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21. ウィルフレッド

 ヴィクトールとの話し合いを終えて、マグリットは夜会会場を一人で歩き回っていた。

人を探しているのだ。


 暫く会場内を彷徨って、そしてダンスホールから少し外れた所で談笑している数人の男女の中にその人を見つけると、躊躇せずにつかつかと歩み寄り、ぐいっとその人の腕を掴んだのだった。


「ウィル!!」

「マグリット様?いきなり愛称呼びとは大胆ですね。」

「あら、だって貴方が前に私に言ったじゃない。私の事はウィルと呼んでと。」


 マグリットが探していた人物は、ウィルフレッドだった。


 彼は友人達と談笑していた所に急に彼女から腕をぐいっと取られて愛称で呼ばれたので目を丸くして驚いて、少し硬直してしまったが、直ぐに気を取り直すと、興味津々でこちらを見てくる友人たちの視線を察して慌てたように笑顔を作り、マグリットをこの場から離す為に彼女の手を取ったのだった。


「……少し場所を変えましょうか。」


 ニッコリと笑いながらそう言うと、好奇心に満ちた目で見てくる友人たちの視線を振り切って、ウィルフレッドはマグリットをスマートにテラスへとエスコートしたのだった。




「何考えてるんですか?!あんな所で愛称呼びをするなんて、周りに誤解されますよ!!」


 夜会会場から外のテラスへと出てくると、そこには誰もおらず、二人で話すのにはとてもおあつらえ向きだった。

 周囲に人が居ないことを確認すると、ウィルフレッドは掴んでいた手を離して、改めてマグリットに苦言を伝えたが、しかし彼女は、そんな事は全く気にしないといった感じで、悠然と微笑んでいたのだった。


「いいわよ。周囲にどう思われても。何も困らないわ。」

「……いいんですか?」

「えぇ。いいわよ。」

「……こちらが反応に困ります……」


 ニッコリと笑って堂々と言い放つマグリットに、ウィルフレッドは手で口元を隠して、少し困ったように顔を逸らした。


 そんな彼の様子に、マグリットは少し嬉しそうに微笑むと、そのままゆっくりと彼の横顔を見上げながら静かに話し出したのだった。


「ねぇ、貴方はどうして道化師の化粧までして吟遊詩人をやっていたの?」

「そんなのは単純ですよ。歌いたかったからですよ。」


 とても明確で単純な答えに、マグリットはキョトンとした様な顔をした。ただ歌いたいだけならば、何処でだって歌えるだろうに、何故変装して身分を隠してまであんな目立つ所で歌っていたのか、そこに結び付かないのだ。

 すると、腑に落ちていない彼女の様子に気づいたウィルフレッドは少し悲しそうに微笑みながら、自分の事を静かに話し出したのだった。


「僕はね、子供の頃から歌を歌ったり、楽器を奏でたり、とにかく音楽というものが大好きだったんですよ。僕は三男だから家は継がなくていいし好きな事を仕事にできると思って、宮廷音楽家になろうとしたんだけど、親がね、大反対でさ。侯爵家の人間が、そんな職業に就くなって言うんだよ。」


 確かに宮廷音楽家は、才能さえあれば平民でもなれる職業なので、外聞を気にする高位貴族であれば、息子がその職に就くのを嫌うだろう。その辺りの感覚は、侯爵家の令嬢であるマグリットもよく分かっていた。

 だから悲しそうに笑うウィルフレッドに同情を寄せながら、静かに彼の話の続きを聞いた。


「でもそんなのって理不尽だろう?宮廷音楽家だって立派な職業だし、恥じるものでは無い。だから僕は親から歌を取り上げられたくなくって、先ずは実績を作ることにしたんだ。道化師の化粧して素性を隠して、あの場所で好きに歌うように勧めてくれたのはアルバートでね、”市井で人気が出て、王侯貴族の目にも止まるようになったら、流石にご両親も馬鹿にしないだろう”ってね」


「あー……」

 そう言えば、あの道化師を最初に紹介したのはアルバートからだったと聞いていたので、マグリットは色々と彼の策略を感じ取ってしまった。


「そして、そのお陰で王太子殿下の目にも止まることになったし、大変名誉な役目も降ってきた。」

「それは、アイリーシャの計画のことね?」

「そう。僕の歌で民衆の意識を変えるだなんて、そんな壮大な事責任重大だけれども、でも、こんなチャンス他には無いからね。」


 そう言ってキラキラした笑顔を見せるウィルフレッドは本当に嬉しそうだった。そして、そんな彼を見ているとマグリットの方まで胸が温かくなってくるのであった。


 マグリットは、優しい眼差しでウィルフレッドを見つめながら、彼の歌う事が好きだという気持ちに寄り添った。


「貴方は、本当に歌うのが好きなのね。」

「あぁ、そうだね。僕は歌うのが何よりも大好きだ。……そんな僕の歌を、貴女は好きだって言ってくれたよね。あれはすごく嬉しかったな。……有難う。」


 ウィルフレッドが、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべるので、マグリットはその笑顔にドキリと胸が高鳴って、少し頬を赤く染めると、思わず顔を逸らしてしまった。


「お……お礼を言うのは私の方よ。出会った時から、今も……貴方の歌に救われたわ。何故だか貴方の歌に惹かれるの。不思議な魅力だなと思ったけど、貴方の話を聞いてわかったわ。歌に対する思いが、とてもとても強いのね。その強い思いがそのまま貴方の歌にのって力を私に分けてくれてたんだわ。ううん、私だけじゃ無い。貴方の歌を聞いた人はみんな、貴方の歌に力を貰っているはずだわ。」


 マグリットからの思いがけない言葉に、ウィルフレッドは少し照れくさそうにはにかむと、そのまま視線を遠くへと向けて、噛み締めるように呟いたのだった。


「そうか……そう思ってくれるなら嬉しいよ。僕にとってはそれが一番の喜びなんだ。自分の歌に力があると言うのならば、やっぱり僕は、これからも歌を歌って生きたいな。」


 真っ直ぐ前を向いてそう語るウィルフレッドの横顔はとても力強くて、マグリットは彼のその姿に見惚れてしまった。


「そうよ、これからも貴方には歌を歌っていて欲しいわ。ねぇ、そう言えば貴方約束したわよね?私が望めばいつでも歌ってくれるって。私は丁度今、貴方の歌を聞きたいって思っているのだけど?」

「あいにく楽器は無いですが、どんな歌をお望みですか?」

「そうね、恋の歌が良いわ。とびきり幸せなやつね。」

「承知しました。お嬢様。」


 悪戯っぽく笑って彼が歌うのを期待するマグリットに、ウィルフレッドは恭しく一礼すると、直ぐに姿勢を正して、大きく息を吸った。

 そして次の瞬間、彼は今まで聞いたどの曲よりも優しく美しい声で、マグリットの為だけに異国の恋歌を歌い始めたのだった。


 その姿に見惚れない訳がなかった。


 月明かりに照らされて、その銀色の髪は美しく輝いて、澄んだ青空の様な瞳でじっとマグリットの目を見つめながら歌い上げる彼の姿に、心がときめかない訳がなかった。


「私やっぱり、好きなんだわ……」

「えっ?」

「あっ、貴方の歌が好きなの。うん……好き。」

「それは、ありがとうございます。」


 ついポロリと口から出てしまった言葉に、マグリットは自分でも驚いて慌てて言い直したのだが、ウィルフレッドは少し驚いた様に目を見開いた後、はにかみ気味に嬉しそうに笑っていた。


 それから二人はほんの少しの間見つめ合うと、ウィルフレッドはスッと、マグリッドに手を差し出したのだった。


「マグリット様、折角ですからもう一曲踊りませんか?」

「けれど、もう演奏は終わっていますわ。」

「僕が歌いますよ。僕の歌が好きなんでしょう?」

「ワルツって歌えるんですの?」

「まぁ、三拍子の歌なら何とかなるでしょう。」


 楽しそうに笑いながら手を差し出すウィルフレッドに、マグリットも嬉しそうに笑うと、彼の手にそっと自分の手を添えた。


「ウィルフレッド様って面白い方ですわね。」

「ウィルで良いですよ。それは、褒め言葉と受け取って良いんでしょうか?」

「えぇ、好意的な意味よ。」

「それは良かった。僕も貴女のこと興味深い人だなと思ってますよ。」

「それって褒めてるんですか?」

「えぇ。好意的な意味ですよ。」


 そうして二人は微笑み合うと、ゆっくりとステップを踏み始めたのだった。

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