13. 再会
「やぁ、マグリット様。またお会いしましたね。」
「貴方がどうしてここにいらっしゃるの?!」
マグリットは目を大きく開けて驚いていた。まさか、街の広場で歌っていた吟遊詩人とこのような高位貴族の集まりの場で再会するとは思ってもみなかったのだ。
「王太子殿下に余興として呼ばれたんですよ。ですからどうぞ、一曲お聞きください。」
詩人はニッコリ笑ってそう言うと、手にしたリュートを強めにジャランッと掻き鳴らし、明るく陽気なアップテンポの旋律を奏で始めた。そして三小節程前奏を弾くと、彼はよく通る透き通った伸びやかな声で、異国の民謡を朗らかに歌いだしたのだった。
その曲は、聴いているだけで笑顔になってしまう明るい楽しい曲で、マグリットはまた、その歌声にすっかり魅了されてしまった。
(やっぱり凄いわ……)
彼の声は力強く、それでいて優しく、聞いているだけで心にズドンと響く物があるのだ。マグリットは横にいるヴィクトールの事なんか忘れて、その場に立ちすくむ様に詩人の歌に聴き入っていた。
そしてそんな歌声に魅了されたのは彼女だけではなかったのだった。少し離れた場所にいた人たちも、一人、二人と彼の歌声に誘われて引き寄せられて来たのだ。
その結果、彼が一曲歌い終わる頃にはマグリットとヴィクトールだけでなく多くの観客が吟遊詩人の周りに集まってきて、皆一様に彼の歌に耳を傾けているのだった。
皆が彼の美声に酔いしれて、その明るい調べに聴衆の顔には自然と笑顔を浮かべていた。
そして詩人が一曲披露し終えて観客に向けて一礼をすると、集まった聴衆から大きな拍手が沸き起こったのだった。
「如何でしたか?マグリット様、気に入って頂けましたか?」
「えぇ。明るくて楽しい素敵な曲ね。とても気に入ったわ!」
「それは良かった。」
マグリットは詩人の歌に感銘を受けて興奮気味にそう返事をすると、キラキラとした笑顔を彼に向けていた。
街で聞いた時にも思ったが、彼の歌声には本当に人を惹きつける不思議な魅力があるのだ。どうしたって夢中になってしまうのは仕方なかった。
だから彼女は熱意を持って彼に歌の感想を伝えていたのだが、すると詩人はそんなマグリットの様子を見てニッコリと笑うと、スッと彼女の耳元に口を寄せたのだった。
「どうです?約束はちゃんと果たしたでしょう?」
彼に耳打ちされた言葉にマグリットはハッとした。
“どうせだったら私の気分を上向かせてくれる歌が良かったのに”
“では次に会った時は貴女を笑顔にする詩を歌うと約束しましょう。”
あの時、街でそう約束したのだ。
マグリットはまさか本当に約束が果たされるとは思っていなかったので、とても驚いて詩人の顔を見ると、彼は彼女に「どうだ」と言わんばかりの目配せをしたのだった。
それから詩人は、何か言いたそうなマグリットの言葉を遮る様に再びポロロンとリュートを掻き鳴らと、集まった人々の注意をひいた。
「さて、お集まりの皆様。次はどんな曲を弾きましょうか。リクエストもお受けしますよ。なんでもいいですよ。」
そう言って、彼はギャラリーに、歌のリクエストを募り出したのだ。
「では私、恋の歌を聞きたいわ!」
「私は夢とか希望とか明るい未来を暗示するような曲が聴きたいわ!」
「じゃあ俺は勇ましいやつが良いな!この国の王や兵士を讃えるような歌だ。」
「えぇっと、では私は……」
詩人の言葉を皮切りに、人々は次々と好きな曲を彼に投げかけ始めたので、こうなってしまうと、マグリットは彼とこれ以上話す事は出来なくなってしまった。
だから彼女は言いたかった言葉を飲み込んで、スラリとした指で弦を掻き鳴らし楽しげに歌う詩人の姿をただ黙って眺め続けた。
そんな彼女の詩人の歌への熱中振りは、横に立つ人間の存在を忘れる程であった。
なので先程から存在を忘れられているヴィクトールは、自分の存在を思い出して貰うかのように少し不機嫌そうな声で、マグリットに囁いたのだった。
「マグリット様、ここは人が集まりすぎましたね。人の多いところはお疲れになるでしょうから人の少ない静かな場所へ移動しましょうか。」
気がつくと周囲にはすっかりと詩人目当ての人だかりが出来ていて、とてもじゃないが、のんびりと休めるような場所ではなくなっていたのだ。
先程の会話でマグリットが
“人が多いところが少々疲れてしまった”
と言ったのを受けて、ヴィクトールが彼女と一緒にこの騒がしい場を離脱したくてそう持ちかけたのだが、しかしマグリットは、彼の提案に対して首を横に振ったのだった。
「いいえ。私はここに居ますわ。彼の歌をもっと聴きたいの。」
「しかし、貴女は先程人が多い所は嫌だと……」
「気が変わったんです。ヴィクトール様、女心とは変わりやすいものなのですよ。」
「……そうですか。それでは私ももう暫くマグリット様とご一緒に……」
ヴィクトールが諦めきれずに食い下がろうとした丁度その時だった。突然誰かが二人の間に割って入ってきたのだ。
「マグリット、一人にして悪かったね。大体捌き切ったから、後はもう側に居られるよ。」
ご令嬢やご婦人たちに捕まっていたアルバートが、マグリットの元へ帰ってきたのだ。
「捌き切ったって、アル貴方は何をやったの?」
「別に。ただ僕と話したい御令嬢、ご婦人方と一人ずつ話して、彼女たちの話を聞いてあげたり、お世辞言ってあげたり。それからお茶会や夜会の招待を受けたりしただけだよ。」
「まぁ、流石ですこと。」
そんな風にさらりと話すアルバートにマグリットは若干呆れ顔だったが、どこかホッとしたような表情をしていた。彼が側に居てくれるのが心強いのだ。
しかし対照的にヴィクトールの方はというと、アルバートの登場でマグリットと話す隙が無くなってしまって、なんとも言えない微妙な表情をしていたのだった。
「それで、マグリットとヴィクトール様は何を話していたんだい?」
「ただの他愛もない世間話ですわよね。ヴィクトール様。」
「えぇ。そうですね……」
アルバートからの問いに、ヴィクトールはどこか歯切れ悪く返答すると、彼は何かを諦めたように小さく溜息を吐いたのだった。
ヴィクトールはこれ以上この場にいてもマグリットと親睦を深める事は難しいと判断したのだ。
「……では、私は失礼します。マグリット様、貴女とはもっとお話ししたかったので、また貴女にお目にかかれることを心より願います。」
そう言ってヴィクトールはマグリットに対して恭しく礼をして、この場を立ち去ったのであった。
アルバートはそんな去っていくヴィクトールの後ろ姿をを見送って、それからチラリと横の従姉妹の様子を伺った。
「大丈夫だったかい?」
「えぇ。表面的な話しかしていないから大丈夫よ。」
心配するアルバートをよそに、マグリットの方はと言うと、既にヴィクトールの事など気にしておらず、彼女は目の前で歌う吟遊詩人に釘付けだった。
(本当に、なんでこの人の歌はこんなにも心を揺り動かすのかしら……)
彼の奏でる音はどれも優しくて、聞いているだけで、ストンと自分の中に入ってくるのだ。
マグリットはまるで魔法にかかったみたいにその場から動けずに、彼の声を、彼の紡ぐ物語を、そしてこの心地よい調べを、ずっと聞いていたいと思ってしまった。