君が私を掬うまで
日曜日の夜、かならず変な夢を見ていた。
夢の内容はあまり覚えていない。でも夢の中ではかならず、君が待っていた。
同じ教室の、隣の席に座っていた、君。
現実では話したこともないのに、夢の中の私は、君と親友だった。
なんでも話せる。
良いことも、悪いことも。
ちょっと恥ずかしいことだって。
◇ ◇ ◇
「一昨日、消しゴム無くしちゃってね」
話しかけると、君が相槌をうってくれる。
「ああ、あの緑色の変な消しゴム?」
「そう、それ。まだ角しか使ってないのにな」
「俺にはアレがなんで女子の間で流行ってるのか、全然分かんないよ。……まあ、いいや。それでどうしたの?」
「一昨日、テストだったでしょ? いっぱい間違えちゃった。それなのに」
「シャーペンの消しゴム使えばよかったのに」
「とっくに無いの。それ。あ~あ。今思い出しちゃった。明日、買いに行く暇ないのに」
そんな話をしているうちに、夢の中の教室が暗くなっていく。
お互いに、夢の中だって分かっている。
真っ暗になると夢が終わって、目が覚めることも。
そして目を覚ましたら、夢のことはほとんど覚えていないことも。
「じゃあね。また来週」
「ああ、またな」
手を振る私に、君が笑う。
この時間がずっとつづけばいいのにと思っている私に、君はちょっとだけ素っ気ない。
月曜日の朝。
いつも通りに寝坊し、慌ただしく登校。
隣のクラスの友達と、同じクラスの友達に声をかけ、声をかけられ、教室に入る。
私の席。
隣の席に君がいる。話したこともない、君。
私が席に着く直前、一度だけ目が合う。言葉は交わさない。目だけで、なんとなく挨拶する。
「……あれ?」
席に着いた私は、思わず声をあげた。
机の上に、私のお気に入りの消しゴムがあったからだ。
この辺りには売っていない、緑色の宇宙人の形をした消しゴム。
角しか擦り減っていないから、私のもので間違いない。
「落ちてた」
不意に、隣の席にいる君が言った。
「え?」
「落ちてた。向こうの隅に。お前のだろ?」
「う、うん。ありがとう」
私はお礼を言って、宇宙人の消しゴムを手に取る。
今同学年の女子の間で流行っている、これ。
男子には分かってもらえないが、これが可愛いのだ。
――あれ?
これが私の消しゴムって、どうして分かったのだろう?
私以外も、使っているのに。
聞こうとして、悩み、時間が過ぎる。
朝礼の時間になると、もう聞けない。
いや、どのみち聞けないのか。
これまで話したことがなかったのだから。
そうして一日が終わり、放課後。
暗くなりはじめた教室から、君が出て行く。
今朝話したことなど、とうに忘れたと言わんばかりに。
いや、私だってそうだ。
別に仲が良いわけじゃないんだから。
◇ ◇ ◇
次の日曜日の夜。私はまた夢を見る。
夢の中では仲が良い君が、教室の中で私を待っている。
「そういや、トンボ道のパン屋にさ。新作が出たんだって」
「そうなの? 私、知らない。どんなパン?」
学校の近くにあるパン屋の新作は、学生の中で盛り上がる話題のひとつだ。
「鍋パンだってさ。牛鍋だよ」
「でも牛肉入ってないんでしょ?」
「そりゃそうさ。この前の豚丼パンだって豚肉入ってなかったもんな」
「ね。でもお肉感があるよね」
「謎だよな。俺はあのパン屋に弟子入りしたいよ。食感の秘訣を教えてくれって」
「……君、料理できないって言ってなかった?」
「そこからなんだよなあ」
いつも通りの意味のない会話。
お互いに夢の中と分かったうえで、現実の話をしている。
全部忘れてしまうのに。
「目が覚めても、このこと覚えていられたらいいのに」
ぽつりとこぼす。
君も同意して、苦笑いする。
「たしかに勿体ない気がするよな」
「それだけじゃ……」
「ほら、もう暗くなってきた。また来週だな」
「……うん、また来週ね」
私は手を振る。
君が笑う。
この時間がずっとつづけばいいのにと、私は思う。
目が覚めて、月曜日の朝。
今朝の私はちょっと違っていた。
目覚まし時計より早く目が覚めたのだ。
いつもと違う、余裕の登校。
トンボ道にあるパン屋に寄る時間もある。
「……あ、鍋パン」
見た瞬間、鍋だと分かる。どうやって作っているのかまったく分からないが。
「これ、ください」
「はいよ。ひとつかい?」
「えっと……」
なぜか悩む。当然、ひとりでふたつは食べきれない。それ以前に値段が高い。
でもどうしてか、ひとつだけだと寂しい気がした。
「……ふたつ、ください」
「はいよ」
ふたつの鍋パンを受け取り、私は登校する。
隣のクラスの友達と、同じクラスの友達に声をかけ、声をかけられ、教室に入る。
私の席。
隣の席に君がいる。先週、少しだけ話した君。
私が席に着く直前、一度だけ目が合う。
言葉は交わさない。
目だけで、なんとなく挨拶する。
そうして一日が始まり、昼休み。
私は買ってきた鍋パンを取りだす。
恐ろしく大きい。
買ったときはそれほど大きいと感じなかったのに。食べきれるか自信がない。
「……あ、鍋パン」
不意に、隣の席にいる君が言った。
「え?」
「新作だろ、それ」
「う、うん」
「いいな。俺、朝練あるから。来るときには店開いてないんだ」
「そ……そうなんだ」
「俺が新作を食べるのは、一周遅れのころだよ」
「……そ、そう」
話をしたのは先週一度きりなのに、ずいぶん喋りかけてくる。
よほど新作が気になっていたのか。
「あ……あの」
「なに?」
「ひとつ、いりますか?」
「え?」
「ふたつ、買っちゃって。その、食べきれないから」
「え? なんで食べられないのに、ふたつあるの?」
「わ、わかんないんです。どうしてか、買っちゃって……」
うつむく。
今の私は完全に変な奴だ。間違いない。
でも――
「マジ? ラッキー! 金払うからさ! マジ!」
君の明るい声。知らなかった笑顔。
どうしてか、心の奥底で別の私が喜んでいる気がする。
「え、あ……う、うん。じゃあ、これ」
「サンキュー! 何円??」
「えっと、420円」
「たっか!!!」
驚いた君が、財布の中身を確認する。
ギリギリ足りなかったらしく、350円と10円玉6枚、5円と3円。
謝ってくる君に、「別にいいよ」と私は答える。
そうして一日が終わり、放課後。
暗くなりはじめた教室から、君が出て行く。
出る直前に振り返り、「明日、2円持ってくるから!」と言って。
◇ ◇ ◇
卒業するまでに、私たちはほんの少し仲良くなった。
卒業してからは、会わなくなった。連絡もしていない。
それでも私は、日曜日の夜に夢を見る。
夢の中で君は、私を待っている。
歩道橋の上。
そこがどこの歩道橋か、私には分からない。
「ずいぶん疲れた顔してるな」
君が心配そうに言う。
私は苦笑いして、歩道橋の下を覗く。
「あの頃は良かったなって」
「あの頃って? 学生の頃か?」
「そう」
「まあな。俺もそう思う時があるよ」
「私は最近、毎日よ」
「そうか」
「うん」
社会に出て、独り暮らしをし、毎日同じことをしている。
それだけなら、まだいい。
先日、母が亡くなった。
突然の親の死が、これほど絶望を押し付けてくるなどと、思いもしなかった。
悲しいだけではない。
悪天候の中を、傘もなく、ひたすらに歩いている気分だった。
「ここから落ちたら、どうなるのかな」
歩道橋の下を覗き、こぼす。
下は真っ暗で、なにも見えない。
「そんなこと言うなよ」
「ごめん」
「お前、今どこに住んでんだっけ?」
「言ってなかった? 〇△市よ」
と言っても、会社と自宅を往復するだけの場所だ。
どこになにがあるかなんて、なにも知らない。
「隣だな。俺は□〇町」
「そう」
「ああ」
君が頷き、私と同じように歩道橋の下を見る。
すると君がはっと顔を上げて、数度辺りを見回した。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと気になって」
「なにを?」
「わからないんだ。でも、わかったこともある」
君がもう一度頷く。
私は首を傾げ、「なにを?」ともう一度尋ねた。
でも君はなにも答えず、夢の中の私の肩をとんと叩いた。
夢の中で身体を触れられたのは、初めてのことだった。
「……もう暗くなってきたね」
「ああ。そうだな」
「また、来週ね」
私は君に手を振る。
君は心配そうな顔をして――
目が覚めて、月曜日の朝。
いつも通り、目覚ましと同時に目が開く。
慌ただしく準備をして、会社へ向かう。
同じ景色と、同じ時間、同じ人たち。
声をかけあうことなく、過ぎていく。
でも今日は少しだけ違っていた。
信号が赤になってしまったのだ。
私は仕方なく、歩道橋を渡っていく。
「――!」
不意に声。
私は、振り返る――
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