第二話 ガイスト
『鳴瀬さん、忙しい所に悪いんだけど東区の市街地に向かってくれるかしら。』
耳に付けている通信機からざっ、とノイズ混じりに聞こえてくる若い女性の声。
通信機越しに聞こえてくる声を細身の黒刀を手にしてその女性は無表情で聞いている。
その細身の黒刀からは漆黒の光沢が怪しく放たれていた。
その女性の目の前に広がるのは市街地を覆い尽くす槍脚鎧蜘蛛の群れ。
不快な音を出しながら集団で行動をするその様はその手の類のものが苦手な人が見れば間違いない泡を吹き気絶するだろう。
だがその様子を見ている彼女からは全く動揺を感じられ無い。
眉一つ動かさず平然としていており、その銀色の双眼で真っ直ぐに己の敵を見つめていた。
恐らく何度もこの様な状況を経験した事があるのだろう。そう思わさせられる程の落ち着きぶり様だった。
そしてオペレーターの通信を聞きながら彼女は闇夜の中を消えるように動いた。
「分かりました。此奴らを片付けたら直ぐに向かいます。」
『有り難う助かるわ。・・・・・・ちょっと待ってハヤト君の隊から連絡がきたわ。』
「それで何て連絡ですか葵さん?」
『東区の市街地に現れた槍脚鎧蜘蛛が何かに殺されたそうよ。鳴瀬さんなら問題ないと思うけど一応気を付けてね。』
「大丈夫です。片付け終わったんで直ぐ向かいます。」
『えっ?!』
オペレーターの驚嘆の声が通信機を通して漏れ出る。
そう言う背後には全身をバラバラに切断された何十体もの槍脚鎧蜘蛛の残骸が転がる。
短い通信の間に全ての槍脚鎧蜘蛛を彼女は難無く屠っていた。
その戦闘は一瞬。
槍脚鎧蜘蛛の異常に発達した強固な甲殻は並みの攻撃は受け付けない。
例え機関銃を乱射したとしても殺すまでには至らないだろう。
その装甲をいとも簡単に切り裂く研ぎ澄まされた鋭い一撃。
素早く不規則に動きながら目にも止まらぬ速さで次々と放たれる黒い一線。
槍脚鎧蜘蛛は為す術無くその体に斬撃を刻み込まれてゆく。
そして格子状に刻まれた線が紫色の血飛沫を上げ時間差で崩れ落ちた。
後に残るのは何かよく分からない肉片だけだった。
それは最早戦闘というよりは害虫駆除だった。それ程までに圧倒的な力の差で戦闘は行われた。
オペレーターからの通信を終えた後に彼女は再び闇夜に溶けるように消えて行った。
------------
「陰! 誰かが凄い速さでこっちに近付いて来てます!」
「分かってるよ怜。向こうもこっちに気付いたみたいだ。」
「えっ、どうするんですか陰?!」
「うーん、逃げようか?」
陰は困惑している怜を足下から抱きかかえその場から瞬時に距離を取り市街地の屋根には飛び移った。
怜の驚いた可愛らしい声が聞こえたがそれを無視する。
何せこっちに向かってくる相手も相当の手練れだしそんなに余裕は無かった。
それに微かな敵意を向かってくる相手に陰は感じていた。
『相手の正体が分からない場合は取り敢えず逃げる。』
師匠である陽の教えだった。
例え勝てる相手でも慢心するな常に慎重に行動しろ。そうとも陰は教えられた。
__速い。どうやら向こうもこちらの速度について来てるみたいだ。
人間の限界を軽く超えた速度で陰は走っているが向こうもそれに平然とついてきている。
しかし距離を離そうにも零を抱えながらではこれ以上の速度は出せない。
陰があれこれ考えている内に向こうの速度が格段に上がる。余裕があった距離を凄まじい速さで縮めてくる。
__このままじゃ直ぐに追い付かれるな。
辺りを見渡すと見通しの良い開けた土地があった。
速度を緩め住宅街の屋根から開けた広い土地へと移る。その瞬間満月に照らされた人影が地面に照らし出された。
__上か。
満月が輝く闇夜の空から現れたその人物は音も無く地面に着地した。
手には細身の黒刀が軽く握られている。
満月に照らし出されるのは雪の様に白く繊細そうな肌。背中まで伸びているウェーブの軽くかかった艶のある茶髪は月の光を浴びてなおその煌めきを増している。
繊細そうですらりと伸びる手足が印象的なその肢体とは反対で自己主張が激しい胸の膨らみ。
陰を怜を見る双眸は月の色と同じ銀色。
美少女、正にそんな言葉がふさわしい女性だった。
穏やかな雰囲気だしているが動作に一切の隙が無かった。恐らく少しでも陰が不審な動きを見せたら直ぐに・・・・・・
「何者ですか?」
「 「・・・・・・」 」
銀色の鋭い視線が二人に向けられる。陰は目の前の人物が敵で無いかを探っていた。
質問の内容的に恐らく彼女は敵ではない。恐らくは先程のガイスト隊員が応援を呼んだのだろう。
そう陰は推測する。
陰の目に通信機が止まる。彼女をガイストだと判断するにはそれで十分だった。
楕円型の小さな白い通信機。先程見たガイスト隊員達が付けていた物と同じだったからだ。
「もしかして誰かが何か連絡でも?」
「・・・・・・そうですけど。何故それを?」
陰と怜は心底面倒臭そうな顔をした。買い出しに来ただけで面倒事に巻き込まれたからだ。
説明しても良いが何か癪に障るので二人は黙ったままだった。
『ちょっと待って鳴瀬さん、その子達って境界者じゃないかな?』
「・・・・・・境界者ですか。確かにそうかもしれないですね。」
耳に付けた通信機を手で抑え彼女は陰と怜の方をチラチラと見てくる。
『境界者であるなら大丈夫だわ。』
「そうですね。」
オペレーターとの通信を終えた彼女は一呼吸置き陰と怜に向かって話しかけた。
「貴方達二人は境界者ですよね? もしかして市街地に現れた槍脚鎧蜘蛛を倒したり、」
「倒したね。」
「っっーーー! すいません助かりました。有難う御座います。」
陰はニコニコしながら言う。それに対し怜は眉を顰め相変わらず不機嫌だった。
早くスイーツが食べたい、アイスクリーム、チョコ、パフェ、クッキー、兎に角甘ければ何でも良い。
その欲求で頭の中は埋め尽くされていたからだ。
「それと勘違いをして申し訳ない。」
「気にして無いから大丈夫。」
彼女は感謝と謝罪の意を込め深々と頭を下げた。だが別に陰はそれを気にしていなかった。
何か御礼が貰えるかもしれないと少し期待していたからだ。
それにガイストに恩を売ってといて悪いことは無いとも考えていた。
『鳴瀬さん、近辺にゲートの反応ありよ。』
「またですか。」
『疲れていると思うのにごめんなさいね。』
「いや大丈夫です。それよりゲートの出現場所を予測出来ますか?」
『ちょっと待ってね直ぐに座標を割り出すわ。なっ、貴方達の真上よ! 気を付けて!』
ゲートには二種類のパターンがある。
一つ目がこのメガリアから聖秘大陸群に繋がる永続的なゲート。
このゲートは閉じる事が無く向こうにずっと繋がっており自由に往来も出来る。
不思議な事にこのゲートからは危険生物が全く出て来なかった。
二つ目が聖秘大陸群からメガリアに繋がる一時的なゲート。
このゲートは永続的なゲートとは違い直ぐに閉じてしまう。
またこのゲートにはある問題があった。それは出現の際に必ずと言っていいほど危険生物が出て来る事だった。
陰達の上空に出現したゲートは後者に該当する。
目の前のガイスト隊員の女性が動いたと同時に陰も怜を背中に抱えその場から瞬時に離れる。
離れると同時に夜空に開いたゲートから巨大な影が陰達を目掛けて落ちてくる。
その衝撃と風圧で周りの住宅の窓ガラスは割れ壁には亀裂が走っていた。
「しっかりと掴まってて怜!」
「もう掴まってます陰!」
「そっか。流石!」
舞い上がった土埃の中に紛れる巨大な影。その姿が満月によって徐々に照らし出され始める。
その独特なシルエットに彼等は見覚えがあった。
「・・・・・・でかい。先程倒した槍脚鎧蜘蛛達の三倍以上は優にありますね。」
「ここまで大きい槍脚鎧蜘蛛は久しぶりに見るな。」
通常種の大きさを明らかに超える体躯。地面に深々と刺さる巨大で鋭利な脚。
そして此方を睨みつける様に見てくる巨大な六つの赤黒い複眼。
力、凶暴さ、速さ、全ての能力が先程の槍脚鎧蜘蛛を軽く超えるだろう。
「すいません加勢をお願い出来ますか?」
「加勢?」
「市街地に出る被害を最小限に抑えたいんです。万が一の事があるかもしれないのでお願いしたいのですが。」
「・・・・・・分かった。」
「すいません助かります。」
会話している間に槍脚鎧蜘蛛が巨大な脚を陰達目掛けて振りかざす。
鋭く尖った先端が弧を描きながら凄まじい速さで迫ってる。
空気を切り裂き激烈に迫るその一撃を受けたら唯ではすまないだろう。
それをガイスト隊員の女性が黒刀で大気を揺らしながら強引に弾き返した。黒刀と脚が擦れてた衝撃で火花が宙に飛び散る。
「ッッ---重い! そしてやはり硬いですね。」
脚を弾き返えした衝撃で槍脚鎧蜘蛛の巨体が一瞬ぐらつく。
そのほんの僅かな隙を陰は見逃さなかった。
地面を軽く蹴り槍脚鎧蜘蛛の頭に飛び移る。
頭は槍脚鎧蜘蛛の強固な装甲が他の部位と比べて厚い場所である。
この大きさならより強固な可能性があった。だがそれでも陰は頭を狙った。
幾つもある巨大な赤黒い複眼が暗闇の中でグルリと向きを変え陰と怜を見つめる。
陰の背中にいる怜が軽蔑するような目つきで槍脚鎧蜘蛛を見て「・・・キモいです。」と小声で呟いた。
陰の狙いは一撃で勝負を付ける事にあった。ちまちまと他の部位を攻撃しても効果は薄い。
なら硬くても一撃を狙える頭に攻撃を行う。早く戦闘を終わらせる為に。
宙でその身を回転させ槍脚鎧蜘蛛の頭に向かって踵を勢い良く振りかざす。
地面が震える衝撃と共に装甲がメキッと嫌な音を立てそれが踵を通して伝わる。
『キチッチキッ、チキッチキッチキッチキッ』
耳を劈く鳴き声と共に陰と怜の足下が大きく揺れる。
それと同時に槍脚鎧蜘蛛の身体中に生えている黒い毛が一気に逆立つ。
二人に向けられる明確な怒りと純粋な殺意。
槍脚鎧蜘蛛の目的が陰達に大きく集中する。
この大きな隙を今度はガイスト隊員の女性が見逃さなかった。距離を詰め槍脚鎧蜘蛛の脚を駆け上がる。
そしてそのまま飛び槍脚鎧蜘蛛の頭目掛けて黒刀を奥深くまで突き刺した。
亀裂が入ってたお陰か黒刀は槍脚鎧蜘蛛の頭を難無く貫いた。
「終わりですか?」
「いや、まだ此奴は。」
頭に黒刀が突き刺さった状態で巨体を動かす槍脚鎧蜘蛛。
突き刺さった黒刀からは紫色の血が洪水の様に溢れ出ている。
しかし急所を僅かに逸れた所為かまだ動ける力は残っている様だった。
「これで終わりだ。」
陰は頭に突き刺さった黒刀の柄を目掛けて蹴りを放った。
蹴りの衝撃で槍脚鎧蜘蛛の巨頭が大きく陥没し紫色の血飛沫が大量に飛び散る。
そしてその勢いのまま頭を蹴り砕いた。頭部ごと潰せば流石にこの巨大な槍脚鎧蜘蛛死ぬだろう。
頭を失った槍脚鎧蜘蛛はその巨体をふらつかせて静かに地面に崩れ落ちていった。
潰した頭から何かよく分からないグロテスクな物がでろでろと漏れだしている。
「 「 「・・・・・・。」 」 」
黙ったまま三人は顔を見合わせる。多分考えていることは全員同じだった。
「・・・・・・凄まじい臭いですね。」
「・・・・・・びちょびちょです陰。」
「・・・・・・やり過ぎたね。」
槍脚鎧蜘蛛の紫色の血飛沫とグチャグチャに砕けた肉片が全員に飛び散っていた。
怜とガイスト隊員の女性が死んだ魚の様な目で陰を見つめる。その視線から逃れるように陰は目を伏せた。
「加勢助かりました。」
そう言いながら彼女は地面に突き刺さった黒刀を抜き細い腰にある鞘に納めた。
「私は鳴瀬光です。貴方達の名前は?」
「・・・陰だ。」
「・・・怜です。」
「二人に何か御礼、」
陰は光が言いかけた単語を聞き一瞬目を輝かせた。それと同時に光の通信機にオペレーターから再び連絡が入る。
「・・・・・・すいません急用が入りました。陰さん怜さん、いつか必ず御礼はするので。」
頭を下げそう言うと光はその場から去って行った。陰も違う意味でガクッと頭を下げ落胆した。
「行きましたね、それより陰。」
「何だい怜?」
「これどうしましょうか?」
べっとりと体中に付いた紫色の血と肉片、それを怜は不愉快そうに見つめる。
「・・・・・・近くの温泉にでも行こうか。」
「そうですね、早く行きましょう陰。」
少年と不機嫌な少女は早足で暗闇の中に消えていった。
------------
温泉で汚れを落とした後に二人は高層建築物の屋上に来ていた。
聖秘大陸群で見る夜空とは違い月は一つだけ。
向こうとはまた違う、少し懐かしい光景を陰と怜は眺めていた。
「怜、暫くの間こっちにいようか。」
「・・・・・・探し物はいいんですか陰?」
夜空に浮かぶ月を眺めながら二人は話す。
「また今度で良いよ。それに怜もあまり長く聖秘大陸群いると大変だからね。」
「・・・・・・すいません陰、私の実力不足で。」
怜が陰の方を振り向く。月光の輝きに照らされたその表情はどこか切ない様にも見えた。
「・・・・・・大丈夫。焦らずゆっくり行こうよ怜。」
「・・・・・・はい・・・陰。」
陰は怜に向かって落ち着いた様子で話かける。
会話が終わった後も二人は夜空に浮かぶ月を眺め続けた。