俺にはもう弱みなどない
ヴァルブルガの記憶が戻った翌日。
ブラッドとヴァルブルガは、人々が寝静まっているうちに、気づかれないようルッツの里から旅立った。
問題がすべて解決した里人たちに明るく送り出されたりしたら、どう反応していいかわからなかったからだ。
ヴァルブルガは少し寂しそうにしていたが、異を唱えたりはなかった。
記憶の果実を見つけて以来、塞ぎ込みがちになったブラッドに対して、遠慮しているのだろう。
ブラッドは自分の気持ちも、ヴァルブルガの思いやりも持て余したまま、ニーダベルクの街を目指すこととなった。
岐路の旅はずっと天候に恵まれなかった。
空は重たい雲で覆われ、冷たい雨が降り続けた。
十日以上、ぬかるんだ道を黙々と進み、ようやく帰ってきたニーダベルクの街も、ひどい雨に襲われていた。
そういえばと思い出す。
世界平和推進結社の本部塔でヴァルブルガと出会ったあの日も、雨が降っていた。
はじまりの地点に戻ってきたのだと実感しながら、ブラッドは世界平和推進結社の塔を見上げた。
隣に立つヴァルブルガは、青ざめた顔をしている。
大丈夫かと声をかけそうになったブラッドは、慌てて言葉を吞み込んだ。
無理だと言われても、塔の中に連れていくしかないくせに、表面上だけの思い遣りなど見せないほうがいい。
ブラッドはヴァルの様子を気にしつつも、本部塔の入口に向かった。
石造りの門は、ブラッドが侵入する際に破壊した姿のまま、修繕されずに放置されていた。
警備の姿はどこにもなく、周囲は不気味な静けさに包まれている。
門の隙間からは、内部の深い暗闇が覗えるが、やはり人の気配はない。
ブラッドが本部塔を襲撃してから、すでにひと月以上が経過している。
世界平和推進結社側は大量虐殺があったこの本部塔を、完全に捨てたのだろうか。
(その可能性もなくはないが)
どうにもしっくりこない。
ヴァルブルガを連れたブラッドは、警戒心を抱いたまま、塔の中に踏み込んでいった。
目は闇にすぐ慣れた。
本部塔の中は未だにそこら中、血痕が残っている。
後をついてくるヴァルブルガは、ブラッドの服の裾をぎゅっと握ってきたが、好きにさせておいた。
目指すのはもちろん、ヴァルブルガが使用していた最上階の部屋だ。
上階へ向かうための魔法昇降機も当然停止しているため、ひたすら階段で上を目指す。
その時ばかりはヴァルブルガを抱えて運んだ。
ヴァルブルガは嫌がるどころか、自分からブラッドにしがみついてきた。
こちらを信用しきっているのが、行動から伝わってくる。
ブラッドは心を無にして、何も思わぬよう努めた。
ヴァルブルガの私室では、すべての戸棚と引き出しに、最上級の魔法錠がかけられていた。
元のヴァルブルガは、相当な秘密主義者だったらしい。
(このクラスの魔法錠では、たとえヴァルブルガの側近たちでも、解錠できなかっただろうな)
そう考えながら、ブラッドは部屋の中央に立った。
すっと息を吸ってから、両手を使って魔法を発動させる。
一瞬後――。
ブラッドの手から放たれた金色の光は、細い糸のように部屋中を駆け巡った。
光が錠に触れるたび、カチッという解除音が鳴り響く。
ブラッドはものの数秒で、すべての鍵を開けてしまったのだった。
「……! 鍵全部開いた?」
目をぱちくりさせながらヴァルブルガが尋ねてくる。
「ああ」
あとは片っ端から、中身を確認していくだけだ。
それからほどなくして、ヴァルブルガの日記帳は発見された。
ブラッドは気持ちが急くのを感じながら、分厚い日記帳をめくっていった。
日付を見る限り、ヴァルブルガは成長しても変わらず、自分が習得した魔法に関する記録を続けていたらしい。
(あのヴァルブルガが、十年以上日記を綴り続けるほど生真面目だったとはな)
ブラッドの知っているヴァルブルガ代表は、気まぐれで怠惰な印象を与える女だったのだ。
その意外性に対して若干の違和感を覚えたが、別にヴァルブルガ代表について詳しく知っていたわけではない。
とにかく今は集中して、若返りの古代魔法に関する記述を探していく。
しばらくはページをめくる音だけが、ひたすら響き続けた。
そして――。
「……あった。見つけたぞ」
日記帳の後半、白紙のページの少し前に、捜していたページはあった。
ありがたいことに、若返り魔法の習得の仕方から、解除方法までがみっちりと書き込まれている。
(この魔法を今のヴァルブルガが覚えられれば……)
ブラッドがそう考えた時だった。
「……ヴァル……なんか……なんかっ……おっ、おなか……いたい」
消え入りそうな声を聞いて振り返ると、おなかに両手を当てたヴァルブルガが、脂汗を浮かべていた。
どうやら極度のストレスを感じたせいで、腹痛を起こしてしまったらしい。
「……おといれ……!!」
必死な声で叫んだヴァルブルガが、ダッと走り出す。
無人とはいえ、ここは敵の本拠地だ。単独行動をさせるのはまずい。
「待て、ヴァルブルガ!」
切羽詰まったヴァルブルガは足を止めることなく、一目散に部屋を飛び出そうとした。
ところが――。
「わぷっ」
扉の前に立っていた人物にぶつかり、ヴァルブルガが呻き声を上げる。
ヴァルブルガを受け止めた女は、不気味な微笑みを浮かべた。
「やっと見つけた」
銀色のザンバラ髪の間から覗いた眠たげな瞳が、ブラッドに注がれる。
世界平和推進結社の女性幹部用制服を身に纏ったその女は、ムーム・ラヴィナス。
ブラッドの弟子であり、かつてはバディも組んだ片割れ。そしてヴァルブルガ代表の右腕だった女だ。
世界平和推進結社本部塔に侵入し、ヴァルブルガを連れ去ったあの日、追いかけてきたムーム・ラヴィナスと、再びこの本部塔で相まみえるとは。
「探しましたよ、代表。ご無事で何よりです。もう離しません」
それを証明するように、黒いマニキュアが塗られたムーム・ラヴィナスの指は、決して離すまいというようにヴァルブルガの肩をしっかりと掴んでいた。
しかもムーム・ラヴィナスの背後には、十人以上の結社の人間がぞろぞろと従っていた。
ヴァルブルガに逃げ道はない。
「……だれ?」
困惑したヴァルブルガがそう呟くと、ムーム・ラヴィナスは複雑そうな表情を見せた。
「古代魔法を発動させて若返られたのは、魔道具ヴィジョンに残された映像から知っていましたが……。やはり魔法の弊害で、記憶を失われてしまったのですね」
「なに……ヴァルよくわかんない……離して」
「安心してください。貴女はもう世界平和推進結社の懐に戻られたのです」
「おまえら結社のひと……? ……や、やだー! 離してー!! 結社きらいー!!」
両手両足を振り回して暴れるヴァルブルガを抱きかかえたまま、ムーム・ラヴィナスはブラッドのほうに視線を向けてきた。
「やはり犯人は現場に戻るものなのだな。なんのつもりでこの塔を訪れたのかは知らんが、私たちの大事な大事な宝物を返しに来てくれたこと、感謝するぞ、ブラッディ・ハウンド」
もともとこの本部塔が無人なのは不自然だと思っていたが、一瞬の隙をつかれ、ヴァルブルガを奪われたのは、さすがに想定外の展開だった。
(さて、どうするか。こいつらは復讐対象ではないが)
邪魔をするのなら、排除するべきだろう。
「それにしても貴方ほど有能な人間が、ここまで馬鹿げた騒動を引き起こすなどがっかりだ。幼女になった代表があまりに可愛らしいゆえ、堪らずに攫ったのだろうが、代表は結社の宝だ。個人が所有するなど許されん」
「……は? 何を言っている?」
「しらばくれるな。自分の娘代わりにでもするつもりだったのか? 気持ちは理解できるが、行動に起こしたらそれは犯罪だ」
ブラッドは心底呆れ果てた。
ムーム・ラヴィナスは、側近として仕事をこなす上では有能な人間なのだが、ヴァルブルガが絡むと、途端に様子がおかしくなるのだ。
こうなったムーム・ラヴィナスとはまともな会話が成り立たないので、ブラッドは聞き流した。
「ブラッディ・ハウンド、結社の宝を拐かした貴方は、懲罰委員会施設で罪を償ってもらう必要がある。大人しく拘束されたまえ」
「ふん。馬鹿馬鹿しい」
必要な情報が記載されているヴァルブルガの日記帳は、すでに手に入れた。
しかも世界平和推進結社の人間といえども、妻ルクスの殺害に関与していないムーム・ラヴィナスは、復讐対象ではない。
つまりは、ここに留まる理由などないのだ。
ブラッドがさっさとヴァルブルガを取り返して、立ち去ろうと考えた時――。
「勝手に動くな。こちらには代表という人質がいるのだぞ」
余裕を感じさせる表情でムーム・ラヴィナスが杖を一振りすると、杖の先端から透明な球体が現れた。
球体は瞬く間にヴァルブルガを閉じ込めると、そのままふわふわと浮き上がった。
パニックに陥ったヴァルブルガが、何かを喚きながら両手で球体の内側を必死に叩く。
しかし音も声も球体の透明な壁に吸収され、外にいるブラッドまで届かなかった。
同時にこちらの声もヴァルブルガには聞こえないようだ。
(妙だな。あんな魔法、俺は知らない)
ムーム・ラヴィナスの本職は、鉤爪を使う技巧戦士だ。
魔法の使い手としてはAランクの彼女が、ブラッドの知らない特殊な魔法を操れるわけがない。
もしやと思いながらも、ブラッドは球体に向かって魔法を軽くぶつけてみた。
予想通り、ブラッドの魔法は弾かれた。
球体には一切傷がついていない。
『古代魔法は、現代の魔法では干渉不可能な存在だ』
そう言っていた古代魔法研究家ニムーゲン博士の言葉が、ブラッドの脳裏に蘇ってきた。
「これも古代魔法か」
ブラッドが呟くと、ムーム・ラヴィナスは感心したという態度で片眉を上げた。
「さすが、鋭いな」
「おまえに褒められてもな」
なぜムーム・ラヴィナス程度の魔法の使い手が、古代魔法を操れるのか。
疑問を抱いたが、今は目先の問題に集中する。
あの球体が古代魔法ならば、魔法の発動者ではないブラッドには破壊できない。
だったらどうするべきか――。
ブラッドはヴァルブルガを閉じ込めている球体をじっと見つめてから、決断を下した。
「ブラッディ・ハウンド、もう気づいているかもしれないが、貴方に手立てはない。貴方は弱点を押さえられたのだ。諦めて降伏しろ」
「残念だな。俺にはもう弱みなどない。恐れなど皆無だ」
まったく動じていない声で、ブラッドが淡々と告げる。
なぜ平然としていられるのか、ムーム・ラヴィナスが訝しげに眉根を寄せた直後。
ブラッドは右手を前に伸ばすと、指先で水魔法の魔法陣を描き出した。
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