宿地での過ごし方
小さな馬車が街道をゆく。
長旅に耐え得る無骨な馬車の御者は、屈強な男だ。銀髪に深い青い目は北方の民族の特徴を持ってる。旅する者にとって必要なマントは黒い皮で、その鈍い色合いから長く愛用しているのが分かる。
ガタガタと鈍い音をさせながら、深い森をゆっくりと進んで行く。
深い森は緑の香りが濃く、鳥の声や獣の気配がする。
「間に合うか?」
荷台から若い男の声がした。
「日程に問題はないが、しばらく野宿なるな」
「まぁ、そうだな」
聞いた割には、気にした様子は感じられない。
「この先に宿地がある。今日はそこまで行く」
宿地は野宿がしやすいように整えられ、小さくても竈門と水場があり魔物避けの魔石が設置されている場所だ。
管理は魔石の交換だけでなので街道に複数設置されており、特に宿場の間にある、旅を急ぐ者には必要な場所でもある。
急ぐ旅人は軍人や国の要職につくものや、時に国の存亡に影響することもあり宿地は重要な場所でもある。
先を急ぐ旅人は必ず宿地を把握している。
到着した宿地は、森の中では拓けた場所で馬車を止める場所もある。
馬車から馬を外し草が生えてる場所に繋ぐと、荷台から顔を出したのは黒髪に黒色の瞳の東方の特徴を持つ小さな男だ。
「思ったより広い」
「まぁな。宿地とはいえ森の中だと馬車が停められる所は少ないからな」
雨を避ける場所はないが、今夜は大丈夫だろうと白銀の黒衣の男は思う。
カタンと荷台の後ろが開き小さな梯子が掛かり、ゆっくりと小さな男が降りてきた。頭に布を巻き、ゆったりとした服に耳飾りに首飾りに指輪と行商人らしからぬ出立ちだ。
「とりあえず一晩過ごす準備をするか」
そこで先ずは火を起こしの用意をし始めた。
魔導具を使えばいつでも火起こしはできるが、安い物ではないので雨の日にとっておきたい。
宿地には火起こしする場もある。とは言っても最低限で、竈門が壊れていることもしばしばだ。更に水場も枯れていることがよくある。
「しかし、これは焚き火跡だな」
「乾いているだけマシだろう。一応魔物除けはあるな」
隣にいる男が屈強なだけに東方の男は子供のように見える。
一方黒衣の男は油断なく周囲を確認する。
魔物は来なくても、悪意を持つ人間はいくらでもいる。
「水場を確認してくるから、ここは頼む」
「わかった」
黒衣の男を見送ると、小柄な男は左足を引きずりながら馬車に戻る。焚き付け用の馬車の中に下げてある杉の葉と積んである薪を出すと、名ばかりの竈門に運ぶ。周囲に焼けた石があるのは崩れたか崩された元竈門だろう。
「やれやれ」
石を寄せて風避けを作り、杉の葉と小枝を並べ火を付ける。火をつける魔道具もあるが、慣れれば火打ち石で十分だ。
小さな火種は杉の葉に燃え移ると瞬く間に大きくなり小枝に移った。それを囲むように薪を置いていると、黒衣の男が戻ってきた。
「シラハ、水はあったぞ。連れて行けば馬も飲める」
小柄な男、シラハの表情が少し明るくなった。
「よかった。水がないのは流石にきつい」
「ああ、馬を向こうに繋いでついでに水を組んでくる」
「頼むガイ。こちらの用意はしておく」
黒衣の男ガイは桶を持ち、馬を連れて行った。
その間に荷台から鍋と塩漬け肉、袋から乾燥きのこを出す。
「干し野菜は残り少ないな。この先もあるし今回はやめておくか」
幸い小麦粉は余裕がある。深鍋と浅鍋に皿も用意した。
竈門に戻ると水が置いてあり、すでに組んだ薪に火が移っている。火を整えて、先ずは浅鍋を火に掛けた。油紙に包んだ豚の脂身をナイフで薄く切り浅鍋に広げると、小麦粉を水で柔めに溶き流し入れる。表面が乾いてきた頃合いで翻し薄いパンを焼き、皿の上に重ねていく。
パンを焼き終わると、深鍋に変えて水を入れ塩漬け肉をナイフで切りながら入れていると、ガイが馬を連れて戻ってきた。
「食える奴があったぞ」
いくつか野草を取ってきた。
「ありがたい。干し野菜は残りが少ないから助かる」
乾燥きのこを入れ、沸騰するのを待ちながら野草を確認する。あくの強い物はないからそのまま入れて大丈夫そうだ。
肉ときのこが柔らかくなったところで野草を千切って入れ、先程パンを焼く時に小麦粉溶いた器に水を入れて、洗った水を鍋に入れてとろみにする。
これで、スープとパンが用意できた。
「できたぞ」
「おう」
すでに周囲は薄暗くなっている。
火を囲み、スープを掬う。これに、パンを浸しながら食べる。
ガイはパンにスープの具を挟み豪快に口に運ぶ。
「シラハ、うまい」
「ああ、今日の出来はいい」
パンの大半はガイの胃袋に収まり2枚は明日、移動中に食べるようにとっておく。特に明日は移動するだけになる。食べられる物を用意しておくに越した事はない。
そして、残ったスープは朝食用にする。
「さて、今日はもう休むか」
「そうだな。シラハ、結界を頼む」
ガイは元戦士故にそれ以外の能力はない。
対してシラハは足だけでなく、体力的には壊滅的ではある。だが、この旅に必要な結界を張ることができる。
シラハは手を合わせて祝詞を唱える。
「我が白神に願いもうし奉ります。邪なる者、不吉なる者より我らを守りたまえ」
白い光が包み込み、周囲の空気が硬化した。
これで今晩はゆっくり休める。
シラハは焚き火の横に横たえて眠る。
焚き火の焦げた匂い、森の緑と、土の匂い。これらが優しく囲み、草の揺らぐ音も静かになっていった。
ガイは木にもたれならがら、獣の気配や草木の音を聞きながら眠る。暖かい薄い幕は自分たちを守るだろうが、身に付いた警戒心を解くことはできない。
浅い眠りのまま朝が来る。
湿った草の匂いと、焦げた木の匂い。
ここには棘ついた殺意も邪な悪意もない。
光を感じて目を開けると、横になって寝息を立てる相棒がいる。
静かな朝だ。
起き上がると、もうガイはいない。
火には薪が足されて大きくなっている。
ぼんやりとしたまま、きのうの鍋を火の上に置く。
「起きたか」
「ああ」
手には水を入れた袋があった。どうやら水汲みは終わっている。
一方、自分ができる事はあまりない。
眠気と戦いながら小麦粉を水で練り、団子にしてスープに入れる。
「どうだ?」
「ああ、そろそろいい頃合いだ」
団子入りスープを掬うと嬉しそうに器をさしだしてきた。
実は、ガイはこの団子を淹れたスープが好物だ。
出来立てを救って渡すと、さっそく小麦粉の団子を頬張る。汁を吸った団子は旨味に溢れている。
無言で食べているその様子から気に入ったようでよかった。
残っていたスープは完食だ。
「さて、準備をするか」
空の鍋に食器をまとめると、ガイは川に向かう。
シラハは火の始末をして、馬を馬車に繋ぐ。
草も水も十分で今日は元気に走ってくれそうだ。
洗った鍋と食器を手にガイが帰ってきた。
「すぐに行けそうだな」
「ああ、頼む」
と同時に、抱き上げて荷台に放り込んだ。
「ガイ、もう少し優しく」
「そうか」
「反省してないな!」
「出るぞ」
慌てて梯子をしまい扉をしめる。
「まったく、少しは話を聞け!」
シラハのボヤキも虚しく馬車は走り出す。
まだ、目的地まで遠い。
ガイとシラハのそれぞれの物語が続いて行きます。
ただ、しばらくは二人のゆっくりとした旅路が続きます。