8. 嘘と涙と吟遊詩人3
色々とゴタゴタしているうちに、気がつくと時刻は夕刻の鐘が鳴る頃合いになっていた。それは、アイリーシャとミハイルが待っていた目的の時間だった。
実はこの二人は単にデートをしていた訳ではなくて、この国に長く根付く出自による選民意識を改革するある計画の為に動いていたのだ。
このシュテルンベルグという国は昔はミューズリーという国と二つに分かれていたのだが、今から百年ほど前に、シュテルンベルグがミューズリーを吸収する形で一つの国になったのだが、そのせいか今でもミューズリー出自の者を蔑む風潮が残ってしまっていて、アイリーシャもミハイルも、そんな風土を変えようと、市井の中にミューズリーのイメージ向上に繋がる流行を作ろうと計画していたのだ。
そして今日は、その計画を実行するのに必要な吟遊詩人を選別しに街に訪れていて、その目当ての詩人が人前で歌を披露する時刻が、直ぐそこに迫っていたのだった。
「時間ですね。そろそろ中央広場の噴水へ行かないと。」
「ええ、そうですわね。だけど……」
アイリーシャはチラリと従姉妹の方を見た。このような状態のマグリットを一人で帰す訳にはいかないと思ったのだ。
そしてその考えはミハイルも同じだったようで、二人はとりあえずマグリットも一緒に連れて、当初の目的である中央広場の噴水前へと移動したのだった。
「成程。それで街で話題の吟遊詩人の歌を聴きに来たのが貴女たちのデートの目的だったのね。」
「えぇそうなの。お兄様が”人を惹きつける魅力のある詩人だ”って言ってましたからきっと楽しいと思いますわ。マグリットも一緒に聴きましょう?」
目的の場所に向かう途中で、アイリーシャはマグリットに自分達が街に何しに来たかを説明し、それから彼女も一緒にその詩人の歌を聴いていこうと誘っていた。
市井で人気がある吟遊詩人なのだから、きっとその歌声はマグリットの心を癒してくれるだろうと、アイリーシャはそう思ったのだ。
「アルが褒めるなんて期待ができるわね。でも……いいの?折角二人での外出だったのに、すっかり邪魔してしまって悪いわ。」
「そんなことないわ!私もミハイル様もマグリットと一緒に聴きたいわ。ね、そうですよね、ミハイル様!」
「あ……えぇ、そうですよ。折角の機会ですからマグリット様もご一緒しましょう。」
二人に気を遣わせてしまっているなという自覚は有り有りとあったが、それでも今の自分にとって二人の優しさは有難かった。
マグリットは、一人になると泣いてしまいそうだったのだ。
だから彼女は二人に素直にお礼を言うと、有り難くアイリーシャ達からの提案を受け入れたのだった。
三人が中央広場に到着すると、広場には既に人だかりが出来ていて、その中心には派手な帽子を被って顔に道化師の化粧をした銀髪の男が手に持ったリュートを持って立っていた。
その人が、アイリーシャ達の目当ての詩人だった。
ゴーン ゴーン…
広場に時刻を告げる鐘の音が鳴り響いた。
それを合図にして夕刻の鐘が鳴り終わると、詩人は群衆に向かって優美に一礼をしてから手にしたリュートを掻き鳴らして、美しい声で歌を歌い始めたのだった。
その歌はとても陽気な曲調で始まった。
それは遠い異国の民族民謡をシュテルンベルグに合わせてアレンジしたもので、男は弦を軽快に掻き鳴らし、伸びやかな声で詩を紡いだ。
男の人にしては少し高く、まるで鈴のように透き通った美声が夕暮れの空に響き渡り、子供も大人も老人も、男も女も、周囲の人全てが、彼の歌声の虜になっていた。
そしてそれは、この三人も例外ではなかった。
「これは……確かに素晴らしいですね。群衆の心をこれだけ掴むのも凄い。」
「えぇ……こんなに美しい歌声は今まで聴いたことは無いですわ。」
ミハイルとアイリーシャは感嘆の声を上げ、マグリットも思わず息を呑んで聞き惚れてしまった。
それ程までに、この詩人の技量は本物だったのだ。
そして気がつけばあっという間に半刻程の時間が過ぎていて、本日最後の歌を歌い終わった詩人は、群衆に向けてお辞儀をすると、熱気を残したまま颯爽とその場から引き上げて行ったのだった。
「追いかけて、話をしましょう!」
歌声の余韻に引っ張られて、うっとりとしていたアイリーシャだったが、詩人が去っていくのを見るとハッとして、慌てて隣に居るミハイルにそう提案した。
ミューズリー出自の国民に対する蔑視の印象を変えるために流行を意図的に作るのだとしたら、適任はこの人しかいない。彼の歌声を聴いてそう確信したのだ。
そしてその思いはミハイルも同じだったようで、彼は「えぇ」と頷くと、先頭を切って吟遊詩人を追いかけたのだった。
大通りから路地に入った詩人を、ミハイルは人の波を縫いながら見失わないように追った。そしてその後をアイリーシャとマグリットも懸命についていく。
この詩人と絶対に話をしなくてはならない。ミハイルとアイリーシャそんな必死の想いで詩人を追ったが、マグリットは完全に成り行きだった。
良く分からぬまま彼女は、逸れないように、前を走るミハイルの背を必死に追った。
「すみません、ちょっと話が……」
「私に……何か御用ですか……?」
人通りが少ない脇道に入った所で、ミハイルは詩人に追いついて声をかけて振り向かせることに成功した。
すると詩人は不思議そうに首を傾げてこちらを眺めていたが、足を止めてどうやら話を聞いてくれそうだ。
吟遊詩人に無事追いついた事にミハイルは胸を撫で下ろしたが、しかし安堵したのも束の間、後ろからか細い声でマグリットが不穏な事を告げたのだった。
「待って、ミハイル様……リーシャが居ないわ……」
ミハイルが後ろを振り返ると、そこには確かにマグリットしか居ないのだ。
詩人を追うのに夢中で、ミハイルはアイリーシャの手を離してしまっていたのだ。
「あの子、方向音痴だから……きっと、迷ってるわ……」
不安そうに呟いたマグリットの言葉にミハイルは青ざめた。彼女の兄アルバートからもキツく言われていたのに、それなのに彼女の手を離してしまったのだ。
ミハイルは自分のミスを酷く悔いたが、今は落ち込んでいる暇はない。
「マグリット様すみません、ここに居て、引き止めておいてください!!」
そう言い終わらないうちに、ミハイルはマグリットをこの場に残し、脇目を触れずに来た道を急いで戻って行ったのだった。
「えっ?えっ?!」
この場に一人残されてしまったマグリットは、ただ困惑するしかなかった。
一体どうしろというのだ。
マグリットは途方に暮れて、それから隣に立つ道化の化粧をした吟遊詩人の方に目をやると、彼もまたマグリットの方を見ていたので二人はバッチリと目があった。
そしてこの状況に困惑していたのは彼も同じようで、詩人はマグリットに対して肩をすくめてみせたのだった。