引き金
【この戦場では死だけが救いだ】
額に押し当てる銃口、震える右手、溢れる涙。
動かなくなった戦友に対して、僕たちが出来ることが安らかに眠らせることだけ。だから、僕が行っている行為は間違っていない。間違っててはいけない。これが、僕がこの世界で生きる唯一の理由のだから。
この世界は平和そのものである。そう考える人が多数でも可笑しいことはない。少数の人間は生活に困窮していたとしても、大多数の人間は不自由なく暮らすことが出来る。武器も戦争も殺しが非日常的な事象である限り、この世界は永久の平和を語るだろう。
しかし、人が語る【平和】は誰かの力によって成り立っていることも事実である。
政治家や資産家、実業家に労働者。彼ら一人ひとりの思惑という歯車が上手く回っているだけであって、彼らなしでは平和と人類は存続することが出来ないだろう。
僕たちは、そんな平和の為に動く歯車に過ぎない。
照りつける太陽と一滴もない水の土地に取り残されて、もう3日は経つ。
身体は限界を迎え、視界不良もいいところだ。こうやって歩けているのも、ただただ生に縋っていることに過ぎない。
「なぁ、楓。救助は来ると思うか?」
背後から聞こえる干からびた声の持ち主は、僕の名前と素朴な疑問を豪速球で投げてくる。ただでさえ疲れて会話する余裕もない僕に対して、その手は悪手である事を理解できないのだろうか。
「どうだろう。流石に教官たちも捜索はしてくれていると思うけど…」
生気のない返事を受け、背後の人物はまた黙り、僕の足跡をなぞるように歩みを続ける。
雲ひとつない青空には、光り輝く太陽以外に希望は見いだせない。分かりきっていたことだが、あまりにも現実は残酷だ。
会話のない旅は、遥かに長い時間の針を進ませると共に歩みを勧める。今の僕たちが出来ることはそれだけだった。
日が沈みゆく頃、やっとの思いで見つけた洞窟内では3日ぶりの水分と食事に恵まれ、僕たちは少しの時間回復に専念することにした。
簡易的な拠点を作り、簡単に火を起こし、少量の収穫を話す。
火の明るさで輝く深緑色の男は、自身が採ってきた植物と動物の肉を、品の欠けらも無いような食べ方で体調のメンテナンスを行っている。
「てかよー、もう3日も経つのに捜索隊の足跡も見つかんねぇよなー」
ふてぶてしい表情を見せ、獣肉をかぶりつく。
彼の言うことは一理ある。月1の演習で功績を残した2人に対して、あまりにも惨い仕打ちである。
「知弥、僕たちはこれからどうなるんだろうね」
「楓が弱気になるなんて珍しいな。」
知弥と呼ばれた緑髪の青年は、疑問と単純な好奇心を孕んだ眼差しを、年齢に似つかない白髪の青年"楓"に向ける。
楓は言葉を聞くなり、恥ずかしそうに下を向きながら野草を食べ続けている。
火の音だけが聴こえる食事を終えた彼らは、地面に布を敷いただけの簡易的な寝具で横になる。
ぽっかりと穴の空いた天井には無数の星が煌めきを放ち、月光の下静かな時間が流れている。
適度な緊張により身体を思うように休めることができない二人の瞳には、いつ死ぬかも分からない恐怖と綺麗な星空が映っている。
「楓、もし俺が死んだらお前が殺してくれよ」
「もちろん。僕が死んだ時はよろしくね。」
数秒先、数分先、数時間先、数日先、数年先。僕たちの命が世界にあるかを証明するものは無い。それどころか、僕たちの命はそこまでの優先事項では無い。もし、この場で死んだとしても教官や家族は何も感じないんだろう。明日も、明後日も誰かが死んで、誰かが生まれる。それだけなんだから。
気が遠くなるほどの不安に押しつぶされながらも、やっとの思いで辿り着いた眠気の領域。この数時間、瞬き以外で閉じることが出来なかった瞼をようやく閉じることが出来る。
ゆっくりと暗くなる視界。ようやく、今日を終えることが出来る。
「ッ!?」
視界が半分以上暗闇に染った時、確かに見えた。赤い煌めきが。奴が来る。
知弥よりも一歩先に気付いた楓だったが、身体を休める態勢になっていた以上、思い通りに体が動かない。
その瞬間はまさに刹那だった。
「知弥!!」
まるで時が止まったように、スローで見えるこの世界の中で起こった出来事は、当たり前であり非日常的。常人に理解などできるはずがない。
奴の着陸先は、数メートル先で眠る知弥の上。
飛び散る血液と片腕。叫び声も怒号も発することなく消えかけた灯火を目の前にして、僕の意識は完全に終わりを迎えた。
「殺すっ!!!!」
腰からに掛けてある鞘から純白の剣を抜き、全速力で砂煙の中へ潜り込む。
目標の場所も把握出来ないまま、突っ込んだ僕の選択は100%間違いではなかった。煙の中に感じる殺気に与えた渾身の一振は確実な手応えを感じた。
消えない砂埃の中から現れたのは、見るに堪えない姿になった知弥を抱きかかえた楓。背後には、首のない人体が落ちている。
自分の戦果に見向きもせず、近くの岩場に知弥を寄りかからせ、応急処置を行っている。
「息はある…。帰ってこい。お前はまだ15だろ!」
微かにある命の灯火を復活させる為に、限りある応急処置の道具を惜しみなく使う。
包帯を巻くけど、血が止まらない。
傷口を塞ぐけど、血が止まらない。
呼吸をさせるけど、動かない。
声掛けをするけど、動かない。
なんで、なんで。
無情にも過ぎる時間と、刻々と迫る命の限度。
手元に残る消毒液も、止血剤も意味を成していない。
「知弥、戻ってきてくれよ。きっと、いや絶対に迎えが来るから!」
15年という短い時間で命を散らしていいわけが無い。生きる意味なんてない世界なんてない。だから、だから起きてくれ。
この世界は時に優しくなる。どうしようもない不安感と焦燥感を慰めるように、知弥の目が薄く開き、力無き唇が動く。
「楓、俺を殺してくれ」
やっとの思いで出た言葉は、命を繋ぎたい想いではなく散らしてくれという願い。
「何言ってんだよ!まだ、まだやり残してることがあるだろ!学校に帰って、授業受けて、学園祭も、生徒ランクも上げなきゃ行けない!いや、僕が討伐した奴は上級だった!絶対に昇進できる!弟さんたちも喜ぶぞ!だから…」
溢れ落ちる涙を、血に濡れた左手で拭った知弥の顔は、諦めと何かを渇望する希望の瞳になっていた。
「この世界で、救いは、たったひとつ、死ぬ、ことなんだ」
「なにを…」
「この戦争は、きっと終わらない。遅かれ、早かれ、死ぬのなら、友人の、親友の、手で死にたい」
僕に向けられた笑顔は、嘘偽りない心の底からの願いの象徴。
そうか、そうだった。
僕たちがこの世界で生きる意味はこれしか無かった。
涙を拭い、知弥のホルダーから銃を抜く。
構えて、引き金を引くだけ。それだけで知弥は報われる。
そうだ、僕が戦友を幸せにしなければならない。
「出来ないよ…」
構えた腕は垂れ下がり、足元に銃弾が放たれる。
間一髪のところで足には当たらず、地面に小さな穴を空けるだけだった。
「撃つことなんて出来ない。」
溢れる涙で視界が遮られるが、しっかりと知弥の笑顔だけは視界に入っている。
「楓、ゆっくり標準を合わせて」
不思議だった。自然と腕が上がり、訓練時のように落ち着いた気持ちで銃を構えた。
「外さないように、額に、銃口を当てて」
戦友の額に銃口を押し当てる。
「そう。そのまま、引き金を引いて」
震える右手。今にも消えそうな意識。
「死ぬ為に、生きる。この世界を、変えて、くれ。」
この先の記憶は無い。
彼との最期の記憶は、引き金を引く数秒前の笑顔。
『"髙田 知弥"の死亡を確認。及び"晴咲楓"の保護が完了しました。学園へ帰還します。』
任務ランクD
内容:エリア94で確認された敵部隊の偵察
報酬:150,000円
期間:5月10日〜5月20日
死者:髙田知弥男性.15歳
《死因》:敵の攻撃及び銃殺