5. 街歩きデート
マイヨール家での従兄妹会から十日程が経ったある日、マグリットはお気に入りの白い麻のワンピースに身を包み、恋仲である伯爵公子のローランと一緒に王都の中央広場で開かれているバザールに訪れていた。
賑やかで活気のある市場には、平民も貴族も買い物を楽しむ人々で多く溢れ、仲睦まじく露店を見て回っているカップルも多く、マグリットもローランと一緒でそんなカップルのうちの一組であったのだが、しかし彼女の表情はどこか冴えていなかったのだった。
「折角久しぶりにこうして二人で会えたのに、なんだかマグリットは暗い顔をしているね。僕は君と会うのを凄く楽しみにして居たのに、もしかして君は違ったのかな?」
「そんな事ないわ、ローラン!私だって貴方と会いたかったわ!」
二人で会うのは実に二週間ぶりだと言うのに、マグリットのその表情には訳があった。
彼女は、あの従兄妹会の後、連日に渡って父であるレルウィン侯爵に、ローランと会ってくれるように懇願しているのだが、いくら可愛い娘のお願いだからといってもそれだけは認められないと、侯爵は理由も言わずに頑なに娘の願いを聞き入れなかったのだ。
その事をずっと気に病んでいて、折角ローランとのデートなのにマグリットは心から楽しめないで居たのだった。
「そっか……侯爵様はそんなにも、僕との縁談を快く思っていないんだね。」
「ごめんなさい。お父様はきっと何か誤解されているんだわ。会ってさえくれれば、絶対に貴方の良さが伝わるのに……」
「君が謝る事じゃないよ。僕が伯爵家の次男で、地盤も後ろ盾も何も無いから侯爵は心配なんだよ。」
ローランはそんな彼女を優しく気遣って、自分の非力を嘆くマグリットを慰めると、彼女の手を取って真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「大丈夫だよ、マグリット。この事業が成功すれば、きっと侯爵も認めてくれるよ。だからそんな顔しないで。君には笑顔でいて欲しいな。」
「うん……。ローラン、応援してるわ。」
「有難う、君との未来の為に、僕は頑張るよ。」
そう決意に満ちて話すローランに、マグリットは微笑んだ。
彼の言う事業という物がイマイチ分からなかったが、それでも、真剣な眼差しで将来を語るローランの想いが嬉しくて、マグリットは彼に心を預けたのだ。
それから二人は、気を取り直して広場で開催されている市場の露店を見て回った。異国の商人も多く、見たこともない珍しい品々にマグリットもローランもすっかり夢中になり、先程の翳りのある顔が嘘の様に、二人は笑顔だった。
ローランと一緒に居る時間はとても楽しくて、マグリットはこの時間がずっと続いて欲しいと思った。
「どうかな?何か気に入った物はあったかい?」
バザールをとりあえず一通り見て回ると、二人は休憩とばかりにベンチに腰を下ろして仲良く見た物の感想を言い合って居た。そんな中でローランは、横に座るマグリットを愛おしむ様に見つめると、彼女に興味を惹かれた物について訊ねたのだった。
「そうねぇ……」
マグリットはローランからの問いに、目にしてきた異国の珍しい物や、綺麗な宝飾品を思い返してみた。すると、脳裏にはパッと中央部付近の露店で見かけた精巧な銀細工の髪飾りが浮かんだのだった。
「あそこの露店で見た髪飾り、あれが素晴らしいかったから、もう一度見たいわ!」
「じゃあもう一度見に行こう!あの髪飾りは君に絶対似合うと思うよ。僕から贈らせて貰えないかな。」
ローランはマグリットから欲しい物を聞き出すと、彼は嬉しそうに彼女の手を引いて、目当ての店へと誘った。
マグリットに贈り物をする。それがローランの目的だったのだ。
「ローラン、あの髪飾りを私にプレゼントしてくれるの?」
「あぁ、受け取ってくれるかな?」
「えぇ。勿論よ。とても嬉しいわ。」
彼に手を引かれながら、マグリットはローランの心遣いに幸せを感じて居た。恋物語の中の恋人たちの様に、ローランはマグリットが理想としていたエスコートをしてくれるのだ。
ずっと憧れて居た街歩きのデートで、好きな人が自分に優しくしてくれるなんて夢の様で、マグリットは父親の事は一旦忘れて、今はとにかくこの二人の幸せな時間を大切に楽しみたいと思った。
そんな幸せを噛み締めながら、マグリットが目当ての装飾品の露店の前に到着すると、彼女は全く予想もして居なかった良く見知った人の姿を、店の前で見つけたのだった。
「……リーシャ?」
マグリットが思わず声をかけると、振り返ったその姿は、思っていた通り従姉妹のアイリーシャであった。
「まぁ、マグリット!こんな所で会うなんて思ってなかったわ。」
「私もよリーシャ。貴女もデート中だったのね。」
「で、デートだなんて……ええっと……そう……なのでしょうか?」
偶然街で出会った従姉妹のアイリーシャは顔を赤くして恥ずかしそうに横に立つ婚約者のミハイルの方をチラリと見ていた。
勿論アイリーシャはこれをデートのような物だと思っていたが、果たして隣に立つ彼も同じ気持ちだったのか、自信がなかったのだ。
けれどもそんな心配はアイリーシャの杞憂で、ミハイルはアイリーシャにニッコリと微笑みかけると「えぇ。少なくとも私はそのつもりでしたよ。」と実にさらりと告げたのだった。
そんな二人のやり取りをマグリットは微笑ましく思い温かい眼差しで見守った。
そして当たり前のようにアイリーシャと手を繋いでいるミハイルを眺めると、二人の間に流れる空気感から、(あぁ、私の可愛い従姉妹は本当に幸せな婚約をしたのだな)と、姉の目線で安堵したのだった。
「それはそうとミハイル様、ご存知だと思いますが紹介しますね。こちら、私の従姉妹のマグリットです。」
顔の赤みが引かないまま、アイリーシャは誤魔化すように話題を変えた。
ミハイルとマグリットは、マグリットも王太子殿下の婚約者候補であった事から王太子の側近であるミハイルと面識はあったが、きちんと対面するのはこれが初めてなのだ。
だからアイリーシャは形式的に、先ず爵位が上のミハイルに、従姉妹のマグリットを紹介したのだった。
「えぇ、マグリット様の事は存じています。けれど言葉を交わすのは初めてですね。マグリット様、改めましてミハイル・メイフィールです。」
「こんにちはミハイル様。お姿はいつも殿下の側に控えている所を拝見しておりましたわ。ご婚約おめでとうございます。どうか、可愛い従姉妹をよろしくお願いしますね。」
こうして二人がお互いに挨拶を交わしているのを見届けると、次にアイリーシャは、従姉妹の後ろで彼女を見守るように立っている男性に気付いて、マグリットに彼を紹介するようにと促したのだった。
「マグリット、そちらの方がひょっとして……?」
「えぇ、二人に紹介するわね。私の彼の、ローラン・リーベルト様よ。」
マグリットはアイリーシャからの問いを受けて、爵位の低さから後ろに控えていたローランを前に出すと、アイリーシャとミハイルに紹介をした。
そして、マグリットからの紹介を受け継ぐ形で、ローラン本人も貴公子の微笑みを浮かべると二人に対して丁寧に自己紹介をしたのだった。
「お初にお目にかかります。リーベルト伯爵家次男、ローランでございます。メイフィール公子、アイリーシャ様お会いできて光栄です。」
ローランは、人当たりの良い笑顔を浮かべながら、柔らかい物腰でミハイルとアイリーシャに対して恭しく頭を下げた。
親しみやすい雰囲気を醸し出して穏やかに話す彼のその様は、一目見て人を惹きつける才があるとミハイルに思わせる程だった。
「そうだわ!ミハイル様。ローラン様がミハイル様に相談に乗って欲しい事があるそうなんです。約束の時間までにまだ時間もありますし丁度良い機会だから、どこかでみんなでお話をしたらいいのではないでしょうか?」
不意にアイリーシャが、先日マグリットから頼まれていた事を思い出して、良い事を思い付いたという顔でそんな事を提案したので、マグリットは思わずミハイルの顔色を伺ってしまった。
「え、えぇ……確かにローランはミハイル様に相談があるそうですが……」
「はい、ミハイル様がお話を聞いてくださると有り難いのですが、しかし……今で大丈夫なのでしょうか……?」
マグリットとローランは顔を見合わせて言い淀んだ。
ミハイルは王太子殿下の側近という事もあって、常に忙しく中々休みも取れないのだが、そんな彼が婚約者と過ごすために勝ち取った貴重な時間に、急に別の予定を組み込むのは少々酷なのでは無いかと、彼に対して申し訳ない気持ちを抱いたのだ。
アイリーシャにしてみれば、これは忙しいミハイルにわざわざ別の時間を作らせるのはよろしくないと考えた彼女なりの気遣いであったのだが、しかし当のミハイルは、マグリットの思う通り、それによって二人で過ごす時間が減ってしまう事を残念に思っていたのであった。
けれども彼は可愛いアイリーシャの頼みならば断れる訳がなかった。
「……それでしたら、場所を用意しましょうか。」
ミハイルは少しだけ困ったような顔を見せたが、直ぐに気を取り直すと、落ち着いて話が出来る場所として三人を馴染みの店へと案内した。
そこは、中央通りにほど近いメイフィール家の古くからの御用達の店で、急な来訪にも関わらず、ミハイルがなにやら支配人に頼むと、四人は直ぐに個室へと通されたのだった。