第七話 敵襲だ
化け物ゴリラを倒してから数分、私たちは誰一人会話をすることなく森の中を進んでいた。先頭にはティオナ、真ん中に私、最後尾が幸太郎だ。ティオナは魔術犯罪組織とやらが潜伏している場所に心当たりがあるらしく、迷うことなくグングンと進んでいる。時折警戒するように周囲を見渡しており、ちらりと見える横顔からは、少し緊張が伝わってくる。
一生懸命なのはわかるけど、……うーん。
まだ完全に信用したわけじゃない私たちに背中を向けるのは、ちょっと良くないと思う。いくら共闘関係とはいえ、無防備に背中をさらすのはダメだろう。先走りすぎだ。私に襲われたらどうするんだ。さっき化け物ゴリラと戦わされたの、まだ許してないからな。いや、襲わないけどさ。……ほんとだよ?
うすうす思っていたけれど、やっぱりこの娘は基礎的な戦闘については素人に近いのかもしれない。これから犯罪者と戦うのかもしれないのに、大丈夫だろうか。
ティオナの魔術は確かにすごかった。魔物を一瞬で制圧していた。けど、知能のない獣は魔術で倒せても、ずるがしこい人間には上手く騙されて負けてしまいそうで、心配だ。
一方、後ろの幸太郎は魔物ゴリラとの戦いからずっと黙って考え事をしている。握り拳を自分の額を一定のリズムで軽く叩いている。これは幸太郎が集中している時の癖だ。この時に話しかけても、適当に返事をされるか無視されてしまう。
「あの魔物は……?脚力は?いや、ティオナさんの時も俺は……?」
よくわからないことをブツブツと呟いている。何か引っかかることがあるみたいだが、そんなに考えすぎると将来ハゲるのではないかと、姉としては懸念している。その時は育毛剤を買ってあげよう。
そもそも、こんな常識の通じない異世界で結論を出すのは、難しいんじゃないかな。常識が違うんだし。
もうそんなに考えるのはやめろよーと、声をかけようとした時、何か鈍く光るものが視界の隅に入った。
「ん?」
何だあれ?
よく見るとそれは光ではなかった。ツルツルとした物が陽の光を反射している。それはだんだんと大きくなり、周囲の木々を飲み込みながら、私たちの方へと向かってきていた。
……っ!! やばい!
「幸太郎!!後ろに跳べ!!」
反射的に叫び、私は前にいるティオナを抱きかかえるようにして前へと全力で走った。「な、何を!」とティオナはもがいたが、それは無視。今はそれどころじゃねぇ!
ズシャァァァァ!!という轟音を鳴らし幸太郎と私たちの間を通過する物体。よく見ると、巨大な岩であることがわかった。
何で岩が豪速球で?
幸いにも、いち早く回避をしたおかげで三人共無事だった。しかし、飛んできた岩は木々を飲み込み、私たちと幸太郎の間には、木々の残骸と地面が抉れた跡だけが残っていた。
……今度は何だよ。 もういい加減慣れてきたぞ。
攻撃が来た方向を見るが、人影はない。もしかしたら、近くに潜んで攻撃のチャンスを狙ってるのかもしれない。
「くっ!姿を現しなさいっ!!」
敵襲であることに気づいたティオナが勇ましく剣を抜く。お、おい、なに叫んでんだバカ。そんな威勢は今は必要ない。私は無言でティオナの口を素早く抑えた。「む、むぐー!」と抗議をするティオナに、私は声を抑えて耳打ちする。
「落ち着きなって!姿の見えない相手に、叫んじゃダメでしょ。居場所教えているようなものだし、他に動物とか呼ぶかもしれないから、静かにして」
理解してくれたのか、ティオナは納得したような表情になり、落ち着いたようだった。私は手を離し、周囲を見渡す。
すると、そんな警戒とは裏腹に、抉った地面をなぞるようにして、細長い人影が堂々と近づいてきた。
「おやおや、避けられてしまいました。不意を突いたつもりでしたが、お見事です。僕もまだまだ修行が足りませんね。精進しなければ」
それは異様に痩せた男だった。手足は長いが、顔がアンバランスに大きい。首には緑の宝石があしらわれたチョーカーを着けている。年は若そうだが、髪の毛が薄くやたらと老けて見えて、その表情は不愉快なにやけ面をしていた。
何だこいつ。
近寄りがたい、というよりも近づきたくない奴だった。
そして、何よりも気になったのが、ティオナが着ている制服と同じデザインの服を着ていることだった。ただ、服の両腕の部分だけが不自然に引きちぎられて、何だか奇妙な格好だった。
もしかすると、何とか魔術学校の人なのか?
なら、何で襲ってきたんだ?
……もしあの袖がファッションなら究極にダサいな。
「お前は、エマヌエル!」
吐き捨てるようにティオナが言った。反応からして、このエマヌエルという男はどうやら知り合いらしい。けど、ティオナは明らかな敵意を向けている。
「いやはや!誰かと思えばティオナ・ギルドバードさんじゃありませんか!また会えて嬉しいです!」
顔面をしわくちゃにして笑い、喜びを表すエマヌエル。人を見かけで判断してはいけない、とはよく言うが、あいつには不快感と嫌悪感しか感じない。
私は一応、確認のためにティオナに尋ねる。
「敵なの?」
「……数日前、グラダスの第一級魔道具と共に姿を消した生徒の一人です。犯罪組織に拐われた、襲われたなど噂が流れていましたが……」
「……あの様子だと裏切り者って感じだね」
「裏切りとは人聞きが悪いですねー、そちらの女性の方。僕はただ自分がふさわしい場所へと所属を移しただけのことですよ」
エマヌエルは大袈裟に肩をすくめる。芝居がかって神経を逆撫でされた。
……盗人で裏切り者。第一級魔道具とやらがどれだけの価値があるのかはわからないけど、やっぱり悪人だった。私は素早く竹刀を一本取り出す。竹刀袋にはもう一本入っているので、邪魔にならないよう林へと投げこんだ。
今までとは違って敵が人間だっからなのか、私はさっきよりも冷静だった。
その代わりに、ティオナが冷静な様子じゃない。
「エマヌエルッ、貴様っ……!」
「おやおやおや、そんなに思い焦がれていらっしゃるとは嬉しいですねー!あなたのような綺麗な方に、そんな熱い思いをぶつけられるとは、僕は光栄です」
「……ライザを、ライザをどうした、答えろ!ライザはお前のように、裏切るような真似は絶対にしない!」
「え? ライザさん? ……えぇ、ライザさんですか」
ニヤリ、とエマヌエルは気持ちの悪い笑みを浮かべる。エマヌエルは制服の懐から、薄い石板を取り出した。
……あれは、確かノワールとかいう通信機?
ティオナが持っていた物よりも一回り大きいが、形状はよく似ている。
「この通り、ライザさんは無事ですよ。えぇ、少しだけ怪我をしてしまいましたが、それは仕方ありません。一緒に行こうと、僕は会話を試みようとしたのですが、ライザさんったら話を聞いてくれなくて……。因果応報、というやつなのかもしれませんね。悲しいことです」
ノワールには、薄暗い部屋で倒れている女の子が映されていた。腕と足は枷で拘束されている。長い銀髪が床に広がり、ピクリとも動かない。息をしているのかもわからなかった。
――人質か。
胸の底から吐き気にも似た怒りが込み上げてくる。ティオナとエマヌエル、そしてライザという女の子について、どんな関係なのかは知らないけど、今すぐにでも、あのエマヌエルとかいうクソ野郎を殴りたかった。けど、エマヌエルがどんな攻撃をするかわからない。さっきの猛スピードで飛来した岩のこともあるし、下手に突っ込むわけにはいかない。私は理性で混み上がる怒りを抑えようとした。
「落ち着けよ、姉ちゃん」
「……わかってるよ」
釘を刺してきた幸太郎の方を見ると、幸太郎もエマヌエルを睨み、いつでも攻撃できるよう腰を落として構えている。口では落ち着けと言っているが、幸太郎もエマヌエルへの敵意を隠せていない。
……くそ、人質がいるから下手に動けない……!。
ティオナは光剣の柄を握りしめ、怒りを顕にする。
「貴様っ……、貴様よくもライザを……!!」
『はいはーい。お、ティオナちゃんじゃなーい。学年トップがそこで何してるの? ふふふ、まぁ大体予想つくけどね。リニア、頭良いから』
ノワールの画面に違う人物が写りこんだ。自分のことをリニアと呼ぶその女は、エマヌエルと同様にティオナと同じ魔術学校の制服を着ていた。金色のカールした髪にやたらとでかいピアスを着けている。化粧が濃く、カールした睫毛で眼球が見えないほどだ。
人をイラつかせる高い声で、リニアは続ける。
『あれ~そこの二人は誰~?うーん、ティオナに友達がいるわけないし、ん~、これはとても難しい問題だね。リニアにはわからない』
「リニア!ライザを解放しろ!場所を言え!」
『落ち着きなよ~。リニア怖いよ。そんなに逢いたかったら逢わせてあげるからさ。ねーエマヌエル』
「ええ、もちろん。逢わせてあげますよ。なのでティオナさん、まずはそちらの光剣――僕に渡してください」
ティオナは「ふざけるな!」と剣の切っ先をエマヌエルに向ける。
「術式起――」
『はいやめてねー。そんなことしたらライザちゃん死んじゃうよ~。もう半殺しだからリニアがちょっと手を加えたら簡単にサヨナラだねー。たいへんだたいへんだ』
「くっ……!」
「ティオナさんの光剣、それはそれは価値のある魔道具らしいじゃないですか。ギルドバード家が先祖代々受け継いできたとお聞きしたことがあります。まぁ、恐らく魔力適正が厳しくて僕らには使えませんが、組織に献上すればいいでしょう。さぁ、地面に剣を置いてください、ティオナさん」
ティオナは悔しげな様子だ剣を鞘へと納め、ゆっくりと地面に置いた。
……これは、まずい。とてもヤバい状況だ。
もし、ここで私と幸太郎が決死の覚悟でエマヌエルに挑み、倒したとしても、あの化粧が濃いリニアとかいう奴が、人質であるライザさんを殺してしまう。かといって、このまま言いなりになってしまうと、エマヌエルは私たちに攻撃、最悪の場合は殺されるだろう。
幸太郎に視線を送ると、緊迫した表情で首を横に振った。下手に動かない方がいい、ということだろう。
なら、どうすればいいんだよ!
心から嬉しいそうに笑いながら、エマヌエルはティオナに近づいていく。
「ティオナさん、ありがとうございます! では、失礼しまして――術式起動――部分獣化」
エマヌエルのチョーカーに着いている緑の宝石が光を放つ。文字のような幾何学的な光の線が表れ、エマヌエルの周囲を囲む。
やがて、光はエマヌエルの右腕に集中していき、光がより一層強くなった。
「ティオナさんにこれをお見せするのは初めてですねぇ。どうです、荘厳で流麗で素晴らしいでしょう?」
「貴様、それは……!」
「グラダスから持ち出した魔道具を改造したんですよ。いやいや、とても清々しい気分です」
右腕の筋肉が、ボコボコと音を立てて隆起する。まるで腕の中に虫が這いずり回っているようだった。やがて、腕は元の大きさの倍以上に巨大化し、はち切れそうな筋肉を持った豪腕に変化した。
「何あれ……魔術って何でもありかよ」
それは、もはや人の腕ではなかった。肌は茶色く、筋肉の量は人の限界を悠々と越えている。右腕だけが獣のようで、他の人の部分との不自然さが、まがまがしい不気味さを醸し出している。
どうやら、魔道具というやつは道具として使うだけでなく、人の体すら変形させてしまうらしい。昔やったゲームにでてきた、呪いのアイテムみたいだ。
――あの腕で、私たちに岩を投げたのか。
「それでは、約束通り逢わせてあげましょうか」
エマヌエルは、その獣の腕でティオナの体を素早く掴んだ。「がっ!」とティオナは肺の中の空気を強制的に押し出され、苦痛の声を上げる。
「ティオナ!」
「姉ちゃん、動くな!今、俺らが動くとティオナさんは簡単に握り潰される」
幸太郎に言われ、助けようと駆け出した足を止めた。ティオナは「がっ……、はっ……!」と苦痛の声を断続的に漏らしている。その声に、エマヌエルは快感に浸るような恍惚とした表情をした。その気持ちの悪い顔で、私と幸太郎を見る。
「ええ、そちらの黒い服の方、正解です。無闇な殺生を僕はしたくありません。だからどうか、どうか動かないでくださいね」
『あはははは、じゃあ後は頼んだよ~。エマヌエル』
「もちろんです」
ノワールを懐へとしまい、エマヌエルは変化していない人間の左手で光剣を拾い上げた。私たちの方を向き、世間話でもするかのように話を続ける。
「あなた方がどなたかは存じ上げませんが……。見たところグラダスの方でもなければ、自身の魔道具をお持ちでもない。てっきり仲間かと思いましたが、魔獣が多いこのゾンバ地域において、あまりにも軽装……。ふぅむ、まぁ、いいでしょう」
「ティオナを離せ、クソ野郎」
「おやおや、お怒りのようですね。僕はティオナさんとの約束を守るだけですよ。決して悪行をしておりません。もちろん、これからもするつもりはありません。あなた方にも危害を加えるつもりは、これっぽっちもありませんとも」
だからご安心を、と笑うエマヌエル。首につけたチョーカーの宝石が、再び光を放った。
「僕の魔道具は『獣』を司っておりましてねぇ。うっかり気を抜いてしまうと、こんな魔獣が多い地域では、ある種の魔獣を集めてしまうんですよ。ええ、本当に悪気はないんですけど。もしかしたら、今も来ているのかもしれませんねぇ。いやはや、厄介なものです」
「……さっき俺たちを襲った魔獣は、お前の仕業か?」
「はてはて、何のことでしょうか? もしかしたら、これからその猿人型魔獣の上位種があなた達を襲ってしまうかもしれませんが、僕には関係のないことです」
白々しく、エマヌエルはとぼける。
――そうか、さっきのゴリラの魔獣もこいつが操っていたのか。ものすごく弱かったが、きっと相手の実力をはかるために指示したんだ。どんな魔道具を使うか、どんな攻撃スタイルなのか。
相手の手の内を知っているか知らないかは、大きなアドバンテージになる。
私は唇を噛んだ。こいつ、用意周到だ。自分が負けないためにあらゆる準備をするタイプだ。
『ガァーーーッ!!』
獣の雄叫びが、四方八方から聞こえてくる。周囲を見渡すと、さっき倒したガリガリのゴリラみたいな魔物や、身長が二メートルを越えるような猿みたいな魔物がいた。ただ、その魔物は筋肉が段違いに発達していて、皮膚を破りそうに見えるほどだ。エマヌエルの筋肉と、よく似ている。種類は違えど、ほとんど魔物が猿と人の中間のような顔をしていて、鳥肌が立った。
「うわぁ、三百くらいはいるんですかね。僕とティオナさんはもう行きますので、あなた方は気をつけて帰ってくださいね。それでは、またいつか御会いしましょう」
「待て!」
私は跳びだそうとしたが、すぐ前に何匹もの魔物が立ちふさがった。威嚇するように唸っている。こちらの出方を警戒しているが、いずれ痺れを切らして攻撃してくるだろう。
エマヌエルはティオナを掴んだまま走り、あっという間に姿を消してしまった。
「くっそ……!」
私は幸太郎と背中を合わせ、周囲を見渡す。どんなに目を動かしても、視界は魔物でいっぱいだった。
『ギャガァァァァーーー!!』
『グルゥゥゥゥ!!』
『シャァァァァーーー!!』
「……おい、幸太郎……」
「ああ。……絶体絶命ってやつだな」
作者、日本に帰国する