《プロローグ:始まりの合図》
ジリリリリリ、と昔懐かしい列車のベルのような音。
ほんのわずかに体が揺れる感覚。
いつも寝ているときとは違う異様な雰囲気を感じて私は目を開けた。
見たことない高級感漂う室内。私の身を包んでいるのは新品の洗い立ての香りがする小綺麗なシーツ。慌てて上半身を起こしてみると、自分の部屋ではない。狭めの個室にデスクと洗面台まで備わっていた。まるで最近ニュースで見た、少し豪勢な、寝台列車の客室のような―――――。
そこまで考えてハッとする。この体が揺れている感覚、まるで列車に乗っているみたいだ。慌ててベッドから出て窓にかかっている分厚いカーテンを開ける。
そこにはネオンで色づく街並みが過ぎ去っていく景色が見えた。
(私、いつの間に列車に……!?)
焦って記憶をさかのぼってみるも、授業が終わって学校からまっすぐ帰った情景しか浮かんでこない。けど今は制服じゃないし、髪も束ねてない。
顔をあげた瞬間、首の後ろにズキッと鋭い痛みが走る。
「い、た……。」
触れてみると、わずかに腫れていた。
(どうして、こんなところが?)
ここまで状況証拠がそろっていて考えつくことは一つ。
「私、誰かに連れ去られた……?」
でもいったい誰が、どうして私なんかを、どうやって?
連れ去られる原因も見当たらないまま、私は唖然とするしかなかった。
そうしていて、どれだけの時間がたっただろう。
とにかくなす術がなくて、私はひたすらすぎていく街並みをぼーっと眺めていた。
(まるで小説みたい。本当にここで殺しが起きたりして。)
そこまで考えて首をぶんぶんと振る。だって物語なら確実にこの状況下で殺されそうなのは私だし、殺しが起きたとして疑われるのも多分私だ。
とりあえずだんだん頭は落ち着いてきて、情報を整理できるほどにはなった。
(ここでこうしていても仕方がない。怖いけれど……。)
何もしないよりはまし。そう思って意を決してこの客室の外に出てみることにした。
幸いなことに、客室のドアには鍵はかかっていない。
そうっと引き戸を開け、外の様子を見渡した。夜も深まっているからか廊下はしんと静まり返っていた。
警戒しながらも私は廊下へと一歩踏み出す。私が出てきた客室と同じ方向にすべて客室はあるらしく、ドアがずらりと並んでいた。そして向かい側に一定間隔でついている窓。
「……すごい、本当に寝台列車だ。」
まさしくオリエント急行の殺人に出てくるような、そう続けようとして口を閉じる。
この列車の進行方向。どうやら次の車両へと続く通路の方に扉越しに人影がよぎるのが見えた。
それを見て人がいたという安心感と同時に、緊張と不安が同時に襲ってきた。よくよく考えてみたら、なぜこんな静まり返っている時間に人がいるのだろう。
(誰かいるのなら、話ができるかも。)
そう思い怖さもありつつも、休んでいるのであろう人たちのことも考え、なるべく足音をたてないよう慎重に進んでいく。
やがて話声が聞こえる距離まで来たところで、その人影がまとう異様な雰囲気に気が付き、自然と足をとめていた。
張り詰めた空気に、徐々に鼓動が早まっていく。
よくよく聞くと二人の人物が話しているらしく、両者とも細々としたささやき声なので男女の区別もつけることができなかった。
どくどくと脈を打つ心臓の音を聞きながら、それでも近づけるギリギリの扉近くまで近づいて耳を澄ます。
そして何とか聞き取れた単語は。
「……復讐、してやる―――――。」
ひときわ強く、脈を打つ音が体に響いた。
(……え、復讐?)
この記憶のない私の状況に加えて、寝台列車、さらに復讐という不穏な三拍子がそろってしまった。
もう一人が必死になだめているような声が聞こえる。それでも復讐してやると語った声の主の心は変わらないらしく、さらに語気を強めてこういった。
「――――――五十鈴川璃乃。」
聞こえたのは、私の名前。
何もかもが訳の分からない状況の中、私は頭の中を整理しようと必死になる。
話している二人は乗客で、列車が走り始めてしまっている以上復讐される相手はこの列車にしかいない。さらに私の名前が出たってことは、復讐相手は、私ってこと?
復讐劇など小説の題材になることはあっても、現実でやっていいわけがない。もし本当にここに来るまでの記憶のない私がターゲットになっていたら……。そう考えても怖い。けど怖いものほど知りたくなるものだ。
さらに情報を得ようと近づこうとするも、私はあろうことかぎしっと床板から音を立ててしまう。
当然話していた二人の会話は止まる。
「……だれ?」
復讐、そう言っていた声の主が近づいてくる気配がした。
もはや話を聞けるどころの騒ぎではない。背中を冷たい何かが伝う。何となくの予感だけれど。
(逃げたほうがいい気がする……!)
踵を返して足音を気にすることなく廊下を走る。そんなに距離がないはずなのに長く感じるのは得体のしれない恐怖のせいだろうか。
先ほど目を覚ました、この車両の後ろから二番目の部屋の前を通り過ぎて後方車両へと続く扉を開けた。とにかくこの場から離れたいということしか頭になかった私は開けた先にいた人物に気付かず、躊躇なくぶつかってしまう。
「っっっ……!?」
ぶつかった反動で後ろにしりもちをつくような形で転んでしまった。
いくら何でも不注意すぎる。
ぶつかってしまった人に謝ろうと顔をあげると、そこには怪訝そうな面持ちでたたずむ青年がいた。
こちらを見つめる瞳は少々冷ややかなものを感じるも、ほんの少し心配そうな表情が見え隠れしているように見える。さらに、多少は顔が整っているために窓から差し込む月明かりがアクセントになって、何やら神秘的な雰囲気を青年にまとわせていた。
そして、それ以前に。
(……この人、どこかで見たような。)
そんな不思議な懐かしい感覚を抱いたまま、見つめ続けていると相手から話しかけてきた。
「……おーい?大丈夫?」
しゃがみ込みながら顔を覗き込んでくる青年。何とか正気を取り戻し、立ち上がると慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!ちょっと人に追われてるかもしれなくて、それで、その……、本当にごめんなさい!」
「……、追われてるかもしれない?」
そのあとしばらくの間、流れる沈黙。
「……、あ、あの、ケガとかは……?」
沈黙に耐え切れず顔をあげるとその青年は私を見ていなかった。少し冷めた目でどちらかというと、私が走ってきた廊下の奥を見つめている。
(そうだった、私恐ろしい情報を聞いて……!)
状況を確認しようと思い後ろを振り返る。
けれどそこにあったのは人気のない静かな闇に包まれた扉の先。
「……、誰もいない?」
確かにさっきまで、列車をつなぐ扉の先に人がいたのだ。
話し声も、細々とだったけど聞こえていたはず。
「誰もいないけど。」
私を見る青年の目線が、口調が、少し怪しげなものを見るようで痛い。
「でも確かに、さっきまで人がいました!」
「いないじゃん。ていうか人がいたぐらいで何をそんなに騒いでるの?」
「だから、それは、その、えっと……。」
そこで私は言い淀んでしまう。車窓から見るに夜もかなり更けているし車内は私たちがしゃべっていなければ物音ひとつ聞こえてこない。
(……こんなに騒いでる私の方が不審者みたいでは?)
それにこの人は初対面。私が聞いた復讐という言葉が、もしかすると気のせいかもしれないし、話しても信じてもらえないかもしれない。
その上私は記憶がない。どこかの見知らぬ誰かにここに連れてこられた以上、周りのことなど信用できるわけがない。
悩んだ末に黙り込んでしまった。
「…………。」
「黙ってても何もわからないんだけど。何もないなら―――――。」
彼はそう言いながら背を向ける。
(……でも、でもその謎全てを、そのままにしてもいいの?)
そう考えてハッとする。
何もかもわからないままで、終わっていいのか。
私は無意識に彼の腕を掴んでいた。
とにかく手がかりが欲しくて外に出たのに、ここで終わるわけにはいかなかった。
わからない。どんな風にいつも過ごしていたのかも。
私がどんな性格だったのかも。
だとしても今行動しないのは私らしくないと、素直に思ったからだ。
「ちょ、は?いきなり何?」
この状況に、負けたくなんてない。
戸惑う彼に構わず私は意を決してこういった。
「あ、あの、私、ここに来るまでの記憶がなくて!」
「……はあ。」
「目が覚めたら、寝台列車の一室に寝ていたんです。」
「…………はあ?」
「さらにさっき人がいると思って近づいたら、何やら物騒な話が聞こえてきて。」
「何、物騒な話って。」
「――――――復讐、してやるって……。」
「……。」
そこでさっきまで怪訝そうだった彼の顔色がさっと変わる。
「それに私の名前も聞こえてきたんです。もっと聞き出そうとしたら、その、気付かれてしまって。それで追われてるかもしれないって言ったんです。」
どこまで信じてもらえるかわからない。ましてや彼もどこの誰かもわからない。だけどこの人が声をかけてくれた優しさは、感じた懐かしさは、嘘じゃないと信じたいと思う。
何より、何もしないよりはましだと思った。
(疑うよりも、まずは誰かを信じなくちゃ。)
「……。」
しばらく彼は無言だった。が、やがてため息をつく。
「そんなミステリーみたいな展開あるの?」
ボソッとそう呟いた。
私が目を覚ました時に考えたことと全く同じことを考えていたとは。
とっつきにくそうな印象からは想像できない発想に思わずくすっとふきだすと、じろりとにらまれる。
私はあわてて笑いを引っ込めた。
「ご、ごめんなさい……、まさか同じことを考えていると思わなくて。」
「寝台列車に記憶のない乗客、それに復讐っていうワード。これだけそろってて何も起きないって方がおかしいでしょ。」
真面目な顔をしてそう考えこんでいるものだから再び笑みがこぼれる。
ここにきて初めて笑った。ちょっとだけ、緊張の糸がほどけた気がした。
しかし再び話は戻る。
「で、ましてや自分が復讐のターゲットで、狙われてるかもしれないっていうんだ。」
「……端的に言えばそうなるかと。」
「考えすぎ、で片づけたいけどね。」
ここまで会話して、私はふと気が付く。
「……私の話、信じてくれるんですか?」
そういうと、彼は自然が増えてきた車窓からの景色を眺めながらこういった。
「もちろん君の妄想のし過ぎで片づけることもできる。けどこの寝台列車自体が稀有な存在だから、今のところ何とも言えない。」
「……どういうことですか。」
この列車自体が稀有な存在?どういう意味だろうか。
「……こいつも含めて謎ってことか?だとすると……。」
「あの、よく聞き取れなかったんですけど……。」
そこで彼の顔がグイッと近づく。じろじろと見られてあまりいい心地はしない。
「な、何ですか、私の顔に何かついてます?」
「いいや、何でもない。」
そういうと彼は離れて再び考え込んでしまう。
状況に置いてけぼりになる私。しばらくの沈黙の後、彼は口を開く。
「名前は?」
「え?」
「だから、君の名前。」
「えっと、五十鈴川、璃乃、です……。」
「璃乃、ね。それ以外に情報は?」
「さっきも言った通り記憶がないんです。名前以外、なにも思い出せなくて……。」
「……。」
「多分学校には行ってたはずなんですけど、どこで着替えたのか私服姿だし……。」
「ふーん……。」
そういうと彼は私が逃げてきた方向へと歩き出した。
「え、ちょっとどこ行くんですか?」
「眠いし寝る。もう夜中だから。」
「ここまで聞き出しておいて?そんなちょっと待って!」
慌てて追いかけると彼は一つの部屋の前で足をとめた。私が寝ていた部屋の隣の部屋。そしてボソッとつぶやく。
「美浜綴。」
「……え?」
「俺の名前。とりあえず今日はもといた部屋に戻ったら?話すなら明日にでも―――――。」
そこで私はとある違和感に気付く。
(なんだか、列車の進むスピードが遅くなっているような。)
「あ、あの美浜さん!」
「名字で呼ばれるのは好きじゃないから綴にして。」
「じゃ、じゃあ綴さん、なんかこの列車変じゃないですか……?」
そこで綴さんは引き戸にかけていた手をおろしながらため息をつく。
そして呆れた顔でこちらを見た。
「あのさ、さっきも言ったけどこの列車自体が稀有な存在なんだって。多少変でもそれが気にならないくらいにはね。」
「さっきから言ってますけど、この列車のどこが稀有なんですか!?何も説明してくれないからわかんないんです!」
「声が大きい。もう少し自重してくれない?どうせ明日にはわかるから。」
そう言われてもますます不安は募るばかり。この状態で元の部屋に戻っても、恐怖におびえるしかないから少しでも自分の状況を把握しておきたいのに。
その時だった。
列車が止まるときに鳴る、ブレーキ特有の音。
直後、ガタンと鈍い音を立てて止まる列車。
「……!?」
危うく転びそうになって通路についていた手すりを慌てて掴んだ。
「うそでしょ。」
「……列車まで止まるとか、まさにミステリーだな。」
そう呟いた綴さんの表情はどこか生き生きとしているように見える。
それが私たちの長い永い旅の、始まりの合図だった。