心優しき復讐者
禍々しい光りに包まれた古代魔法研究所は、闇の中にぼんやりと浮かび上がって見えた。
研究所を包んだ光は生き物のように蠢き、時折鋭い閃光が空へと駆け上る。
赤黒い輝きは見る者の心に不安を植えつけ、触れてはならない禁忌の存在のように感じさせた。
辺りの空気はやけにひんやりとしている。
ぶるりと震えたヴァルブルガが、怯えながらブラッドの足を掴んでくる。
魔力の気配を感じ取ったブラッドは、古代魔法研究所の中で何が行われたのかを察し、表情を歪めた。
「レイブン、魔法を発動させたのはおまえか?」
隣で青ざめているレイブンに尋ねる。
「はぁ!? 違ぇよ! 俺がニムーゲン博士にあんな仕打ちするかよ!! だいたい俺は、初級魔法しか使えねえし。って、それより早くニムーゲン博士の様子を見てくれ……! このまま放っておいていいのかわかんねえんだよ」
念のためレイブンに向かって解析魔法を放ち、彼の能力を計測してみる。
(たしかに幻惑魔法を操れるほどの魔力は持っていないようだ)
他人に頼んだ可能性ももちろんあるが、そこまで狡猾な人間には見えない。
レイブンは古代魔法研究所の扉を開けると、ついてくるよう視線で促した。
ブラッドは少し迷ったものの、レイブンに続いて室内に入った。
「ねっ、ねっ、赤いお兄ちゃんこまったの? ブラッドがたすけてあげるの?」
後からくっついてくるヴァルブルガが、余計な質問を投げかけてくる。
ブラッドは聞こえないふりでやり過ごした。
(別に単純な善意から、協力するんじゃない)
アカデミー職員から情報を得られないとわかった今、ニムーゲン博士の身に何かあれば、こちらも困るのだ。
心の中でそんな言いわけをする。
まるで人助けをすることに対して、何が何でも理由が必要とでもいうように……。
ニムーゲン博士は前回と同じく、中庭にいた。
今日は安楽椅子には座っておらず、立ったまま身振り手振りを使って、夢中で喋り続けている。
誰もいない空間に向かって――。
「んでなあ、マージョリーよお。その新しく見つかったクソ古文書を解読できたらどうなるか! おめえも想像つくだろう!?」
不意にニムーゲン博士が口を閉じ、誰かの返事を聞いているらしい間が開いた。
ニムーゲン博士だけに見えている幻が、何か喋っているのだろう。
「――ああ、そうだ。古代魔法を操った謎多きグーテ族の正体が判明するかもしれねえよなあ! こんな興奮するこたぁそうそうないだろう? ぐはは! どうよ、おめえ、クソ古文書様々だぜ!」
ニムーゲン博士が再び、虚空に向かって喋り出す。
(やはりそうか)
建物を包んでいる光を見た瞬間から察しがついていたが、確信に変わる。
ニムーゲン博士は幻惑魔法にかけられているのだ。
「……あのおじいちゃん、誰とお話してる? ユーレイさん?」
ヴァルブルガがブラッドの服を引っ張りながら尋ねてくる。
子供はどうしてこうも答えづらい質問ばかり投げかけてくるのか。
「ニムーゲン博士が話している相手は、おそらくニムーゲン博士の奥さんだろう」
「奥さん、ユーレイ?」
「そのほうが何倍もよかったが……」
意図的に作り出された幻惑ではなく幽霊だったならば、ニムーゲン博士の傍にずっといてくれるのではないだろうか。
そんな考えを一瞬でも抱いた自分に対して、ブラットはゾッとなった。
(現実逃避をするおっさんほど、痛々しいものはないだろ……)
人は死ねばそれまでだ。
ブラッドが複雑な思いでニムーゲン博士の様子を眺めていると、その視線に気づいたのか、不意にニムーゲン博士がこちらを振り返った。
「ああん? おい、レイブン。なんだこのクソ客とチビガキは。能なしの相手なんてしたくねえから、客が来たら問答無用で塩撒いて追い返せっていつも言ってんだろ。このボケナスがぁ」
ニムーゲン博士が唾を飛ばしながら言う。
どうやらレイブンの口の悪さは、ニムーゲン博士譲りらしい。
もっとニムーゲン博士おまえにすれば、レイブンなどまだまだひよっこという感じだったが。
「まあ、いい。おいそこのアンポンタン。うちの妻が職場にいる日でついてたな」
ニムーゲン博士が愉快そうに笑う。
前回見た時とは違い、ニムーゲン博士の表情は活き活きとしている。
十歳は若返ったようにすら見えた。
「俺と違って、うちのは底なしに優しいんでな。門前払いはやめてやれって言うんだよ。こいつの手前、話ぐらい聞いてやる。なんの用だ?」
この流れなら、古代魔法に関する情報を聞き出せそうだ。
(しかし……)
うちの妻と口にしながら隣を見る時、ニムーゲン博士は底抜けに優しい目をしていた。
心の底から妻を愛しているのだろう。
大事で仕方がなく、決して喪えない最愛の人。
まるで自分を見ているような気がして、ブラッドは胸の奥が苦しくなった。
さすがにこんな状態のニムーゲン博士を、都合よく利用する気にはなれない。
ブラッドはレイブンに目配せをして、一旦室内へと戻った。
ニムーゲン博士は一瞬訝しそうな顔をしたが、もともと幻惑にかかっている状態だ。
すぐに違和感を忘れ、再び存在しない妻との会話に溺れはじめた。
「レイブン、なぜこんな状況になった? 誰がニムーゲン博士に幻惑魔法をかけたんだ?」
レイブンは顔をしかめながら首を横に振った。
「明るめの髪色をした男が、中庭の垣根を乗り越えて逃げてった。でも、そんな奴、この小さい村の中ですら十人以上いるっての」
「幻惑魔法を使える相手なら、わざと偽の姿を目撃させた可能性もあるしな」
「俺も幻惑魔法にかけられたって言いたいのか?」
「可能性はある」
「んだよ、それ……」
とにかく目撃した情報を当てにするのは危険だろう。
であれば、別の側面から犯人候補を炙り出したほうがいい。
「ニムーゲン博士を幻惑魔法にかけることで、利益を得る人間は誰なのか」
真っ先に思い浮かんだのは二人。
「俺かおまえだな」
「……!?」
目を見開いたレイブンが、慌てて後退る。
「まさか、あんた……」
レイブンから疑いの眼差しを向けられたブラッドは、一切動じずに肩を竦めた。
「動機はあるが俺じゃない。そもそも俺が犯人なら、幻惑魔法を使う手段について、おまえに話すわけがないだろう。ちなみにニムーゲン博士が襲われたのは何時頃だ?」
「俺が風呂掃除をするのに、席を外した間だから……あーっと、十九時十五分前後だな」
「その時間ならちょうどマーケットにいた。一悶着あって注目を浴びていたから、目撃者もかなりいるはずだ」
「ヴァルブルガがおいしいパンをぬすんで、みんなが見てたの!」
加勢になるとでも思ったのか、ヴァルブルガが勢い込んで説明する。
「は? ぬす? なんだよチビ、手癖悪ぃの? 昔の俺と同じじゃん。クソガキだな」
「ぶー! ヴァル、クソガキじゃないもん! それにヴァル、悪いって知らなくて、お金って知らなくて――」
ニヤニヤと笑うレイブンに対して、ムキになって言い返しているヴァルブルガを自分の後ろに引っ込める。
ますます状況を混乱させても仕方がない。
「話を戻すぞ。ニムーゲン博士の意識がはっきりすると得をする人間は、俺たち以外だと誰がいる?」
「……全然思いつかねえ」
「王立アカデミーの職員たちは?」
「あいつらはむしろ逆だろ。耄碌爺になったニムーゲン博士を見て、引退させられると喜びやがったくらいだから。そもそも、あいつらは元気な時のニムーゲン博士とも会ってるんだぜ。定期的にやって来て、古代魔法研究所を譲渡するよう要求しては、追い払われてたんだ。そもそも鬱陶しい奴らだけど、あれでも国からの使者だろ。そんな奴らがなりふり構わないような汚い手を使うか?」
確かな地位についている人間ほど、それを隠れ蓑に不正を働くものだが、汚れた世の中の仕組みを若いレイブンはまだ知らないらしい。
かたや酸いも甘いも知り尽くしているブラッドは、レイブンの発言を否定せず、胸の内だけで思考を巡らせた。
(ニムーゲン博士の思考がはっきりすることで、王立アカデミー側がどんな利を得るのかは現状不明だが、かつてのニムーゲン博士と交渉したからといって、職員たちを犯人候補から除外はできないな)
それに宿屋で話した際の、ネモ室長の発言も引っかかる。
『何についての知識を得たいかは知らんが、我々があの研究所を引き継いだ際には、改めて相談に乗ってやろう。もちろん知識の対価として、それ相応の謝礼はいただくがね』
ネモ室長はそう言っていた。
状況を打破する確かな計画でもない限り、口にしないような発言だ。
「……なあ、おっさん」
ブラッドが顎に手を当てて考え込んでいると、レイブンが不安そうな声で話しかけてきた。
「あの幻惑魔法、ニムーゲン博士の心に影響がでないよう解除する方法ってねえの? たとえば夢を見ていたと思い込ませるとか」
「幻惑から覚めるのと、夢から目覚めるのとでは、当人が受ける印象は全く異なる。しかもニムーゲン博士は、魔法の研究家だ。魔法が解けた瞬間、ニムーゲン博士は間違いなく自分が幻惑を見せられていたと気づく」
「けど奥さんが幻だって知ったら、ニムーゲン博士はひでえショックを受けるだろ……?」
「……」
「……そうなるぐらいなら、このまま放っておくのが一番いいのか?」
「それでも幻惑魔法の効果は、永遠に続きはしない」
同じ幻惑魔法をかけ続けることも不可能だ。
そんな無茶を心に強いれば、どんな人間の心も確実に壊れる。
「こうなってしまった以上、ショックを少しでも減らす手立てを考えたほうがいい」
「どうやって?」
「幻惑魔法が解ける前に、奥さんは幻だとニムーゲン博士に知らせるんだ」
「信じたものが突然消えてなくなるよりましってこと?」
「多少なりとも心の準備ができるだろう。とはいえ正直なところ、それぐらいで愛する人を失う痛みが薄らぐかとは思うが」
ブラッドが誤魔化すことなく本音を伝えると、レイブンはくしゃりと顔を歪めた。
「ああ、ほんっと……最悪だ……。……ニムーゲン博士には元に戻って欲しかったけど、俺が望んでたのはこんなことじゃねえよ……。ニムーゲン博士が傷つくなら意味ねえ……」
涙の浮かんだ瞳を隠すように、レイブンが窓の外に視線を向ける。
ちょうどそのタイミングで、たまたまニムーゲン博士が視線を上げた。
弟子の顔に絶望の色を見たためか、ニムーゲン博士の表情が俄かに変わる。
血相を変えたニムーゲン博士は、足を引きずりながらも急いで室内へ入ってきた。
「なんだっ、レイブン!? どうした、こん畜生め! 今にも泣き出しそうな面しやがって! そこの木偶の坊に苛められたのかっ!?」
しまったと思った時には遅かった。
ジジッという音ともに空間が歪みはじめる。
ニムーゲン博士の心が乱れた結果、幻惑魔法の効果が弱まり、現実世界が引き戻されようとしているのだ。
幻惑魔法はもうすぐ解ける。
残念ながらこうなってしまった今、状況を見届ける以外は何もできない。
「マージョリー……? な、なんてこった……おまえ体が消えかけて……。……そ、そんな……まさかおまえ……。くそっくそっくそがああ……嘘だろッッ……!?」
幻の妻がいるであろう場所に向かって、ニムーゲン博士が震える両手を伸ばす。
「ああ……あああっ……いくな……逝かないでくれぇ……」
消え入りそうな声でそう呟くのと同時に、ニムーゲン博士の枯れた頬を涙が伝い落ちた。
歯を食いしばってその様子を眺めているレイブンも、いつの間にか泣いている。
「くそう……くそう……っ……マージョリー……!! 幻だったなんて……! いなくなってしまうなんて……!! 地獄だ……。誰がっ……誰がこんなことをっ……ぐううっ……」
嗚咽をあげたニムーゲン博士が床に崩れ落ちる。
レイブンが慌てて助けに入るが、ニムーゲン博士はその腕を乱暴に振り解いた。
「俺に触るなっっ! くそっ! くそっ!! 俺に地獄を見せたのは誰だッ! 貴様かッッ!?」
レイブンを押しのけたニムーゲン博士が、がたがたと震える指でブラッドを指してきた。
「誤解だ。俺は――」
「黙れ黙れ黙れえええええッッ!!」
錯乱したニムーゲン博士は、我を失ったまま、杖を掲げた。
「【螺旋塵】!!」
ニムーゲン博士は完全に暴走していた。
杖の先端が青白く輝き、旋風が部屋中に広がる。
空気が震え、周囲の物が猛烈な勢いで回転しはじめる。
ニムーゲン博士が杖を振り下ろすのと同時に、巻き上げられた本や魔道具、家具たちが一斉に襲い掛かってきた。
落ち着けと説得できるような状況ではないが、ニムーゲン博士を傷つけるわけにもいかない。
「ヴァルブルガ、レイブン、俺の後ろに隠れていろ」
「あい……!」
「わ、わかった!」
「【凶転の大盾】」
慌てた二人が背後に集まるのを確認しながら、ブラッドは巨大な魔法盾を展開させた。
部屋を半分埋め尽くすほどの黄金色の盾は、ニムーゲン博士から与えられる攻撃を次々跳ね返していった。
「嘘だろ……。魔法でこんな巨大な盾を具現化させられるなんて……! しかもニムーゲン博士に攻撃が跳ね返らないようコントロールしてる……!?」
後ろに隠れたレイブンが、心底驚きながら呟く。
ブラッドには容易いことだったが、たしかにかなりの能力者でなければ難しい所業ではあった。
盾は攻撃が当たるたび、硬質な金属音を響かせ、そのたびに魔法同士の反発による爆発が起こった。
ニムーゲン博士は必死に魔力を振り絞り、攻撃を続けてきたが、その動作は次第に鈍くなっていった。
ニムーゲン博士の額から汗が滴り落ちる。
窪んだその目には、焦燥と疲労の色がありありと浮かんでいた。
やがてニムーゲン博士の魔力は完全に枯渇した。
体力の限界も訪れたのだろう。
ニムーゲン博士は、その場に膝をついて項垂れた。
ブラッドは魔法の盾を消滅させてから、ニムーゲン博士のもとへ歩み寄っていった。
ニムーゲン博士はへたりこんだまま肩で息をしている。
ブラッドはその手から、そっと杖を取り上げた。
ニムーゲン博士にはもう抵抗する力も残っていないようだ。
「ニムーゲン博士……」
床に座り込み、立ち上がる気力を完全に失ってしまったニムーゲン博士の傍へ、レイブンが駆け寄る。隣に膝をつき、ニムーゲン博士を助け起こそうとしたが、またしてもニムーゲン博士はレイブンを拒絶した。
ただし先ほどとは違って、弱々しい力で。
「俺にかまうな……」
「でもニムーゲン博士……」
「もうすべてどうでもいい……。妻は……マージョリーは……消えてしまった……。……ふぐっ……ぐううっ……。なぜっ……なぜこんなことに……」
「くそっ……。……聞いてくれ博士。誰かが博士に幻惑魔法をかけたんだ。でも誤解しないでくれ。犯人はあのおっさんじゃねえよ。あいつは俺が助けを求めて呼んできたんだ」
「誰がしたかなんてどうでもいい……。マージョリーはいない……。それなら、すべて……もう……どうだっていいんだ……ううっ……」
消え入りそうな嗚咽を漏らすなり、ニムーゲン博士はがくりと肩を落とした。
みるみるうちにニムーゲン博士の瞳から光が消えていく。
ニムーゲン博士は、再び心の奥に閉じ籠もってしまったのだ。
「ニムーゲン博士……。博士……!」
レイブンが必死に呼びかけたものの、ニムーゲン博士はもう一切反応を示さなかった。
最悪な状況だが、ニムーゲン博士をこのまま床に座らせておくわけにはいかない。
レイブンに声をかけ、ニムーゲン博士を移動させようとした時――。
急に表が騒がしくなった。
「いっぱいひとくる!」
ヴァルブルガが窓の外を指さしながら叫ぶ。
たしかにヴァルブルガの言う通り。
月明かりの下、十人近い村人たちが古代魔法研究所に向かってやってくる。
先頭にいる体格のいい男は憲兵隊の制服を着ている。
彼らの険しい顔つきを見れば、歓迎すべき状況が舞い込んでくるとは到底思えなかった。
案の定、憲兵はレイブンが扉を開けるあり、とんでもない言葉を言い放った。
「レイブン・ドッツ。幻惑魔法の悪用及びニムーゲン博士への恐喝容疑で、おまえを拘束する!」
◇◇◇
「レイブンお兄ちゃん、だいじょうぶかなあ……」
宿屋の窓辺に立ち、眠りについた夜の村を眺めながらヴァルブルガが呟く。
憲兵に連行されていったレイブンは、今頃事情聴取を受けているのか。
どちらにしろ魔法の悪用に暴行や傷害と、複数の罪の嫌疑がかかっている事態だ。
たとえ無実の罪だとしても、疑惑が晴れるまで、少なくとも数日間は拘束されるだろう。
「いい加減ベッドに入れ。おまえがそうしていても状況は変わらない」
「ね、ね、ブラッド。レイブンお兄ちゃんのこと助けてあげようよ。連れて行かれちゃってかわいそうだもん。おじいちゃんのことも助けてあげようよ」
宿に戻ってきて以来、ヴァルブルガがこの発言をするのも何度目かわからない。
「しつこいぞ。赤の他人の問題だ。過剰に首を突っ込むつもりはない。ほら、さっさと寝ろ」
「ぷんぷん!」
「うるさい」
拳を握りしめて地団駄を踏みはじめたヴァルブルガを無理やり持ち上げ、ベッドに押し込む。
布団を被せても、しばらくの間ヴァルブルガは文句を言い続けていた。
それでも所詮子供。
眠気に抗いきれなくなったらしく、そのうち寝息が聞こえはじめた。
「……ったく」
ヴァルブルガを起こさないよう小声で呟く。
枕を抱きしめて眠るヴァルブルガは、眉間に皺を寄せている。
ぐずりながら眠ったせいかもしれない。
ブラッドは複雑な気持ちを抱きながら、ヴァルブルガの不細工な寝顔を眺めた。
幼い子供にしてはわがままを言わないヴァルブルガが、レイブンたちを助けたいと主張してきかなくなるなんて、正直驚かされた。
(……当たり前に人を助けたいという気持ち、子供らしい純粋な善意か)
世界平和推進結社の代表を務めていた当時のヴァルブルガは、「平和のため」という免罪符を掲げて、平然と大量虐殺を命じるような人間だった。
幼いヴァルブルガが持っていた善意がどこかで歪んで、あの怪物を作り出したのだろうか。
(いや、そんなことはどうでもいいな)
ヴァルブルガに関してあれこれ考えるのは、やめておいたほうがいい。
ただでさえ、踏み込み過ぎている。
(どうせヴァルブルガだって寝て起きた後は、ごねた記憶など忘れているはずだ)
ところがブラッドが想像していたよりもずっと、ヴァルブルガはしつこかった。
翌朝起きてからも、ヴァルブルガはまだまだむくれていた。
レイブンを助けてほしいと言っては地団駄を踏み、朝ごはんも食べないし、着替えもしない。
いい加減にしないとグルグル巻きにするぞと脅してみても、効果は皆無。ヴァルブルガは駄々を捏ね続けた。
(くそ、子供がこうなると手に負えないな……)
結局ブラッドは根負けし、古代魔法研究所に様子を見に行くことを了承せざるを得なくなった。
◇◇◇
「……あいつら、何してる?」
王立アカデミーの職員たちを指さしたヴァルブルガが、強張った声で訊ねてくる。
これまでの経験で知ったのだが、どうやらヴァルブルガは自分が悪人だと決めた相手に対しては、口が悪くなるらしい。
とはいえブラッドも、ヴァルブルガと同様の疑問を抱いてはいた。
古代魔法研究所にやってくると、どういうわけか王立アカデミーの職員たちが我が物顔で出入りしていたのだ。
それだけではない。
職員たちは古代魔法研究所からせっせと研究資料を運び出し、荷馬車に積み上げている最中だった。
それらはすべてニムーゲン博士の私物だ。
職員たちが好き勝手していい物ではない。
「ああ、冒険者さん。ちょうどいいところに来たな。見たがっていた資料を捜すのなら、今のうちだぞ。今日の午後には、王立アカデミーに向けて馬車を出発させる予定だ。それと資料は譲れんからな。この場で読むだけにしてくれよ」
ネモ室長がいやしい笑みを浮かべながら言う。
「ブラッド、ひどいことするのとめて! おじいさんがかわいそうだよ!」
ヴァルブルガが腕を引っ張って、必死に訴えてくる。
そんなヴァルブルガを見て、ネモ室長のにやけた笑いはますます増した。
「お嬢ちゃんはどうやら、おじさんたちを悪者だと勘違いしているようだな」
「わるものだもん! うそつき!!」
間髪入れずヴァルブルガが噛みつく。
今にも飛び掛かりそうな様子のヴァルブルガを抑え込みながら、ブラッドはネモ室長に問いかけた。
「資料の持ち出し許可を得たのか?」
「もちろんだ。ニムーゲン博士の弟子が昨晩逮捕されたのは知っているか? それによって、この施設を管理する者がいなくなってしまったのだ。困り果てた憲兵隊は、有識者である私たちを頼ってきた。当然断る理由などない。それで私たちはニムーゲン博士ごと、この古代魔法研究所を引き受けたのだ」
「逮捕? レイブンは事情聴取を行うから連れていかれただけだろう」
「冤罪だと喚いて暴れたらしく、公務執行妨害で現行犯逮捕されたんだよ」
「……」
レイブンの性格ではやりかねない。
ただし公務執行妨害だけなら、罰金さえ払えば保釈されるはずだ。
「嫌疑がかかっている余罪については、逮捕に至っていないんだろう?」
「まあそっちも時間の問題だろうな。なんせ証拠が押収されているんだし」
「証拠?」
「レイブンの転職用紹介状が押収されたんだ。レイブンは、呆けた博士を捨ててさっさと転職するため、博士に幻惑魔法をかけ、正気に戻っている間にサインを記入するよう詰め寄ったそうだ。弱った爺さんを利用するなんて、ひどい話じゃないか」
わざとらしく眉を下げてネモ室長が言う。
彼の背後にいる部下の女も、涙を拭っているふりをしてみせた。
今の話を聞いて、すべて合点がいった。
王立アカデミーの職員は、ブラッドとレイブンの話を盗み聞きしていたのだ。
幻惑魔法を使うという案も、紹介状の件も、そうして利用されたに違いない。
(だが他に人の気配があれば、俺が気づいたはずだ。となると魔道具で盗聴していた可能性が高いな)
ブラッドが冷ややかな苛立ちを覚えるのと同じタイミングで、ヴァルブルガが歯を剥き出しにして叫んだ。
「わるものー!」
どこまで理解しているのかわからないが、ヴァルブルガの怒りは心底伝わってきた。
だからといって、もちろん飛び掛からせるわけにはいかない。
「ニムーゲン博士ごとこの古代魔法研究所を引き受けたと言っていたが、ニムーゲン博士の面倒はちゃんと見たのか?」
ブラッドは暴れるヴァルブルガを抱きかかえながら尋ねた。
「まさか。俺たちは介護人じゃない。だいたいあの爺さん、小便臭くて近づけたもんじゃない。本の持ち出しが終わったら、施設に入れる手続きぐらいはしてやるつもりだが」
ネモ室長は悪びれることなく言った。
これ以上会話をしていても無意味だ。
ブラッドはヴァルブルガを抱えたまま書庫を出ると、中庭へと向かった。
ニムーゲン博士は中庭にある椅子に座らされたまま、ぼんやりとしている。
近づいていくと、ネモ室長の言う通り、鼻にツンとくる臭いを感じた。
椅子の下にできた水溜りが臭いの理由だろう。
ブラッドはヴァルブルガを地面に下ろしてから、ニムーゲン博士に向かって浄化の魔法を施した。
恐らく今のニムーゲン博士は不快さからも隔絶されているのだろうが、彼の尊厳が蔑ろにされている現状は許せなかった。
しかも排泄がこの有様なら、当然入浴や食事の介護だってしていないはずだ。
(このまま放っておけば、ニムーゲン博士は衰弱しきってしまうな)
今思えば、そういった問題のすべてから、レイブンはニムーゲン博士を守っていたのだ。
(そんな奴がニムーゲン博士を傷つけるはずなどないのに)
目先の利益に目を眩ませ、まともな捜査を怠った憲兵隊員は無能にもほどがある。
「……ね、ね、お願い。おじいさん、助けてあげて……!」
傍らに立ったヴァルブルガが、懇願するようにこちらを見上げてくる。
ブラッドはヴァルブルガと書庫を交互に見やった。
(ここの資料を漁れば、俺が得たい情報は見つかるかもしれない)
つまりニムーゲン博士とレイブンの問題に、これ以上首を突っ込む正当な理由などないのだ。
(それに復讐を果たすこと以外、どうだっていいはずだろう)
どうだっていいはずなのに……。
「……」
数秒間考え込んでから、舌打ちをする。
「ヴァルブルガ、おまえに言われて行動を起こすんじゃないからな。俺は自分の発言を利用された事実に対して、責任を取るだけだ」
そう釘を刺したブラッドは、ニムーゲン博士の心に入って直接対話をするため、精神侵入魔法を発動させた。
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