可依頼斡旋所の責任者らしい。
「いらっしゃいませ。まずは冒険者ライセンスのご提示をお願いいたします」
所員は値踏みするような視線を、遠慮なく向けてきた。
不認可依頼斡旋所では、ライセンスの階級が低ければ、あっさり門前払いに遭う。
もちろんそんなことは百も承知でこの場所を訪れたのだ。
ブラッドはライセンスをカウンターの上に投げると、所員が確認する前に希望の報酬額を告げた。
ブラッドのライセンスを目にした途端、所員の顔色が豹変する。
「そんな……!! このライセンスは……!!」
ブラッドが提示したのは、SSクラスの魔導士ライセンスだ。
SSクラスのライセンスは、全冒険者の上位一パーセントしか所持できないため、幻のライセンスとされている。
「まさかSSクラスのライセンスを持った方と、こんな場所でお目にかかれる日がくるとは……。あなたはいったい……?」
ごくりと息を呑み、所員が問いかけてくる。
ブラッドは所員の目を見たまま、圧のある微笑を浮かべた。
「『依頼達成能力さえ保障すれば、それ以上の事情は一切明かさなくていい』それが不認可依頼斡旋所のルールでは?」
「あっ。し、失礼しました……! たしかに依頼達成能力に関しては、一切問題ございません……!」
そう言うと、所員はすぐに依頼書の束をカウンターに載せた。
「えーっと、ご希望の報酬金額に見合う依頼というと……ああ、こちらなどいかがでしょう?」
数枚の依頼書がブラッドの前に差し出される。
所員がまず進めてきたのは魔獣討伐依頼だ。
それが最も一般的で、高額を稼げる依頼だからだ。
けれども魔獣討伐をするには、街を何日も離れなければならない。
ブラッドは、もう二度と妻を残して街を離れたりしないと決めている。
そもそも今晩のうちに金を手に入れたいのだ。
街の中で受けられる仕事、今日中に達成したい、という条件を改めて伝えると、今度は暗殺依頼を提案された。
所員は申し訳なさそうに、他に紹介できる依頼はないとも付け加えた。
(まあ、そうだろうな)
不認可依頼斡旋所に向かうと決めた時点で、こうなる展開は予想がついていた。
潜りで高収入を稼ぐには、汚れ仕事を引き受けるしかない。
ブラッドは躊躇せず、暗殺依頼で問題ないと返した。
この手の仕事は、うんざりするほど請負い慣れている。
ブラッドは何枚か見せられた依頼書を吟味し、最終的には賭博の元締めに対する暗殺依頼を引き受けた。
男はずいぶん汚いことをし続けてきたようで、かなりの恨みを買っているらしい。
無理な取り立てを行い、貧乏な人々を何人も自殺に追い込んだとも書かれている。
◇◇◇
暗殺依頼書を受け取ったブラッドは、その足でターゲットである元締めの元へ向かった。
元締めを見つけて、目的を達成する頃には、空が明るくなりはじめていた。
元締めの首と引き換えに報酬を手にしたブラッドは、夜明けとともに再びドルク司祭を訪れた。
眠りを妨げられたドルク司祭は、不満を並べながら戸を開けたが、返り血で汚れたブラッドの姿と、無造作に差し出された大金を見て、すぐに態度を改めた。
それからブラッドは、ドルク司祭とともに墓地へと向かった。
夜明けが迫る灰色の世界の中で、墓地は沈黙に包まれている。
今から自分がこの静寂を破ると思うと、ブラッドの心は憂鬱に沈んだ。
目的の墓は、巨大な柊の脇にある。
一際小さな墓石は、その下に眠るのが幼い子供だという悲しい事実を伝えていた。
この土の下で眠っているのは、フィアット・レスター。
四歳でこの世を去った、ブラッドの一人娘だ。
その事故は、一年半前の小春日和に起きた。
カーニバルへ向かう妻と娘のもとへ、暴走した馬車がものすごい勢いで突っ込んだのだ。
母であるルクスはとっさに娘のフィアットを庇ったが、二人はまとめて宙に投げ飛ばされた。
その事故で、頭蓋骨が粉々になったフィアットは即死し、ルクスのほうは全身麻痺となった。
悲惨な事故の後すぐ、ブラッドは思うところがあって一線を退く決意をしたが、世界平和推進結社側は受け入れなかった。
理解を示さない平和推進結社に対して、不信感が募っていったのは言うまでもない。
結局行方をくらますという強引な手段に出る流れとなったわけだが、ブラッドを手放したくなかった世界平和推進結社側は、一年半経った今も、彼の居場所を未だに探し続けているのだった。
世界平和推進結社の本部があるこの街など、さっさと離れるべきなのはブラッドも重々承知していた。
しかし国一番の医療が受けられるという街の評判が、ブラッドの決断を鈍らせてしまったのだ。
当の妻は自分の体の変化をとっくに受け入れているのに、ブラッドはいつまで経っても諦めがつかなかったのである。
(それも今日で終わりにしないといけないよな、フィアット)
心の中で娘に話しかけながら、娘の墓をじっと見つめる。
何よりも守るべきなのは、残された妻との平穏な生活なのだ。
(フィアットの分まで、ルクスを大切にしてやらなければ)
ブラッドは壊れものを触るような手つきで、娘の墓石を優しく撫でた。
隣に立ったドルク司祭が怪訝そうな視線を向けてくるが、気づかぬふりでやり過ごす。
ブラッドは壊れものを触るような手つきで、娘の墓石を優しく撫でた。
隣に立ったドルク司祭が怪訝そうな視線を向けてくるが、気づかぬふりでやり過ごす。
「……フィアット、起こしてごめんな」
掠れた声で娘に謝罪してから、その眠りを覚ますためスコップを手にする。
それからブラッドは無言で墓を掘り起こしはじめた。
一度も手を止めることなく、ひたすら作業を続ける。
やがて小さな棺の蓋が見えてきた。
「……」
黙ったままのブラッドが、棺に触れようと手を伸ばした直後――。
突然、丘の下の居住区が騒がしくなった。
スコップを握ったまま、居住区を振り返る。
一瞬後、ブラッドの瞳が見開かれた。
居住区の上空が赤々と染まっている。
少し遅れて火事を告げる鐘の音が響き渡った。
丘の下の居住区には、ブラッドの家もある。
唇を微かにしか動かせない妻の眠る家が……。
スコップを放り投げたブラッドは、一目散に駆け出した。
「お、おい!?」
困惑しているドルク司祭の声が背中で響いたが、構ってなどいられない。
虫の知らせなのか、理由のない焦燥感を覚えたのだ。
(焦るな。きっと勘違いだ)
そう言い聞かせながらも全力で坂を下り、汗まみれで自宅の前に辿り着く。
何が起こっているのか、即座には理解できなかった。
「……ッ」
赤く照らされたブラッドの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
自宅のある集合住宅は、勢いよく燃え盛る炎に包まれていたのだ。
「ルクス……!」
すぐさま魔法バリアを発動させたブラッドは、躊躇せず火の中へ飛び込んでいった。
炎が吠える龍のようにとぐろを巻く。
煙と火の粉で視界が効かない。
「くそっ……。ルクスッ! ルクスッ……!!」
妻の名を繰り返し叫びながら、崩壊しかけた階段を駆け上る。
階を上がるほど、炎の勢いは増していった。
心臓がバクバクと高鳴る。
この痛みを経験するのは、人生でニ度目だ。
娘が亡くなったと伝えられた時。
あの瞬間の恐怖が襲い来る。
ようやく辿り着いた我が家は、巨大な業火に抱き込まれていた。
家具も写真も、大切な何もかもが、炎という化物によって蹂躙されている。
ブラッドは震えながら奥の寝室へ向かい、扉を蹴破った。
「……!」
そこで目にしたものは、ブラッドの心を完全に破壊し尽くしてしまった。
「……う……そ、だ……」
呟いた口元に奇妙な笑みが浮かぶ。
あまりにも残酷すぎる現実おまえに、感情が不具合を起こしてしまったようだ。
ブラッドはふらふらとベッドに歩み寄っていった。
肉の焦げる臭いが強烈に香ってくる。
いつもブラッドが腰を下ろしていた椅子は、炭と化していた。
焼き尽くされたのは椅子だけではなく……。
「……っ……」
震えた唇の隙間から、声にならない悲鳴が零れ落ちる。
ベッドが置かれていた場所に残っていたのは、縮こまるように固まった黒い塊だけだった。
小柄な人間大の黒い塊――。
妻だったものへ向かって、ブラッドが震える手を伸ばす。
指先が微かに触れただけで、肉体の一部が崩れて、黒い破片がパラパラと落ちた。
「……!!」
喉の奥から獣のような声がせり上がってくる。
両目から涙が溢れ出す。
ブラッドは唸りながら妻を抱きしめた。
彼の手の中で、妻の体はどんどん崩壊していった。
妻の存在が、命が、自分の腕をすり抜けて消えていく。
追いすがるように力を入れれば入れるほど。
「……」
周囲では火柱が轟轟と音を立てて燃え続けている。
本音を言えば、このまま妻を追いたい。
しかしまだだ。まだ死ねない。
ひどく周到に隠されてはいるが、炎や妻の遺体からは、微かに第三者の魔力を感じる。
妻ルクスは、何者かの火魔法によって焼き殺されたのだ。
ブラッドは血走った目で虚空を睨みつけた。
彼の壊れた心に、復讐心が燃え上がる。
「……待っていろ、ルクス。必ず仇を討って、そちらへ行く」
本日、まだまだ更新します。
「続きが気になる」「早く更新しろ」などと思ってくださいましたら、
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