All I need is...
「ねぇ、納得いかないんだけど」
少し不貞腐れた様子で、茉莉はベッドの上から身を乗り出した。その手には、1冊の文庫本が握られている。
「何がだ」
そのベッドにもたれかかっていた啓太は、漫画雑誌を読みながらぶっきら棒に返事をした。
「この小説だよ。トリックは面白かったし、この探偵のキャラクターも好き。でも、なんでこのヒロインと、恋に落ちる訳?」
「ヒロインだからだろ」
「そういうことじゃなくてさぁ」
茉莉はグダグダと言いながら、ベッドにぐでんと横になった。
「なんか、気づいたら2人とも恋に落ちてたんだけど」
「気づいたらって……。ちゃんと文章で書いてあったろ。小説なんだから」
「どこによ?」
うーんと唸っている茉莉に、啓太ははぁ、とため息をついて、読んでいた雑誌をパタンと閉じる。そして、呆れた顔をして茉莉の方を振り返った。
「あのな、俺、その小説読んでんだわ。っつか、その小説俺の本棚から引っ張り出してきただろ、お前。で、間違いなく2人の恋愛について、わかりやすく描写があったことを俺は覚えている」
すると、うっそだー、と茉莉は胡乱げな表情で啓太を見た。
「問題なのは、その小説じゃない。お前の頭の方だ。そしていつまで俺のベッドを占領している」
そう言って啓太が茉莉をじとーっと見ていると、茉莉はそれと対称的ににっこりと笑った。そして啓太の言葉をまるっと無視し、啓太の手元を覗き込む。
「あ、それ今週のやつじゃん!読ませて!」
「お前、それ俺まだ途中で……」
茉莉は啓太の手から雑誌を奪い取ると、先程まで読んでいた小説を啓太に押し付けた。そしてそのままベッドに転がり、いそいそと雑誌を開く。その相変わらずの傍若無人な姿に啓太はまたため息をつき、再度ベッドに背を預けると、茉莉に問いかけた。
「お前、少年漫画、好きだよな」
「好きだねぇ」
「でも、周りは女性向けの漫画を読むんじゃないのか?」
「そりゃ漫画を読んでる人は読んでるけどさ、漫画より現実の恋愛みたいよ、みんな。私ら花の女子大生ですから」
そりゃそうだな、と啓太は宙を見ながら呟いた。茉莉はそれを無視し、雑誌をパラパラとめくっている。
「……花の女子大生が、幼馴染の部屋で漫画読んでていいのかよ」
「私の勝手でしょー?正直、私恋ってよくわかんないし、恋愛系の漫画も好きじゃない。少年漫画のバトってるやつがいい。恋愛的な好きって何。漫画だって、何でそんな簡単に人を好きになるのって思うし」
「恋愛が絡む本はな、さっき読んでた小説だろうが、漫画だろうが、お前みたいな感覚を持ったヒロインだと完結できねぇんだよ。恋に落ちないんだからな。でもな、世の中には、本当に漫画レベルで人を好きになるやつだって五万といるんだ。顔が好みなだけで恋に落ちたりもするんだよ。そんなの、人それぞれだ」
啓太は手元にある小説をパラパラ、パラパラ、と繰り返しめくりながら、呆れたような口調でそう言った。すると、茉莉は読んでいた雑誌を投げ出し、ベッドの上に座り込んだ。啓太は振り返って茉莉を見やる。
「友達が、好きな人だの彼氏だのが『今日もカッコいい』とか、『側にいるとドキドキする』とか、『今日も会えて嬉しい』とか、『今日は会えなくて寂しい』とか言ってるけど、昔からよくわかんないんだもん。ドキドキって何?どうなったらドキドキ?人を好きになると、絶対ドキドキすんの?」
「お前、めんどくせぇな……」
茉莉は声音を変えながら、身振り手振りを交えてそう言った。その様子に啓太は顔を引きつらせた。
「別に恋なんてしなくたって、死なないし」
「まぁ、そりゃそうだ」
「All I need is money. お金さえあればなんだってできるじゃない」
そう茉莉が呟くのを横目に、啓太は今のうちにと茉莉が投げた雑誌を回収する。その様子を、茉莉はじーっと見つめていた。その視線に、啓太は仕方なく茉莉の方に体を向け、茉莉と向かい合ってから口を開いた。
「お前は俺に、何を求めてるんだ。金が全てって、自分で結論づけてるじゃないか」
「それはそうなんだけど、なんか啓太は人を好きになることを理解できてそうなのに、私には理解できてないことが、腹立つ」
「お前、ガキかよ……」
啓太ははーっと息を吐き、右手で頭をガシガシとかいた。
「別に、理解する必要はないと思うぞ。俺だって、どうなったらドキドキかなんて、わからんわ。恋の基準なんて、人それぞれだしな。そもそも、小説とか漫画とか読んで、何でだよ、なんてつっこまねぇわ。そんなもん、くらいでいいんだよ」
「えー、なんかあしらってない?」
「これ以上何を求めんだよ。お前、なんか恐怖心の出るとこ行ってこい。吊り橋効果って言うだろ。怖いところでのドキドキを、恋だと頭が勘違いするってやつ。恐怖でドキドキしたら、もうそれを恋のドキドキだと思っとけ」
すると、茉莉はむーっと口を尖らせて、拗ねたように言った。
「一緒に行ってくれる男の人、いないんだけど」
「お前な、1人で行ってくるんだよ。本当に恋だと勘違いしたら、相手の男がかわいそうだろ」
「えぇー、うーん、でも、やっぱ面倒くさいからいいや」
そう言って茉莉はベッドに突っ伏した。その様子に啓太は天を仰ぎ、まぁ、いいけどさ、と呟いたところで、1階から啓太の母親、由香里の声がした。
「茉莉ちゃーん、啓太、ご飯よー」
はーい、と叫びながら、茉莉が嬉しそうな顔でベッドから起き上がった。
「お前、飯食ってくのか」
「うん。さっきお願いしといたの。うちの親今日いないんだー。自分で作ってもいいけどさ、おばさんのご飯、美味しいんだもん。それに、今日おじさん遅いらしくて、啓太と2人だと楽しくないから丁度良かったわ、って言ってたよ」
そうニコニコと笑いながら言うと、茉莉は部屋のドアを開け、ダダダっと階段を降りていく。啓太はそれにゆっくりとついていった。
「茉莉ちゃんは本当に美味しそうに食べてくれるから、おばさん作り甲斐があるわぁ」
「だっておばさんのご飯美味しいんだもん」
「それに比べてこの子ってば、何を食べても無表情なのよねぇ。茉莉ちゃんみたいな子が欲しかったわー」
そう言いながら、由香里は啓太を見た。啓太は由香里を無視し、パクパクとひたすらにご飯を食べている。由香里ははあとため息をつき、視線を茉莉に戻すと、楽しそうに茉莉に話しかけた。
「茉莉ちゃんは、最近大学どう?いい人とかいないの?」
「大学は変わらずって感じかなー。今はそんなに忙しくないし。いい人……はいないかな。おばさんも知ってると思うけど、相変わらずそういうの興味なくて」
「そっかぁ。この子も、彼女の1人も連れてこないのよねぇ……茉莉ちゃん、啓太に彼女がいるかとか、知らない?」
「いないねぇ」
由香里は再び啓太を見ると、2人ともかぁ、と寂しそうに呟いた。
「そろそろ、どっちかに恋人でもできてないかなぁって、ちょっと楽しみにしてたんだけど……」
「おばさん、ごめんねぇ。私、まだ啓太の部屋でグダグダやって、おばさんの美味しいご飯食べてるのが1番好き」
茉莉が申し訳なさそうにそう言うと、由香里は笑いながら答えた。
「そう言ってくれるのは嬉しいのよねー。気長に待ってるから、彼氏ができたらおばさんにも教えてねー」
「できたらねー」
そう言って2人が話しているのを、啓太は相変わらず無視して食事を続けた。
食事を終えると、また2人で啓太の部屋へと向かう。啓太の手には、由香里から渡されたプリンとコーヒーののったお盆が握られている。それらを部屋のローテーブルに置くと、茉莉はプリンをうっとりと眺めながら言った。
「おばさんの作ったプリンも、美味しいのよねぇ」
「お前、昔から本当に花より団子だよな。太るぞ」
「余計なお世話よ。偶になんだからいいでしょ」
テーブルの下から茉莉の足が伸びてきて、啓太をゲシゲシと蹴る。それを避けながらはいはい、と啓太が流すと、茉莉は足を戻し、プリンを手にとって食べ始めた。
「さっきの話なんだけど、啓太に彼女はいないよね。じゃあ、好きな人とかはいないの?」
「いねぇな。俺今、恋愛したいと思ってないし」
「じゃあなんで恋愛がわかってそうなのよ」
「いやだからな?わかんないって。あの子可愛いなーくらいは思うことあるけど、好きになったことはねぇよ」
そっかぁ、と言いながら、茉莉はペロリとプリンをたいらげた。
「これも食うか?」
啓太が少しだけ食べたプリンを差し出すと、茉莉はやったぁとそれを受け取り、嬉しそうに食べ始める。それを見ながら啓太はコーヒーを口に運んで喉を潤すと、ぼそりと呟いた。
「お前はドキドキがどうのとか言ってたろ?あくまで俺の持論だが、俺は全ての恋愛がドキドキしなくていいと思っている。そもそもな、最初はドキドキしてても、長く付き合うと、ドキドキもへったくれもなくなると聞く」
「へ?そうなの?」
茉莉はプリンを手に持ったまま、驚いた様子で聞き返した。啓太はまたため息をつく。
「お前の周りには長く付き合ってる人たちはいないのか……」
「うーん、片思いが多いかな」
茉莉は首を傾げながら、苦笑して言った。啓太はふーっと一息つくと、もう一度口を開いた。
「でな、彼氏は今後一生一緒にいるかもしれない相手だぞ?好きで付き合っても、性格が合わずに別れることだってある。『この人が大切だ』とか、『この人となら支えあっていける』とか、『全てをさらけ出せるし、受け入れられる』とか、『楽しく生きていける』とか、そう言う安心感とか信頼って、大事じゃねぇ?2人の間にドキドキがなくたって、こう思えてればそれも立派な愛だろう」
「……ふーん、そっかぁ」
啓太の持論を聞いて、茉莉は多少納得できたようで、1人何やら考え込んでいる。
「別に、金が全てで生きてても問題ないと思うぞ。これでいいか?なんで俺がお前に恋愛について語らないといけないんだ……」
啓太は疲れたように言うと、続きを読もうと漫画雑誌を手に取った。その時、ぼそりと茉莉が呟いた。
「……ねぇ、啓太。結局恋愛はよくわからないんだけどさ、啓太の持論で言うなら、私は啓太を1番信頼していて、1番一緒にいて安心するな」
その言葉に驚き、啓太が雑誌から顔を上げて茉莉を見ると、茉莉は真面目な顔をして続けた。
「私には啓太がいればいいって思うのは、愛なのかな?啓太は、どう思う?」
その言葉に、啓太は漫画雑誌をバサリと落とし、茉莉と対照的に顔を赤らめた。あ……え……と言葉にならない声をしばらく発していたが、赤い顔のまま、茉莉から顔を背けて言った。
「俺も、茉莉を一番信頼していて、一緒にいると落ち着くよ。俺も、茉莉がいればいい」
その啓太の言葉に、茉莉も少しだけ照れたような顔をして、にこりと笑った。