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閑話 マグリットの憂鬱

マグリットが婚約して暫く経った頃の話です。

 いつもの時間、いつもの場所で、今日も彼の姿を眺めていた。


 彼が歌う噴水前からは少し離れた場所だけど、彼の声は遠くまでよく通るので、ここでも十分に彼の歌声を堪能出来るのだ。


 私の婚約者であるウィルフレッドは、訳あって道化師の化粧をして身分を隠しながら、街中で吟遊詩人として歌を歌っている。


 私はそんな彼の歌っている姿を見るのが好きだった。


 しかし、最近ちょっと気になることがあるのだ。


 毎日、最前列で彼の歌を聴く女の子が居ることに気付いたのだ。



「ウィル……今日もあの女の子来ていたわね。」

 広場で歌い終わった後、私はいつもウィルフレッドが借りている部屋で彼と合流して、その日の彼の歌の感想を伝えたり、他愛もない話をしてひと時を過ごしているのだけれども、つい、不安になってそんな事を零してしまった。


 言ってしまってから、私は少し後悔した。だって、こんな事を言うなんてなんだかちょっと面倒くさい女みたいじゃない。


 しかし、そんな事を思っているのはどうやら私だけみたいで、彼は実にいつも通りに、穏やかに笑って相槌を打ったのだった。


「そうだね、よっぽど僕の歌を気に入ってくれたのかな。そうだったら嬉しいな。」

「そうかもしれないし、それだけじゃないかも知れないし……」

「えっ?」


 含みを持って言った言葉だったのに、ウィルフレッドには全然伝わってなかったようなので、みっともないと思いつつも私は思わず自分で掘り下げてしまった。


「あの子が気に入ったのは貴方の歌だけじゃないかもってことよ。貴方自身に惹かれてるのかも知れないわ。」


 自分の中の燻っている不安を言葉に出すのは躊躇いがあったが、でも、だけど、だってあの女の子もう10日も通って来ているのよ?!気にしないで居る方が無理ってものでしょう?


 だから私は、不安そうな顔で彼の表情を伺ったけど、しかし、ウィルフレッドは私からそんな言葉が出てくるなんて思っても見なかったようで、少し驚いたような顔をして、それから笑って私の考えを嗜めたのだった。


「まさか、考えすぎだよ。こんな不気味な道化師の化粧をしてる怪しい男なんだよ?」

「そんな不気味な道化師の化粧をしている男に惹かれた人がここに居るわよ。」

「君は僕の素顔も素性も知ってたじゃないか。」

「それはっ……」


 それは確かにそうなのだけれども、私はグラマー侯爵家の三男のウィルフレッドとして出会う前から、謎の怪しい吟遊詩人自体に惹かれていたのだ。素顔も素性も知らなかったけれども、ただ単純に、彼の歌声と彼の言葉によって惹かれたのだ。


 だからきっと、自分以外にも、彼に魅せられる人は出てくるだろうと私には確信に近い予感があって、それに加えてあの女の子は、あの時の私と似ている感じがして、心がざわざわしていたのだけれども、これ以上この話題を続けるのは止めた。


 だってウィルフレッドが、全く気にしていないようだから。

 自分の考えすぎだと、私は思い直してそれ以降はいつも通り、彼と他愛のない話を楽しんだ。


 婚約してからは、こうも堂々と彼と会う時間を作れるけれども、それでも時間は限られているので、嫌な話題よりも楽しい話を彼とはしたかったのだ。


 こうしてこの日は、いつも通り、楽しい気持ちで彼と別れたのだけれども、しかしその数日後、残念なことに私が恐れていた予感が的中してしまうのであった。



***



 今日もいつものように、中央広場で歌を披露したウィルフレッドは、歌い終わると人目を避ける為に路地裏へと消えて行った。


 彼は道化師の格好に着替えるのに部屋を一室借りているので、いつも歌い終わるとその部屋で私と落ち合っているのだけれども、今日に限って、ウィルフレッドがその部屋に入ろうとした丁度その時に、彼の後ろをつけて来た聴衆の一人が、部屋の前で彼を呼び止めたのだ。


 そう、例の娘が、道化師の吟遊詩人に化けたウィルフレッドに話しかけている現場に私は出くわしてしまったのだ。


 私は思わず咄嗟に物陰にしゃがんで隠れて、そしてそっと二人の様子に聞き耳を立てた。


「吟遊詩人様っ!!」

 可憐な町娘に呼び止められて、ウィルフレッドは立ち止まった。急に声をかけられて少し驚いてるようにも見えたけれども、何せ道化師の化粧をしているので、その表情は伺えない。


 私は固唾を飲んで成り行きを見守ったが、ウィルフレッドは声をかけて来た娘と向き合って、どうやら彼女の話にきちんと耳を傾けるつもりみたいだった。


「あの……私、貴方の歌に感動しました!!私、ミューズリーの血筋でずっと惨めな思いをして来たけれども、あの、貴方の歌で救われたような気持ちになったんです!」


 ウィルフレッドに話しかけた可憐な娘は、彼への憧れの気持ちが溢れんばかりの表情で、彼に精一杯の自分の気持ちを伝えていた。


 そんな彼女に私は動揺した。


 だって彼女の言っていることは、大筋であの時の自分と同じなのだから。


 その後彼女とウィルフレッドは一言二言言葉を交わしていたようだったが、狼狽えてる私にはそれ以降の二人の会話が耳に入って来なかった。


 それ程、ショックだったのだ。


 どうやらウィルフレッドは、彼女からの賛辞を上手く受け流して、その場を収めて彼女を帰したようであったが、そんな様子にも気付かずに、私はしばらくの間驚いてその場で固まっていた。


 すると不意に、物陰にしゃがんで隠れていたままの私に、頭上から声がかかったのだった。


「それで、そこで何をしているのかな?」


 ウィルフレッドは、私がここに隠れて居ることにどうやら最初から気付いていたみたいで、彼は一人になるとこちらに近づいて、まるで悪戯をして隠れている子供を諭すように私に声をかけたのだ。


「盗み聞きとは感心しないね。」

「た……たまたまよ!」

「何も隠れなくても良いのに。」


 彼は少し呆れたのような目で私を見つめると、立ち上がるようにと手を差し伸べたので、私は少しバツが悪くなって彼から目を逸らしながらも、その手を取って立ち上がった。


「……もし、あの子の方が貴方と先に会っていたら……貴方はあの子に心を動かされたのかしら……」


 不安から無意識のままに、私はポツリと本心を零してしまい、ハッとした時には、既に遅かった。


 どうしよう、彼に酷い事を言ってしまった。


 私は慌ててウィルフレッドの顔を見ると、彼は酷く困った様な顔をして私を見返していた。


「僕の歌に感動してくれたら誰でも良い。君は僕のことそんな風に思ってるのかい?」

「それは……」


 勿論、ウィルフレッドがそんな単純な人だなんて思っていない。思ってはいないけれども、それでも、やっぱり不安な気持ちが胸に燻って、咄嗟に言葉がうまく言えずに俯いてしまった。


 そんな様子の私を前に、ウィルフレッドはひどく困惑していたと思う。


 怒っていてもおかしくないのに、それでも彼は優しい声で私の名前を呼んだ。


「ねぇ、マグリット。」


 彼に名前を呼ばれても、私は怖くて顔を上げられなかった。


 何を言われるのだろう。


 きっと厳しい言葉を投げかけられると思って、私は俯いたまま唇を強く噛み締めた。そうしないと、泣いてしまいそうだったから。


 するとウィルフレッドは、頑なな私の態度に剛を煮やしたのか、私の頬に両手を添えると強引に上を向かせたのだった。


「マグリット、顔を上げて?」


 こうされては、もう目を逸らす事は出来なかった。

目の前のウィルフレッドの瞳は、怒り……というよりは、何処か悲しそうな目をしていた。

 彼は何も言わずに真っ直ぐに私を見つめてくるので、私は堪らなくなって、堰を切ったように、ずっと心の奥底に仕舞い込んでいた不安を、口にしたのだった。


「だって……だって、私なんて家柄が良いくらいでなんの取り柄もない令嬢だし、ウィルが私の事を選んでくれたのは、私が貴方の歌を好きだと言って、貴方の夢に寄り添ったからじゃ無いかって……」


 一気に話した事で感情を抑えられなくなってついに私は涙も流してしまった。


 ウィルフレッドが困ってる。

 こんな事で泣いちゃダメだ。


 泣き止まなきゃと思っても、思えば思うほど上手くいかない。


「君は、ずっとそんな風に思っていたのかい?」


 怒っているのか、呆れているのか、どういった感情でウィルフレッドがその言葉をかけたのか分からなかったが、私は彼の言葉にこくりと無言で小さく頷いた。


 すると彼は、頭を抱える様な仕草をしてはぁっと大きな溜息を吐くと、それから再び私が顔を逸らさない様に、頬に手を添えて、私の目をじっと見つめたのだった。


「あのね、僕が君を選んだのは君が僕のことを肯定してくれたからだけじゃないよ。そりゃ、少しはそれもあるけども、でもね、僕が君に惹かれたのは、あの時、迷いの消えた君がとても眩しく見えたからだよ。」


 ウィルフレッドは私の目を真っ直ぐに見つめて、とても真剣な声でそう伝えてくれた。


「迷いを断ち切って、自分の信念を見つけた君に憧れの気持ちもあったかも知れない。僕は吟遊詩人なんて事を親に内緒で勝手にやっていたけれど、自分の中でこれで本当に良いのか、完全に割り切れてなかったからね。とにかく、君の強さに惹かれたんだよ。」


「……私が強くなれたのは、貴方のおかげよ。あの時、貴方が勇気をくれたから。」


「そっか。僕の歌で貴女が勇気を手に入れて、そしてそんな貴女から僕も強さを貰った。不思議な縁だけど、きっと僕たちは惹かれ合う運命的だったんだよ。」


 彼がそう言って微笑むので、私は胸が一杯になって、また泣いてしまった。

 そんな私を、ウィルフレッドは優しく抱き寄せて、背中を摩ってくれたのだった。


「マグリット、まだ不安かい?」

「いいえ。私こんなに幸せで良いのかしら……」


 私は、この人に愛されているんだ。


 そう実感できて、ここ最近胸に燻っていた不安は、すっと消えた。


「けど、まぁ、この姿じゃ、格好がつかないよね。」

「大丈夫、貴方はいつだって格好良いわ。」

「道化師でも?」

「道化師でも!」


 私達はお互い見つめ合って、どちらからともなく笑い合った。そうして、二人でクスクスと笑った後、ウィルフレッドはもう一度私をぎゅうっと強く抱きしめてくれたのだった。


 あぁ、この人を好きになって本当に良かった。


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