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引退した最強魔導士

「おい、おっさん! 俺たちの代わりに、この汚れ仕事も片づけておけよ!」


 馬鹿にした嘲笑とともに、薄汚れた麻袋をいくつも投げつけられる。

 おっさんと呼びかけられたブラッド・レスターは、ボサボサの黒髪の下の目でちらりと麻袋を見た。

 ブラッドが視線を向けた麻袋には、うっすらと血が滲んでいる。

 おそらく中には魔物の死体が入っているのだろう。

 ここは冒険者が行き交う都市【ニーダベルク】の外れにある魔物解体所だ。

 素材に加工するため、魔物の死骸が持ち込まれるのは当然だが、ブラッドの勤務時間は五分前に終わっている。


「役立たずのあんたでも、それぐらいはできるだろ?」


 麻袋を蹴りながら、声をかけてきた若者たちがギャハハッと笑う。

 この品のない冒険者の端くれから仕事を押しつけられるのは、もう何度目だろうか。

 若者たちは全員もれなく人相が悪く、どこにいっても問題事を起こしているのが態度から伝わってきた。

 ジャラジャラとつけられた粗悪な装飾品や、腰につけられた大きなナイフによって、優しく弱い人々を支配してきたのだろう。

 だが、ブラッドには一切効果がなかった。

 若者たちの狂気が張りぼてに過ぎないと、ブラッドは見抜いていたのだ。

 しかし若者側は、ブラッドの能力を完全に見誤っていた。

 ブラッドはとある理由から身分を隠し、『社会に居場所のない惨めなおっさん』という仮面を被って、低ランク冒険者用の日雇い仕事で食い繋いでいるのだ。

 若者たちは、そんなブラッドの演技に、まんまと騙されているのである。

 まあ、それも仕方がない。

 無精髭と、鼻先近くまで伸びた無法地帯のような黒髪のせいで、ブラッドの顔立ちははっきりしない。

 意図的に薄汚れた見た目をしていることが功を奏し、誰が見たってブラッドは『疲れ果てた無能なおっさん』でしかなかった。

 そのうえブラッドは若者たちからどんなにからかわれても、無礼な物言いをされても、決して言い返さなかった。

 相手にする価値もない連中だし、何よりわけありのブラッドは悪目立ちを避けたかったのだ。

 ところがブラッドが反論しないせいで、愚かな若者たちはますます増長した。


「返事はどうした、おっさん!」

「……」

「つーか感謝の気持ちも足りねえよなあ? 『無能な私に仕事を分け与えてくださってありがとうございます』だろぉ?」


 調子に乗った若者が、ブラッドの肩をドンッと押してくる。

 とはいえ貧弱な若者の力で動かされるようなブラッドではない。

 逆に若者のほうが反動でバランスを崩し、情けなくよろめいた。


「てめえ、じじい! 何しやがる!!」


 完全に自業自得だというのに、羞恥心で顔を赤くさせた若者は、ますます突っかかってきた。

 さすがのブラッドもうんざりしかけた時――。


「ブラッドさんに絡むのはやめなよ……!」


 振り返るとクマを髣髴とさせる巨大な体格の青年が、慌てた様子で駆け寄ってくるところだった。

 男の名は、ジャムベリー・マクドナルド。

 能力に恵まれなかったDランクの日雇い冒険者だが、心根の優しい青年で、他人にほとんど関心を寄せないブラッドも、仕事先で顔を合わせれば一言二言、言葉を交わす相手だ。

 巨漢のジャムベリーが相手では分が悪いと感じたのか、ブラッドに絡んできた若者たちは「ちゃんと解体しとけよ!」と捨て台詞を吐いてから、そそくさと立ち去っていった。


「大丈夫ですか、ブラッドさん?」

「ああ、問題ない。それより悪かったな、ジャムベリー。気を遣わせてしまって」

「いえ、悪いのはあいつらですから……! まったくあんな嫌がらせをするなんて、冒険者として恥ずかしくないんですかね」

「冒険者もピンキリだからな」


 とくにこのニーダベルクのように冒険者ギルドが設置されている大きな街には、数多の人間が様々な欲望を抱えて出入りする。

 日夜、金が動き、物が動き、人が歓ぶ。

 街を覆う興奮と喧騒に対し、治安が行き届いているとはいえず、それゆえ悪質な冒険者の吹き溜まりにもなりやすいのだ。


「資格を有する以上、人から尊敬される冒険者を目指すべきなのになぁ……。あっ、尊敬される冒険者といえば! ブラッドさん、聞きました? 【世界平和推進結社】が、また【伝説の最強魔導士ブラッディ・ハウンド】の情報を求めるビラをバラ撒いたって!」

「……へえ?」


 ブラッドにとっては聞き捨てならない情報だったが、敢えて無関心を装う。

 世界平和推進結社というのは、数百年前から存在する私設の自治組織のことで、このウィンドリア王国では、冒険者ギルドと同等か、それ以上の権力を所持する存在だ。

 世界平和推進結社は、雇い入れた有能な冒険者たちを独自の方法で育成し、難解な任務や危険な探索に挑ませてきた。

 世界平和推進結社の活動は多岐にわたり、魔物の討伐、失われた遺跡の探索、盗賊団の殲滅、さらには政治的な陰謀の阻止などがある。

 世界平和推進結社の手にかかれば、どんな難題も解決され、どんな脅威も取り除かれる。

 それゆえ人々は世界平和推進結社に絶対的な信頼を寄せ、その存在に感謝しながら生活をしていた。

 世界平和推進結社の一員になるには、厳しい試練と審査を通過しなければならず、その過程で多くの者が脱落する。

 だからこそ世界平和推進結社に属する者たちは、選りすぐりの精鋭であることが保証されていた。

 世界平和推進結社の代表の正体は明かされていないが、一説によると国王以上の権力を持つと言われている。

 代表は影の中から世界を見守り、必要とあらば即座に行動を起こす指揮官として、世界平和推進結社をしっかりと導いてきた。

 代表の決断は常に的確であり、その洞察力と判断力は誰もが認めるところである。

 ブラッディ・ハウンドは、そんな世界平和推進結社お抱えの魔導士で、国一番の実力を誇る英雄として評判だった。

 しかし彼は一年半前突如姿を消し、以来消息不明のままとなっている。


「今日の夜には結社本部塔の魔法スクリーンから、結社代表自身がブラッディ・ハウンドの情報を募る声明を放映するらしいですよ。魔法スクリーンを発動させるなんて、相当なお金と人員を要するのにすごいなぁ……。結社にとってブラッディ・ハウンドがどれだけ特別な存在かわかりますよね!」

「……」

「というかどうしてブラッディ・ハウンドは、いきなり行方をくらませちゃったんでしょうね……。すべての冒険者から敬われていた英雄だったのに。俺も憧れたなあ。雲の上の存在でしたけど、少しでもブラッディに近づきたくて、必死で修業をして……」


 想像上のブラッディ・ハウンドの姿を思い描くように、ジャムベリーがうっとりと虚空を見上げる。

 ブラッディ・ハウンドの英雄像を信じきっているジャムベリーの姿は、ブラッドに強烈な嫌悪感を催させた。


「……奴が英雄だなんて、そんなものは結社の作り出した偶像に過ぎない」


 気づけば感情のまま、そんな独り言を呟いていた。


「え?」


 ブラッドの呟きがよく聞き取れなかったらしく、ジャムベリーが聞き返してくる。


「いや、なんでもない。気にするな」

「はぁ」


 ジャムベリーは不思議そうに小首を傾げていたが、不意に「あっ」と大声を上げた。


「ブラッディとブラッドさんって、名前がよく似てますよね! そう思いません!?」


 偶然の一致としか思っていないらしく、ジャムベリーが純粋な瞳で笑いかけてくる。

 ブラッドはまったく動じていないふりで、微笑を返した。


「ブラッドなんてよくある名前だからな。さて、おしゃべりはこのくらいにして、この麻袋を片づけるとするか」


 そう言いながら、先ほど押しつけられた麻袋の口を開く。

 さりげなく話題を逸らされた事実に一切気づいていないジャムベリーも、隣から袋を覗き込んできた。

 直後、ジャムベリーがハッと息を呑んだ。


「なんてひどいことを……」


 絞り出すような声でジャムベリーが言う。

 麻袋の中には、瀕死の傷を負わされた子魔狼(ファング)が押し込められていたのだ。

 子魔狼の体には、痛めつける目的のためだけに与えられた無数の裂傷が確認できた。

 ジュクジュクと崩れた傷口を見れば、毒を塗った刃で切り刻まれたのだとわかる。


(赤紫に変色した傷口と、独特の悪臭。……使われたのは禍花(わざわいばな)の毒か)


 ブラッドは冷静に分析しながらも眉根を寄せた。

 禍花の毒は遅効性の効果があり、強烈な痛みを与えながらゆっくりと命を奪う。

 子魔狼の傷の数からいって、毒は致死量を優に超えていた。

 子魔狼にはまだ微かな息があったが、回復魔法をかけたところで苦しみを引き延ばすだけだ。


「ブラッドさん……」


 気の優しいジャムベリーが、泣きそうな声で問いかけてくる。

 ブラッドは静かに首を振ると、子魔狼の命を一思いに奪った。


「……麻袋を押しつけていった男たちの仕業でしょうか?」


 目に涙をためたジャムベリーが問いかけてくる。

 ブラッドは別の麻袋に手を伸ばしながら答えた。


「恐らくな。奴らが近づいてきた時、微かに饐えたような臭いがした。あれは禍花の香りだったんだろう」


 たしかに冒険者たちは、素材集めのために魔物や魔獣の命を奪う。

 しかし今回の件は話が違っていた。

 犠牲にする魔物に対する感謝や敬意が一切感じられないどころか、命を弄ぶ残忍さが嫌というくらい伝わってきた。

 ブラッドの中に滲んだ静かな怒りは、麻袋を開けるごとに増していった。

 なぜならば――。

 残りの麻袋四つからも、救える見込みのない魔狼の子が次々と発見されたからだ。


◇◇◇


 子魔狼たちが無駄死ににならぬよう、ブラッドは彼らの体を丁寧に解体し、使える素材はすべて剝ぎ取らせてもらった。

 どうしても残ってしまった部位に関しては、ジャムベリーが汚れていない木箱に入れて、解体所裏の森に埋めてくれることになった。

 木箱を抱えて先に退勤したジャムベリーに続き、解体所の片づけを終えたブラッドが外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 一刻も早く家に帰りたかったが、遺体の始末をジャムベリーだけに任せておくわけにはいかない。

 そう考えたブラッドが森へ足を向けようとした時だった。


「うわああッッ……!」


 悲鳴が冷たい風に乗って、森の奥深くから響いてきた。

 声の主はジャムベリーだ。


(何があった……?)


 ブラッドは困惑しながら森へと急いだ。

 密生した木々の間を縫うように進んだその先に、悲鳴の原因となった光景は広がっていた。

 山のように巨大な魔狼が、暗い影を落としながら人間を襲っている。

 魔狼の周りに倒れているのは、瀕死の子魔狼を持ち込んだ冒険者たちだ。

 何人かはかろうじて息をしているが、何人かはすでに事切れている。

 魔狼の前には、足を負傷し倒れ込むジャムベリーの姿があった。

 死体を踏み潰している巨大な魔狼は雌だ。


(子魔狼たちの母親か)


 恐らくは子供の血の匂いを辿って、ここまでやってきたのだろう。

 魔狼の瞳には、赤黒い膜が張っていて、どんよりと濁っている。

 あれは魔物が怒りにかられ、正気を失った証だ。

 ああなってしまえば最後、魔物は二度と元に戻らない。

 後はもう生きている限り、目に入るものを襲い続けるだけだ。

 残念だが、子魔狼同様、始末するしかなかった。

 ブラッドは苛立ちながら舌打ちをした。

 魔狼に襲われたのが冒険者の若者たちだけであったのなら、間違いなく見捨てていたところだ。

 けれど今、魔狼の爪の餌食になろうとしているのは、ジャムベリーだ。

 襲われている冒険者たちを見て、善人のジャムベリーが飛び出していったのは想像に難くない。

 力の伴わない正義感を正しいとは思えなかったが、お人よしすぎるジャムベリーを見捨てたりすれば、間違いなく大切なあの人の不興を買うだろう。


(ここで魔法を使った騒ぎを起こせば、世界平和推進結社に俺の居場所がばれてしまうが。仕方がないな)


 右手を構えたブラッドは、魔狼の足元目掛けて大地を揺さぶる土属性の強魔法を放った。


「【波動轟(はどうごう)】」


 激しい音を立てて地面が裂け、魔狼の注意が逸れる。

 ゆっくりと振り返った魔狼の視線は、ブラッドのもとでぴたりと止まった。

 ひとまずジャムベリーから、魔狼の意識を逸らすことには成功したようだ。

 唸り声を上げた魔狼は、地面を蹴って舞い上がる。

 魔狼は空中で一回転すると、矢のような魔法を連続で放ってきた。

 無数の矢が、木々を切り裂きながらブラッドに迫る。

 その威力と速度に感心しつつ、ブラッドは攻撃をかわした。

 魔法の矢は止まない。

 もちろんブラッドだって、逃げているだけではきりがないと承知している。


「【裂風(れっぷう)】」


 踵を返しながら魔法陣を描いたブラッドは、周囲の空気を一瞬で操り、最強の風魔法を発動させた。

 風塵が猛烈な速度で舞い上がり、魔狼の視界を完全に塞ぐ。

 動転した魔狼が吠えたため、攻撃に隙が生まれた。

 ブラッドはその機会を逃さず、風の力を一点に集中させた。


「奪われた苦しみから解き放たれろ」


 静かに呟いたブラッドが、風魔法の刃を魔狼に向かって放つ。

 巨大な刃は月光を反射させながら突き進み、目にも止まらぬ速さで魔狼の巨体を貫いた。


『グアアアアアアッッッ……!!』


 断末魔の雄叫びを上げた魔狼が、大地を震わせながら地面に倒れ込む。

 あまりの振動に森全体が揺れ、鳥たちは一斉に夜空へ羽ばたいた。

 静寂は、数秒遅れてやってきた。


(……さて、問題はこの後だな)


 振り返ると、口をあんぐりと開けているジャムベリーと目が合った。


「し、信じられない……。Aランク魔物の魔狼を、いとも簡単に倒してしまうなんて……! ブラッドさん、あなたは一体……!?」


 正体を明かす気のないブラッドは、無言のまま肩を竦めてみせたのだった。

本日、まだまだ更新します。

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