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竜さえ救うブラッド

 氷竜フリギアが威嚇するように雄叫びを上げる。

 その声は雷鳴のように響き渡り、木々に積もった雪が一斉に落下した。

 次の瞬間、氷竜フリギアの口から猛烈な冷気が放たれた。

 氷の息は大地を凍らせ、氷柱が次々と立ち上がる。

 ブラッドは一瞬の判断で、ヴァルブルガとヨナスを抱えたまま宙に飛び上がった。

 もしブラッドが守っていなければ、二人は鋭い氷柱に貫かれていただろう。

 地面に着地したブラッドは、すぐさまヴァルブルガとヨナスの周りに強力な防御結界を張った。


「この中にいれば安全だ。何があっても外へは出るな」


 怯えたヴァルブルガとヨナスが、慌てて頷き返す。

 ブラッドは低く身を屈め、素早く体を捻りながら、転がるように移動した。

 氷竜フリギアの爪が掠めた場所には深い傷痕が残り、そこから冷気が立ち昇った。

 あんなものに薙ぎ払われたら、人間などひとたまりもないだろう。

 氷竜フリギアに遭遇したら、猛吹雪の原因を探るつもりでいたが、相手がこうも臨戦態勢ではどうしようもない。


(まずは氷竜を大人しくさせる必要があるな)


 ブラッドが思考を巡らしている間も、氷竜フリギアの攻撃は止まない。

 ブラッドは攻撃をなんとかかわしながら、氷竜フリギアの巨大な体躯の下に潜り込んだ。

 身長一八五センチのブラッドが足の間に立っても、氷竜フリギアの腹は遥か上にある。


(この体格差を活かして、攻撃を仕掛けるか)


 ブラッドが手をかざすと、眩しい閃光が迸った。

 光は渦を巻き、勢いよく上昇しながら、大剣の輪郭を形作っていった。

 輝く大剣を両手で握り締めたブラッドは、口元を片方だけ歪ませた。


「さあ、氷竜フリギア。お手並み拝見だ」


 腰と腕にぐっと力を込め、光の大剣を振りかぶる。

 利き足を軸に体を反転させたブラッドは、いっきに回転斬りを放った。

 竜の鱗は鋼鉄のように分厚い。

 それでも魔法の刃は、容赦なくその鱗を削り取っていった。


『グォオオオオッッッ!!』


 攻撃を喰らった氷竜フリギアは、足元に纏わりつくブラッドを潰そうとして、巨大な足を踏み鳴らしはじめた。

 そのたびに地響きが起こる。

 ブラッドは氷竜フリギアが足を持ち上げるたびに、ジャンプ斬りを繰り出しながら、相手の踏みつけ攻撃を回避した。

 敵のタイミングを読むことが何より重要な戦いだ。

 もし一度でも回避を失敗すれば、ブラッドの体は木端微塵にされてしまうだろう。

 ブラッドの戦いを見守っているヴァルブルガとヨナスは、見ていられないというように目をきつく瞑った。

 だがブラッドは、一発喰らえば死ぬ戦いのひりついた空気に慣れていた。


「そんな単調な動きで俺を殺れると思っているのか?」


 面白がるような態度で、氷竜フリギアに話しかける余裕さえあった。

 足を踏み鳴らすだけでは意味がないと気づいた氷竜フリギアは、尻尾の振り回しや、体全体に氷魔法をまとって爆発させる攻撃も織り交ぜるようになった。

 ブラッドはそのすべてを冷静にかわしながら、攻撃の蓄積を氷竜フリギアの足に与え続けた。

 ブラッドの中に微かな違和感が生じたのは、戦いはじめて十五分ほど経った頃だ。


(……妙だな。この竜、なぜ飛ばない?)


 氷竜フリギアは立派な二つの羽根を持っているのに、まったく上空へ舞い上がろうとしない。

 ブラッドはその事実を訝しく感じたのだ。

 竜たちは本来、空中戦を得意としている。

 空中戦であれば、人間のように飛行能力を持たない地上の敵に対しては、圧倒的な優位を確保しながら戦える。

 それにもかかわらず、飛翔しないというのは明らかにおかしい。


(羽根が傷ついている様子は見られないが……)


 氷竜フリギアには、地上で戦わなければいけない理由があるのだろうか?

 攻撃の手を休めずに観察を続ける。

 そのうちにブラッドは、氷竜フリギアが山頂に向かう道を塞ぐ格好で立ち続けているのに気づいた。

 どうやら氷竜フリギアには、何がなんでも敵を山頂に通したくない理由があるらしい。

 ブラッドがその事実に気づいた直後、これまでとは桁違いの手ごたえを感じた。

 氷竜フリギアの鱗が完全に剥がれ落ち、ブラッドの刃がその肉に突き刺さったのだ。

 鱗を失った一本の足が、がくりと折れ曲がる。

 そのせいで巨体を支えきれなくなった氷竜フリギアは、轟音を立てて崩れ落ちた。

 巨大な翼が地面を叩き、その衝撃で周囲の木々が揺れる。

 今ならば、竜の弱点を叩ける。

 大剣を振りかぶったブラッドは宙に飛び上がると、そのまま氷竜フリギアの鼻面目掛けて、大剣を叩きつけた。


『ギャオオオオオオッッッ!!』


 苦痛に顔を歪めながら絶叫した氷竜フリギアは、力なくよろめくと、ついには地に突っ伏した。

 息はあるが、あれではもう攻撃を仕掛けることなど不可能だ。

 勝敗は決した。


「す、すごい……。ブラッドさん、強すぎる……。本当にたった一人で竜を倒してしまうなんて……」


 背後からヨナスのそんな声が聞こえてくる。

 しかしブラッドはまだ、大剣をしまおうとはしなかった。

 猛吹雪を止ませるのなら、ここで止めをさすのがもっとも手っ取り早い。

 ところがその時――。


「ブラッド! ブラッド! あれ見てー!」


 勝手に魔法結界の中から飛び出したヴァルブルガが、何かを指さしながらブラッドのもとへ駆けてくる。

 ヴァルブルガが示しているのは、氷竜フリギアが倒れた結果、見えるようになった雪霧山の頂上だ。

 それを目にした瞬間、さすがのブラッドも驚いた。

 頂上に作られた竜の巣の脇。

 白く煙る空気に巻かれながら巨大な氷塊が屹立している。

 その氷塊の中には、氷竜フリギアそっくりの見た目をした竜の子の姿があったのだ。


◇◇◇


 氷漬けにされている氷竜の子からは、もちろん生体反応は見られない。


「竜さんの赤ちゃん?」


 ヴァルブルガが尋ねてくる。


「恐らくな」

「あの……どうして氷の中にいるのでしょうか?」


 ヴァルブルガに次いで、魔法結界から出てきたヨナスが、心配そうに問いかけてきた。

 ブラッドは無言のまま、雪霧山の上空を見上げた。

 氷竜フリギアが流す血の匂いに引き寄せられたのか、猛吹雪の中でも数羽のハゲタカが旋回している。


「死んだ我が子をあいつらの餌食にされたくなかったのかもしれない」


 独り言のようなブラッドの呟きを聞いたヨナスは、ハッと息を呑んだ。

 死んだ獣は、生きている獣の餌にされる。

 野生の世界では当然のルールだとわかっていても、父親であるヨナスにとっては、胸が痛む事実だったようだ。


「子供を亡くしただけでもつらいはずなのに……。自然界の仕組みは残酷ですね……。でもブラッドさんが予想が正しければ、氷竜フリギアが猛吹雪を起こし続けている事態への説明もつきますね」

「ああ。氷塊で覆っている限りは、死肉でも腐敗しない」


 つまり死んだ子供の遺体を自分の傍においておけるのだ。


「だが春がくれば氷塊は解けてしまう」

「だから氷竜フリギアは、強引な方法で、雪霧山に冬を閉じ込めてしまったと……」

「まあ、今の話はあくまでも推測だ。猛吹雪を起こした理由がなんにしろ、この弱っている氷竜に止めを刺せば問題は解決する」

「ね、ね! ブラッド! それより竜さんの赤ちゃん、土にうめてあげようよ!」

「……なんだって?」


 突然話に割り込んできたヴァルブルガを振り返る。

 ヴァルブルガもヨナス同様、氷竜フリギアを殺すことには反対なのか。いつの間にか、ぐったりしている氷竜フリギアとブラッドの間に、両手を広げて立ち塞がっていた。


「赤ちゃん、お墓のなかにいれば、竜さん安心するでしょ? そしたら雪止めてくれるよね!」

「……」


 ブラッドの頭にはまったくなかった選択肢だ。


(突拍子もない提案をしてきやがって)


 竜に埋葬という概念が理解できるのかもわからないのだ。


(だが……)


 飛竜フリギアは、子供の遺体が傷つけられるのを恐れて、特別な方法で守っていた。

 ブラッドの中に、もしかしたらという期待が微かに浮上する。


「ブラッドさん、僕も名案だと思います! 里人総出で穴を掘れば、竜の子を埋葬してあげられます。里の者はみんな、氷竜フリギアを雪霧山の主として敬っています。反対する人はいないはずです……!」


 もともと氷竜フリギアを手にかけることに否定的だったヨナスも、ヴァルブルガの意見に賛同してくる。


「……まったく。悪者は俺か」


 ブラッドはそう言って肩を竦めたが、心底反対しているわけではなかった。

 氷竜の子供を発見した直後から、ブラッドの脳裏には、ニーダベルクの魔物解体所で若い冒険者たちが起こした事件の記憶が過っていた。

 心ない冒険者のせいで、命を奪う結果となってしまった子魔狼とその母親。

 あの時、子供を大切に想っていただけの母魔狼を救えなかった後悔が、ブラッドの背中を後押しする。

 結局、ブラッドは光の大剣を具現化させていた魔法を、静かに解除した。


「説得が成功するとは限らない。その場合、氷竜の命は諦めろ」


 念を押すようにそう伝えると、ヴァルブルガとヨナスは期待の宿った瞳のまま何度も頷いた。


「二人は魔法結界の中に」


 まだ解除していなかった魔法結界を顎で示しながら伝える。


「なんで? ヴァルもいっしょにいる」

「危険だからだ。さっさとしろ」

「……なんで危険なの? ブラッドなにする?」


 途端に顔を曇らせたヴァルブルガが不安そうに問いかけてくる。


「氷竜を助けたいのなら従え」


 突き放すように言うと、ヴァルブルガは渋々、魔法結界の中へ向かった。

 とはいえ今にも飛び出してきそうな態度だ。

 眉間に皺を寄せたブラッドがちらっとヨナスを見ると、伝えたい内容に気づいてくれたヨナスが、ヴァルブルガの手を握ってくれた。

 さすが彼は父親だけあって、小さい子供の衝動的な行動をよくわかっている。

 ヨナスがついていてくれれば、ヴァルブルガも暴走できないだろう。

 ヨナスに向かって任せるぞというように頷きかけ、氷竜フリギアに向き直る。

 氷竜フリギアは相変わらずぐったりと顎を伏せたまま、苦しそうな息を吐き続けていた。

 ブラッドが斬りつけた傷からは、緑色の血がドクドクと溢れ出している。

 わざわざ止めを刺さずとも、放っておけば息絶えそうな有様だ。

 そんな氷竜フリギアに向かって片手をかざしたブラッドは、躊躇うことなく回復魔法を発動させた。

 見る見るうちに、氷竜フリギアの傷が癒えていく。


「わっわっ! 竜さん治ってく!」

「……! ブラッドさん、どうして……?」


 ブラッドの行動を予想していなかったヴァルブルガとヨナスから驚きの声が上がる。

 氷竜フリギア自身も何が起きているのか理解し難かったのだろう。

 巨大な目で探るようにブラッドを見つめたまま、彼女はゆっくりと体を起こした。

 いまや氷竜フリギアの傷はすべて消え失せた。

 ブラッドを攻撃しようと思えばいくらでもできる。

 だが、ブラッドたちが子供の遺体に危害を加える心配はないとわかったからか、今回はいきなり襲い掛かってきたりもしなかった。ただし完全に警戒を解いているわけではない。

 ブラッドもそれは理解しているので、慎重に一歩ずつ、氷竜フリギアとの距離を縮めていった。

 氷竜フリギアは、なぜ傷を回復させたのだと問いかけるように、ブラッドをじっと見つめてきた。

 その答えを伝えようとして、ブラッドは氷竜フリギアに向かってそっと手を伸ばした。

 氷竜フリギアは静かにしている。

 ブラッドは氷竜フリギアの顔に両手で触れると、意思伝達の魔法を発動させた。

 この魔法を用いれば、脳内で語り掛けた言葉を、魔物や魔獣に伝えられるのだ。

 ただし伝達はあくまで一方的なもので、魔物や魔獣からの返事を、人間の言語で受け取ることはできない。

 それを承知したうえで、ブラッドは氷竜フリギアとコミュニケーションを図ろうとしたのだった。


『氷竜フリギア、何があったかはわからないが、子供は残念だったな。……俺も子供を亡くしているから、つらさはわかる』


 当然、氷竜フリギアからは返事などない。

 それでもブラッドは脳内で語りかけ続けた。


『子供を離したくない気持ちも理解できる。……だが、もう、ゆっくり眠らせてやらないか?』

『……』

『あんたが承諾してくれるのなら、あんたの子供は責任をもって埋葬する。ルッツの里の者たちも協力してくれるだろう』

『……』

『俺は自分のエゴであんたに交渉を持ちかけているが、そこにいる男は我が子のため、命懸けでこの山を登って来たんだ』


 氷竜フリギアの澄んだ瞳がわずかに動き、ヨナスの姿を視界にとらえた。


『あの男の子供は病で苦しんでいる。この山の吹雪が収まらなければ、子供に飲ませる薬草を手に入れられないんだ。種族は違えども、同じ子を思う親だ。あの男に免じて、聞き入れてくれないか?』


 それはブラッドの本心だった。

 ヨナスやヴァルブルガに聞かせるつもりはなかったし、里長たちの前でも一切そんな態度はとらなかったが、ヨナスの子供を救ってやりたいという気持ちを、ブラッドは強く抱いていたのだ。

 そんなブラッドの真心が伝わったのか。

 氷竜フリギアは子供を閉じ込めている氷塊をじっと見つめた後、静かに目を閉じた。

 すうっと息を吸った氷竜フリギアの体が、穏やかな光を放つ。

 その直後、氷竜フリギアは柔らかく耳障りのいい声で、二度ほど吠え声を響かせた。

 すると――。

 雪霧山全体を覆っていた猛吹雪が突如として止み、空気が一変した。

 山を閉ざしていた氷と雪がみるみるうちに溶け、優しい春の日差しが辺りを包み込む。

 かつての白銀の世界は、たちまち鮮やかな緑に染め上げられた。

 野鳥が歌い、花が芽吹き、蝶が孵化する。


「わあああ! 竜さん、すごい!」


 色の溢れる世界をきらきらとした瞳で眺めながら、ヴァルブルガが歓声を上げる。

 ヴァルブルガやヨナスだけでなくブラッドも、氷竜フリギアが起こした奇跡おまえに息を呑まずにはいられなかった。

 数秒前までの厳しい冬の風景が幻だったかのように、いまや雪霧山は、彩り豊かな楽園へと変貌を遂げている。



――氷竜フリギアが一鳴きすると、山に冬が訪れ、二鳴きすると春がやってくる――



 そんな伝承通りの変化が、雪霧山に訪れたのだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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複数話更新のモチベーションアップに繋がるので、どうぞよろしくお願いします……!

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