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観測者たちよ

「またその本読んでるの?よく飽きないね」

「飽きないよ、一生」



君に言われたくないな、と思ったのは内緒だ。







その本との出会いはいつだっただろうか。生まれた時からそばにあった気もするし、ついさっき手に取ったような気もする。他人にとってはただの古臭い本でも、私にとってこれはこころ。そばにあるだけで落ち着くし、ページをめくれば懐かしい香りが蘇る。恥ずかしい思いもしたし、嬉しいこともあったし、寂しい人もいた。自分を形作る重要なピースが詰まった宝物。


そう、宝物。なのに、現在私はそれを紛失してしまっている。



「だいたいね、なんでアンタは本屋に自分の本を持ってきてるんだい?紛らわしいったらありゃしない」

「はい……ご迷惑をおかけして本当にすみません」

「まったく」



午後9時14分。本来ならとっくに店仕舞いをしているところだ。丘さんは最近腰が悪くなってきていているから、と閉店時間を早めたばかりだったのに。自分の間の悪さと丘さんの優しさがぐるぐると不愉快に混ざる。



「これじゃないね。あれかい?」

「違いますね。ほら、表紙が白いやつですよ」

「あぁ。あれね」

「あの、もう遅いですし明日にしますよ。家に帰りましょう」

「いいのかい?大事にしてただろう」



覗き込むように見る目から顔を逸らして笑った。



「ここにある事は分かっているので。大学に行く前に寄ってきます」

「そうかい。……………いやぁ、今日も寒いね」

「ですね」



12月の夜風に晒された体が思い出したかのように震えだす。坂を降りた所にある丘さんの家まで、お互い無言で足を動した。



「おやすみなさい」

「はい、おやすみ」



布団に入ったは良いがなかなか寝付けない。寒いからだろうか。掛け布団をしっかりとかけ直す。

ふと、丘さんの腰が悪くなったのはあの坂のせいじゃないかと思う。なだらかとはいえ、毎日あの長い坂を登って本屋へ行くのはいくら元気な丘さんでもきついものがあるだろう。店番を増やそうかな。

心が落ち着いたからか、眠気がやってきた。明日は久しぶりの大学もある。しっかり寝て、寝坊しないようにしなければ。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





家から大学への道のりはとてもシンプルだ。坂を登ってまっすぐ歩くだけ。しかし毎回それだけだと少々味気ない。なので今日は、最近お気に入りの隠れ家によっていくことにする。



「行ってきます」



丘さんによると現在私が登っているこの坂は『天見坂』と言う名前らしい。昔は坂の上が全て森になっていて、下から見るとまるで神様のいる天界の様だったからだそうだ。

美しい名前。古今東西、やはり人間は天に惹かれるものなのだろう。もちろん私も、天に魅せられた人間のひとりだ。



「いらっしゃい」

「丘さん、おはようございます」

「はい、おはよう。さっさと見つけて大学行きな」

「はい」



丘さんが店主のこの本屋は、古本が多い。大体の本は丘さんの旦那さんの遺品で、比較的新しい本はご近所さんからの寄付だからだ。少子高齢化が進むこの町では古本の方がよっぽど需要があるし、来るお客さんも顔見知りばかりなのでご老人の良いたまり場のような位置づけだ。丘さんと話しているお隣の雑貨屋の店主に会釈して、さて本はどこかと見回す。

昨日私が居たのは店の奥の奥、暗い小窓近くだ。そこで適当な本を読みながら閉店時間を待っていた。だから有るとしたらそこかカウンターのはず。カウンターは昨日探して見当たらなかったことから、小窓近くだと当たりをつける。ちゃんとあるだろうか。



「…………………………」



しまった、先客がいた。お邪魔するのは失礼だろうと引き返そうとした、のだが。


この店に居るにしては妙に若い。大学生くらいの青年だ。そしてその手にある本は、今探している本にとても似ているように見える。



「………………こんにちは」

「…こんにちは。あの、その本って……」

「あぁ、素敵ですよね。なんとなく惹かれて手に取ったんですけど、読んでみたらかなり好みで。あ、もしかして立ち読みし過ぎました?すみません」

「い、いえ。ウチは立ち読みOKなんで……」



上手く回らない口が意味もなく動く。正面には楽しげに動く口があった。



「そうなんですか。良かった。でもまぁ、キリいいし今買っちゃいますね」

「えと、買うのはちょっと……」

「え?」

「その本、私のなんです。昨日置いて帰っちゃって……すみません」

「なるほど。でも僕、この本気に入っちゃったしなぁ。後で買うつもりだったし」



申し訳ない……本屋においてあったらそりゃあ売り物だと思うだろう。でもその本は渡せない、と言うか私が持っていなければ意味が無い。なんとか納得してもらわなければ。



「本当にすみません。でも、私の大切な本なんです。置いておいて何言ってんだって話ですけど……」

「あぁ、いいですよ別に。元々値段が貼ってないので誰かの忘れ物だと思っていたんです。ちょっとからかっただけです」



その青年は私に本をぽんと握らせたかと思うと、満足そうにうなづきながらそう言った。



「それは……ありがとうございます…?」

「そうだ、この後時間あります?良かったら少し話しませんか。その本のこととか」

「えっと……」



直感で、合わないと思った。もっと静かで、優しく微笑むように見えたのに。グイグイ来るし、冗談を真顔で言うとか意味わからないし、そもそもこの本は別に面白くない。見たところ既に3分の1くらい読んでいるからかなり長い間読んでいたらしいけれど、人をからかうための代償にしては割が合わない。



「おや、知り合いかい?」

「丘さん。あの、本を見つけてくださった方です」

「それはそれは。ありがとうございます」

「いえ。たまたまですから」


年上相手には猫をかぶるのか。なるほど、彼の性格が分かってきた。


「それじゃ、お礼にお茶でも一緒に飲んできたらどうかね。どうせ私に隠れてあの店に行くつもりだったんだろう」

「それならちょうど今、お誘いしていたところなんですよ。行きつけのお店があるならそこにしましょうか」

「あ、はい。分かりました。じゃあ、行きましょう」



丘さん、私が隠れてお店に通ってること相当怒ってるな…

いつもならなれない人との会話は助けてくれるのに。天敵を前にした小動物並に目をさまよわせる私を良い笑顔で送りだそうとしている。



「行ってらっしゃい」

「……行ってきます」



ところで、彼は何故こんなにもにこにこしているんだろう。最近の若者の考えはよく分からない。



「店主さん、ちょっと怒ってましたね。そんなに怪しいお店なんですか?」

「違いますよ!…えっと、私が隠し事をしていることに怒っていただけです。お店はとってもいいところですよ」

「そうなんですか。楽しみです」

「はい」



この地域に住んでいて、私や丘さんが知らない学生なんて居るんだろうか。たしかに大学は近いけど寂れたこちら側よりも少し先にある大きなショッピングモールの方に住む人が多い。だからここら辺に住んでいる若者は限られてくるし、世話焼きなご老人が多いこともあって自然と顔見知りになる。でもこの顔は見たことがない。そうか、初めに抱いた違和感はそれだったのか。



「あの、学生さんですか?」

「そうです。この近くの。気になります?」

「ここら辺で見かけることはあまり無いから珍しくはあります」

「あー。年齢層高いですもんね、ここ」

「はい。えっと、お散歩ですか?」

「いや、引越しです。一人暮らししてたんですけど、家事をやらなすぎて怒られて。近くにちょうど叔父が住んでいたので、転がり込む形になりました」

「なるほど。ちょっと意外です」

「あはは。よく言われます」



意外だけど、この前似たような話を聞いたところだったから驚きは少ない。そう、ちょうど今行こうとしている喫茶店のマスターが一昨日零していた話だ。

いや、こんな偶然あるわけが無い。現実は小説より奇なりなんて言葉はあるけど、その言葉が出てくるのも所詮小説。つまり本当の現実は小説より平凡であると私は信じる。



「あ、ここおじさんのお店。まだ遠いですかね?良かったらここにしません?味は保証します」

「……………………ここです」

「あはは。やっぱり?だと思ったんだよね。なんか叔父さんの話に出てくる学生さんと似てるなー、って。なんだ同級生じゃん」

「私も何となくそんな予感はしていました」


カラコロカラコロ


「ただいまー」

「おかえり。っと、あれ?2人知り合いだったの?」

「さっき知り合ったばかりですけどね」

「ね、僕ココア飲みたい」

「私はいつもので」

「はいはい。なんだか分からんが仲良くしてくれよ」



お店について安心したからか、同級生だとわかった途端凄く軽くなったノリに影響されたのか。まぁ何にせよさっきより話しやすい雰囲気になった。



「じゃあまず、自己紹介からいく?」

「ですね。穂積と言います。よろしくお願いします」

「よろしく穂積。俺は結城東。東って呼んでよ」

「はい。それで、この本について話したいんでしたよね」



あまり当回しな会話は得意じゃない。東さんもそのようで、さっきよりも生き生きとしている。



「そうなんだ。その本、作者も出版社も書いてないから自制作本だと思うんだけど、穂積が書いたの?」

「違います。私もこの本については何も知らないんです。ただずっと共にあるということしか」

「へぇ」



じっと私を見ていた光が、スっと細められた。



「穂積は神様とか星とかに興味があるの?」

「むしろそれしかありませんよ。天のことを研究するためにここに来ましたから」



私が通っている大学は天文関係で有名な研究室があって、そこでのびのびと過ごさせてもらっている。この地域には天に関する様々な噂や伝説が残っているから、きっと昔からの名残なんだろう。



「穂積ちゃん、どうぞ。……ほれ東、甘くしてやったからな」

「ありがとうございます」

「おじさんそういうこと言わなくていいから。てか穂積凄いね、ここのコーヒー濃いのに。味覚生きてる?」



とてつもなく甘いココアにさらに砂糖をドバドバと入れている人に心配されたくない。私はこの人の健康が心配だ。



「穂積ちゃんはお前と違って大人だから。おじさん5歳児の面倒見るの疲れちゃったなぁ」

「はぁ?それはおじさんの記憶が古いんだよ」

「酷いやつだな。もっと俺をいたわれ」



髪をくしゃくしゃにしてくる手を必死に避ける東さんは気づいていないだろうけど、マスターの顔には可愛くて仕方ないって書いてある。きっと、小さい頃からの仲なんだろう。



「穂積?どうした?」

「え、別に何も……?」

「そう?なんか凄いにこにこしてたから。いいね、笑顔」

「穂積ちゃんが笑うのはレアだからね。ま、俺のコーヒーが美味すぎたってことよ」

「絶対違うだろ」



羨ましかったのだと思う。小さい頃から一緒で、仲が良くて、お互いを思いあっていて。そこには私が欲しかったものが確かにあった。



「たぶん、合ってますよ。マスターのコーヒーは美味しいので、つい笑っちゃうんだと思います。ね、東さん」

「えー?僕はそうは思わないけどね」

「ここに来る前に『味は保証する』って言ってましたよね?」

「そうなの!?いやー、嬉しいなぁ。東は実は俺のこと好きだもんな。知ってるぞ」

「いや、あれはただの社交辞令というか。おじさんの事は別になんとも思ってないって」



さっきまで軽快に言葉をはいていた口は閉まって、手をブンブンと振り回している。彼は常に何処かを動かしていないといけないらしい。騒がしいものだ。



「そんな事より!僕は穂積と本の事を話したいの!おじさんはあっち行ってて」

「はーい。おじさんは退場しまーす」

「よし。それで穂積、本の事だけどさ。すぐ読み終わるから、一日だけ貸してくれない?続き気になっちゃって」

「それはいいですけど、読んでて面白いですか?日記みたいで特に起承転結とかありませんよ?」

「んー、面白いと言うよりは『興味深い』かな。単純に作者の事を好きになったってだけだよ。人柄というか、考え方が良いなって。だから何を思って何をするのかが気になるの」

「そう…ですか。そこまで言うなら、どうぞ」

「ありがとう!返しに行くなら何時がいい?」

「明日は2時頃からここにいると思います」



この喫茶店には2日に1回ほどの頻度で顔を出している。コーヒーを1杯飲んでオーナーと雑談して、たまにパフェをご馳走になって帰るのがここ半年の楽しみなのだ。



「分かった。それまでに読んでおくよ」

「はい。じゃあそろそろ大学に行く時間なので…」

「あ、そうなんだ。頑張って」

「ありがとうございます。………同じ大学なら、またお会いしそうですね」



コーヒーの熱が私に移って口もとを溶かす。店内にかかっている音楽はちょうど一周したようだ。



「僕はまた話したいと思ってるよ。君が許してくれるなら、だけど」

「このお店のコーヒーは美味しいし、音楽も好きです。あなたがいても気にならないくらいには」

「あはは。それは良かった。じゃ、またね」



ゆるく振られる手を見ていると何だか自分が押しかけたみたいに感じてくる。彼は丘さんのお店では異物だったけれど、ここにはまるで風景のように馴染んでいた。



「ご馳走様でした」

「ありがとさん。行ってらっしゃい!」

「はい、行ってきます」



カラコロカラコロ



雲ひとつ無い青空。今夜は綺麗な星が見れそうだ。

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