第三話 依頼
そこに存在にする物全てがとても神秘的で未知なる無限の可能性を秘めていた。
故に人々はそれらを求めて冒険をした。
ある者は富を求めて。
名声を求めて。
知識を求めて。
力を求めて。
胸が高鳴る様な冒険を求めて。
そしてまだ見ぬ神秘的な世界を求めて。
聖秘大陸群、ここには人類が求めるもの全てがあった。
『未知で神秘的な世界』、何と甘美で素敵な響きだろうか。
だがこの世界はそれと同時に獰猛で凶悪な牙を隠し持っていた。
富と同時に絶望を人々にもたらしたのだ。
三百万人。
毎年、聖秘大陸群関係で行方不明になる人々の数である。
危険だと分かっていても富を求め聖秘大陸群に向かう人々が後を絶たなかった。
自分なら大丈夫だと彼等は思っていたからだ。死ぬのは間抜けな奴等だけと彼等は思っていた。
だがその大半が二度と戻って来なかった。
向こうに行って無傷で戻ってこられる人間は有り得ないくらい運の良い奴か一握りの強者だけだった。
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「依頼をお願いしたいんです!」
両手の拳を力強くぎゅっと握り締める少年。短く整えられた清潔な白髪に水のように透き通った青い瞳。
穏やかな雰囲気の優しそうな少年だった。
その少年はアンティークのテーブル越しにある白いソファーにちょこんと座っている目の前の人物にそう叫んだ。
「すいません私一人では決められませんので。」
口の周りにクリームを付けたまま喋る可憐な少女。
右手にはアイスクリームが握られており小さな口をモゴモゴと幸せそうに動かしていた。
白髪の少年が少女を訪ねてきたのは突然だった。
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黒い回転椅子に座っていた少女は鼻歌を歌いながら冷蔵庫に向かって行った。
上機嫌な少女の可愛らしい鼻歌が広い家中に響き渡る。
冷蔵庫の中を開け真剣な眼差しで少女は中を物色する。一通り物色した後に少女はそっと冷蔵庫のドアを閉めた。
幸せそうに笑う彼女の手には白い冷気が出ているアイスクリームが握られていた。
回転椅子に腰を下ろし今正にそれを食べようとした瞬間。
家のチャイムが鳴った。
少女は口を大きく開けたまま金属で出来た大きめの扉を見つめた。
小さな手に持つアイスクリームをチラリと見る。
繊細できめ細かく上品な舌触り、口の中に入れると雪の様に一瞬で溶け優しい甘さが口の中に広がる。
そう噂される限定品の『粉雪アイスクリーム』。
寒冷な気候で知られるこのカルロス地区の名産品の『雪解け牛乳』を惜しげも無く使った贅沢な一品であった。
目を閉じ少女は一人で納得するように頷いた。この待ちに待った至福の一時を邪魔される訳にはいかないのだ。
何せ少女はこの限定品を買うために寒い中で五時間も店に並んだのだから。
小さな口を再び開け一口食べようする。
「すいません誰かいますか?」
チャイムの代わりに今度は声がした。少年の様な高い声が。
少女は口を開けたまま眉間に皺を寄せた。その瞳は扉の向こうを刺すように睨んでいる。
ほんのりと紅い口から大きな溜息が一つ漏れる。
右手に持ったアイスクリームを残念そうに見て少女は扉の向こうにいる人物に返事をした。
「今開けます。」
「は、はい!」
これが事の始まりだった。
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「・・・・・・本当にここは例の収助者がいる所なんですよね?」
「はいそうです。」
少年は内心不安だった。
聖秘大陸群で救難信号を出した父を助けてくれる人を探していて噂で聞いたこの場所を訪れた。
腕が良いと評判の収助者を何十軒も訪ねたが何所も胡散臭かったので信用出来なかった。
そしてやっとの思いで見つけたのがここだった。
見つけたはいいが居たのは自分より明らかに年下の可憐な少女だけだった。
ここも今までと同じかもしれない。少年は少しだけそう感じていた。
少女が出したお茶を一口飲み、焦る気持ちを少年は落ち着かせる。
少年が口に含んだそのお茶は少し苦かった。
聖秘大陸群で遭難した人間が助かる事は基本的には無い。
多くは遭難すると同時に死ぬからだ。しかしごく稀に死なずに生き残り救難信号を出す人間がいる。
聖秘大陸群に行く者は国連が発行する盾型のバッジを付けることを義務つけられている。
そのバッジは救難信号を出す事が可能で本人の生存を知らせる事も出来る優れた物であった。
白髪の少年が父親が救難信号を出して生きていると知ったのもこのバッジのお陰だった。
また、そういった人間を助けられるのは一部の実力者だけである。
悲しい事だがその救助成功率は専門家である収助者で約三パーセント。
それも時間と共に遅れるとその成功率はどんどん下がっていく。
救助のされる側の人間が向かう途中で死ぬのも珍しくは無く救助成功率を下げる大きな要因となっていた。
だが少年が訪れたこの場所の救助成功率は五十パーセントを超すと噂されていた。
都市伝説的な噂だったが藁にも縋る思いで少年はこの場所に賭けた。
期待と不安が複雑に絡み合う心境の中で例の人物を待った。暫くすると不意を突くように後ろの扉が開く音がした。
「ただいまー怜! 良い物を買ってきたよ。」
「お帰りなさい陰!」
明るく軽い声がシンプルな造りの広い部屋に響く。
座っているソファーの後ろから聞こえてきた声の主の方を白髪の少年は振り返った。
「おっ! お客さんかな?」
白髪の少年は目を点にして驚いた。
現れるのは筋骨隆々の如何にもという感じの強者だと思っていた。
だが現れたのは漆黒の髪で黒い瞳をした普通の少年だった。
白髪の少年には陰が驚異的な救助率を誇る人物にはとても見えなかった。
陰は少年の反対側にある白いソファーに座り膝の上で手を組んだ。
「お、おっ邪魔してます。僕はクオンと言います。」
「陰だ、宜しく。」
「宜しくお願いします!」
クオンと陰は軽く握手を交わして会話を続けた。
「あの陰さん、いきなりですが本題に入っていいですか?」
「どうぞ。」
黒い回転椅子に座った怜は二人の会話をお茶を飲みながら黙って聞いている。
「・・・・・・聖秘大陸群で遭難した僕の父を陰さんは助ける事が出来ますか? 父はまだ生きてる筈なんです!」
「生きてるなら出来るよ。保証するよお客さん。」
即答だった。
陰の顔は嘘をついているようには見えない。
それに纏っている雰囲気が普通の人間とは違った、何か鉛の様に重たい物を纏っているかの様な印象を受ける独特な威圧感。
クオンは今まで何十軒と収助者を回ってきたが陰だけが違った。
彼は何となく理解した、目の前の人物が本当の事を言っているという事を。
「あの依頼をお願いします!」
「喜んで! あっ料金の半分は前払いでお願いするよ。」
陰は三年前から収助者として商売を行っていた。
救助等の依頼は基本的にはガイストに要請出来ない。
実力があるガイスト隊員は大量発生した危険生物から市街地を護るために駆り出されるからだ。
とてもじゃないが救助までは手が回せなかった。つまり救助を依頼するならガイスト以外の誰かだった。
そこに目をつけた陰は需要があると思いこの商売を始めた。
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「父さんは聖秘大陸群にある薬を探しに行ったんです。」
「薬?」
「正確にはある植物の実が薬になるんです。」
「誰かが病気なのかい?」
陰の質問に対してクオンは緩慢と自分を指さした。
「僕です、子供の頃から体が弱くて。それで医者に診せたら不治の病と言われました。このままじゃ二十歳までに死ぬとも言われました。」
「・・・・・・それでお父さんが聖秘大陸群に。」
「はい。」
__父さんはいつも明るく剽軽な人だった。
自分よりも他人を優先で正義感が強い人でもあった。
だから自分に黙って一人で聖秘大陸群に向かったのだろう。
きっと自分の行動に僕を巻き込まないために。でも僕はそれでも・・・・・・
父の複雑な心情を思いクオンは唇を強く噛み締める。その所為で口の中で薄い鉄の味が広がったが彼は気にしなかった。
「その植物とはハオマですか?」
「何故それを?!」
「知ってるのかい怜?」
「はい陰。身体の治癒力を最大限まで引き上げありとあらゆる病に効くと言われている薬です。確かにハオマなら不治の病にも効果があるでしょう。」
「あっ、何となく思い出したよ。」
「陰は実物を見た事がありますからね。」
ハオマ。
聖秘大陸群に存在するサボテンの様な見た目をした巨大な植物である。
大きさは成人男性二人分程で色鮮やかな見た目をしている。
またこの植物は生物を捕食する。自分に近付いてきた獲物を抱きかかえる様にして刺し殺すのだ。
その生物の血肉でハオマは成長してやがては実をつけるのである。
そうして出来るハオマの実こそがあらゆる病に効くとされる物であった。
「ハオマの分布で場所を絞ることは可能かい怜?」
「任せて下さい陰。」
「頼むよ怜。」
「・・・・・・僕も一緒に聖秘大陸群に連れて行って下さい。」
「駄目だ、危険過ぎる。」
「僕は深血石を持っています、父さんの探索で役に立つ筈です。」
クオンは胸につけている小さな碧い石のアクセサリーを陰に見せる。
それを見た陰は理解した様な顔をして深くクオンに頷いた。
そして直ぐさま後ろを向きクオンにバレないように怜に向かってコソコソと話しかけた。
「怜、深血石ってなんだい?」
「血縁者同士が持っていてると光り出す石です。半径三キロメートルまでが有効範囲で近付けば近付くほど青く光り出します。」
「そんな不思議な石あるんだね。」
「聖秘大陸群の物質ですからね。」
「成る程、初めて知ったよ。怜は物知りだね。」
陰から褒められた怜は嬉しそうに顔を赤らめた。そして怜との会話が終わるとまた直ぐに陰は後ろを振り向いた。
「・・・・・・お願いします陰さん、後悔はしたくないんです。」
「死ぬかもしれないよ。」
「覚悟はしています。」
「・・・・・・どうなっても知らないよ。」
「っ有り難う御座います!」
「聖秘大陸群に着いたら絶対に傍から離れないでね。」
「はい! 分かりました!」
陰はクオンの同行を渋々承諾した。断っても彼が無理矢理にでも付いてきそうな勢いだからだったからだ。
ヘタに一人で行動されるよりは傍に置き一緒に行動した方がマシだった。
「そう言えば陰が買ってきた良い物って何ですか?」
「ああ、これだよ。」
陰は机に置いた袋から小さな箱を取り出しそれを怜に手渡した。
「開けてみて。」
「・・・・・・これは通信機ですか?」
「それもメガリアから聖秘大陸群でも通信可能な超高性能の最新型モデルだからね。他にも色々と機能がついてるみたいだよ。」
「凄いです! それで幾らしたんですか?」
「・・・・・・秘密。」
陰の目が宙を泳ぐ、恐らく相当な値段だったのだろう。その様子を見た怜は慈悲深い母親の様な視線を陰に向けた。
「怜はその通信機で補助を頼むよ。何か反応があったら直ぐに知らせて。」
「・・・・・・分かりました。」
実力者である陰といえでも聖秘大陸群で怜とクオンの二人を同時を守るのは無理があった。
怜も実力が無い訳ではないが聖秘大陸群で通用するかと言われたらそれは微妙だった。
実際、陰と一緒に聖秘大陸群に一定の期間だけ居た時も一人では行動が出来なかった。
「・・・・・・準備が出来たら行こうか。」
「はいお願いします!」
準備を済ませゲートへと向かう二人を怜は静かに見送った。
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「陰達もそろそろ向こうに着いた頃ですかね。」
陰と怜が住む家の地下の何も無い広い空間で怜は呟く。陰が渡したイヤホン型の通信機を怜は右耳に掛け装着していた。
だがこの赤色の通信機は怜の耳にはサイズが大きかった様で掛ける位置が少しずれていた。
「___私もそろそろ準備をしましょうか。」
怜の両目から青い静電気の様な物がジグザグに小さく走る。
『迷森案内羊。』
その言葉ともに青白い光の塊が怜の頭上に発生する。発せられた青白い光は段々と子羊の姿へと形を変えていく。
怜の頭上に浮かび上がる子羊。小さな巻き角に綿飴の様にモフモフとした白い毛並み。
可愛らしい子羊はつぶらな青の瞳で怜をジッーと見つめている。
「探索を始めましょうか可愛い子羊さん。」
怜の言葉に反応するかのように子羊が小さな欠伸をしてウトウトし始める。
やがて子羊は目を瞑りいびきをかいて寝始めた。
「・・・・・・やっぱりメガリアから聖秘大陸群の探索をすると時間がかかりますね。」
頭上でフワフワと浮かびながら眠る子羊を見て怜は小さく呟いた。




