1章3
もう一度人生をやり直すなら。
そう考えたことが無かったわけじゃない。だが、本当にやり直すことになったなら……。レイラにはやらねばならぬこと、やりたいことがあった。
――――一度目の人生は。
レイラ・オブシディアン。
寡黙だが、誰もが目を奪われる耽美な容姿で北部黒氷の貴公子と呼ばれていたエドガー・オブシディアンを父に持ち、母は零れるように微笑む春の妖精と謳われたアイリス・オブシディアン。二人の間に生まれたレイラは、父の容姿に母の朗らかさを継ぎ、カトレアの花と呼ばれた、オブシディアン公爵家の一人娘だった。
カトレア帝国にはカトレアノーブルと呼ばれる広大な力を持つ大貴族が7家門存在した。オブシディアン公爵は痩せた北部の土地を数年で開拓し、豊かに発展させた経歴から彼あるところに帝都ありと言われる実力者であり、民の支持も厚い権力者であった。貴族が結託してよからぬことを企もうが、反発があろうが、皇室と貴族との均衡が保たれていたのは、その皇室に匹敵するほどの力を持つオブシディアン公爵が皇帝に忠誠を誓っていたからだ。溺愛している一人娘を皇太子妃にするほどに……。
レイラと皇子フレデリック・マッキンリーは幼いころから両家の思惑により交流を持ち、兄と妹のようだった。そして婚約が決まったのはレイラ6歳フレデリック11歳の時だった。婚約者になろうとフレデリックは妹のようなレイラに甘かったし、レイラも兄のように慕ってはいたが恋心は芽生えなかった。
公爵家の一人娘であり、皇太子妃であるレイラは、麗しい外見と社交性で社交界の中心にいた。レイラの周りにはいつも人が集まり、令嬢からの羨望熱く、子息からの熱いまなざしは絶えなかった。レイラは自分の意思ではなく帝国の発展のために結婚することになった。政略結婚は貴族なら当然のこと。だけどレイラは諦めなかった。レイラは自由でいたかった。蝶よ花よと育てられたわがままな公爵家の一人娘だったのだ。
「兄としてしか見れない」そう言ったレイラにフレデリックは困ったように笑った。「私と離婚しても君なら引く手あまただろうね」フレデリックはそう言ってレイラにとって一番いい方法を考えてくれた。……白い結婚。二人はそう決めたのだった。
皇族の離婚は子供が生まれなかった時。死別。皇后は死別後、他の男性から正式な求婚があった時のみ。それなら、フレデリックが皇妃を迎え子供が生まれてから別れた方が反発は少ないだろうと。
計画は順調だった。結婚して2年ほど経ったころ、フレデリックは皇妃を迎えた。フレデリックが皇妃に選んだのが男爵令嬢クレア・ダンヴァーズだったことには驚いたが、ただならぬフレデリックの様子に彼が恋に落ちたことを知った。完全な教育も施されていなかったクレアは世間知らずで天真爛漫。皇室には相応しくない令嬢だったが、完全なる淑女を皇后に据えていたためそう問題視されなかった。
クレアは翌年に皇子カールを。その2年後に皇女クリスティアナを産んだ。レイラは少しづつ自分の仕事をクレアに割り振り、もういいだろうと思ったころ、知らせが届いた。……馬車の事故だった。クレアは亡くなり、フレデリックは一命を取り留めたが危篤。
頭が真っ白になった。
貴族たちはまだ息のあるフレデリックの横で後継の話をし始めた。カール5歳、クリスティアナわずか3歳の時の出来事だった。カールが立太子出来る年齢になるまでまだ5年もあった。カールは大人びた子だったがそれでもまだ幼かった。カールを思うまま操ろうとする者、他の血縁を皇帝に立てようとする者。混乱の帝国でカールはレイラに懇願した。立派な皇帝になるから、母として自分の後継になってくれ、と。
レイラは箝口令を敷き、フレデリックの部屋へは信用出来るごく少数の者以外の立ち入りを禁じ、魔塔に協力を要請し、部屋に防御魔法をかけた。実家のオブシディアン公爵家に助けを求めると、公爵はレイラを支持してくれた。
寝たきりになろうと、フレデリックが生きているからこそできることだった。レイラは嫡母としてカールとクリスティアナに寄り添った。この間、カールやレイラも暗殺されそうになり、レイラは馬車の事故、もしくは先帝の逝去すら企てられたものだったのではと疑う。
フレデリックはカールが立太子して間もなく、まるで待っていたかのように息を引き取った。レイラは悲しみにくれる間もなく皇帝になったカールを支え、帝国のために力を尽くした。……レイラの命が尽きるまで。