9. 嘘と涙と吟遊詩人4
「何やら慌ただしいですね。」
「そう……ですね。」
「………」
この場に残されたマグリットは、本日初めて歌を聴いたばかりの吟遊詩人との間に流れる気まずい沈黙に頭を抱えた。
この詩人に用があるのはアイリーシャとミハイルの二人なのだからマグリット自身には彼に話す事がなにも無いのだ。
とりあえずマグリットはこちらから呼び止めたのに黙っているのも失礼だと思い、彼に先程の歌が素晴らしかったと感想を伝えようとしたのだが、それより先に吟遊詩人の彼の方がこの沈黙を破って声を出したのだった。
「それで、私はどうしたらいいのでしょう?」
それは至極真っ当な質問であった。そしてその質問の答えは、マグリット自身も聞きたいくらいだった。
「待ってて……貰えないかしら?きっと直ぐに戻ってくるから。……多分」
アイリーシャとミハイルは直ぐに戻ってくる。その確信が持てないので、マグリットは語尾をどんどんと小さくしながら答えた。今はこれしか言いようがないのだ。
そんな不安そうにしているマグリットを吟遊詩人はじっと見つめると、何やら思いついたようで彼は再び質問を口にしたのだった。
「貴女、お名前は?」
「えっ……マグリットですけど……」
急に名前を聞かれて、マグリットは不審がって怪訝な顔で詩人の顔を覗き込だのだが、臆する事なく彼はマグリットを見つめ返した。
彼の目は優しく笑って彼女を見ていた。
「ではマグリット様、待っている間に一曲歌いましょうか。今の貴女にぴったりな曲をね。特別ですよ。」
そう言って詩人はリュートを手に取って、どこか物悲しい旋律を奏で始めると、「これは遠い異国の哀れな男の物語です」と彼女に告げてから、ゆっくりと静かに歌い始めたのだった。
♪~
愛する人を守るため、男は剣を取った
祖国を守るため、男は戦争へ行った
腕を失い、足も失い、片目さえも失って
それでも希望は失わなかった
愛しい彼女、貴女の元に必ず帰ると
そうして男は生きて帰った
出迎えたのは瓦礫の山
愛する人はもう居ない
故郷の村は焼け野原
愛しい彼女はどこにも居ない
慰める者も誰も居ない
故郷の村でひとりぼっち
希望さえも失った
~♪
その歌は先程広場で披露していた陽気な歌とは打って変わってとても物悲しく、詩人の美しい声は心に直に響くので、聴いているだけで胸がズドンと苦しくなっていた。
だから彼を歌を聴いて、マグリットの目からは自然と涙が流れ出てしまったのだった。
「まぁ、なんて悲しい歌なんでしょう。でも……これが今の私にピッタリだなんて一体どういうことなのかしら。」
マグリットは流れ落ちる涙を拭いながら詩人に問いかけた。素敵な歌ではあるが、こんなにも悲しくて救いのない歌が、何故今の自分にぴったりなのか、彼女は納得がいっていなかったのだ。
すると詩人は、マグリットに彼女が思いもよらないような理由を告げたのだった。
「それは、貴女が泣きたいのに泣けない、そんな風に見えたからですよ。どうです?私の歌を聞いて、思いっきり泣けてスッキリしたでしょう?」
その詩人の言葉に、マグリットは咄嗟に何も言えなかった。
図星だったのだ。
先程のローランとのいざこざは彼女の心を確実に傷付けていたのだが、マグリットは意識してそれを感じない様にしていた。
認めてしまったら、惨めだから。
だから絶対に泣いてなんかやらないと思っていたのだが、けれども一度流れ出してしまった涙は簡単には止めらなかった。マグリットはポロポロ、ポロポロと涙を流し続けたが、そうしている内に不思議と心が軽くなったのを感じたのだった。
「……どうして私が泣きたい気分だなんて分かったの?」
「んー……貴女のことをじっと見ていたら分かりましたよ。洞察力には自信があるんです。」
「そうみたいね。でもどうせだったら私の気分を上向かせてくれる歌が良かったのに。」
「分かりました。では次に会った時は、貴女を笑顔にする詩を歌うと約束しましょう。」
そう言って詩人が得意そうにニィと笑ったので、マグリットも釣られて笑ってしまった。
泣いて、笑って、この詩人のお陰で感情を表に出せたマグリットの心の中は、一番最悪な気分から大分回復していたのであった。
そして暫くすると無事アイリーシャを連れたミハイルが戻って来て、本来の目的である詩人に対してアイリーシャの計画の説明を始めたので、マグリットは少し離れたところで事の成り行きを見守った。
遠くからだったので、会話の内容は聞こえなかったがミハイルと詩人が握手する様子が見られたので、どうやらこのスカウトは無事成功したのだなという事を察した。
「リーシャ良かったわね。彼、協力してくれるみたいね。」
「えぇ、本当に良かったわ。この人じゃないと駄目だって思ってたんだもの。こんなにも人々の心を掴む詩人他には居ないわ!」
「そうね、本当に不思議な……人の心を揺さぶる詩人ね。」
そう言ってマグリットは、ミハイルとやり取りを続ける吟遊詩人を柔らかく見つめた。
自分の心を軽くしてくれたこの詩人に、マグリットはなんだか興味を惹かれ始めていたのだった。