第一話 やって来た新世界
今から十年前、メガリアと呼ばれるこの世界である出来事が起こった。
それは大気を揺らしながら何もない空間に突如として顕現した。
空間にポッカリと開いた黒い大穴は周囲の空間を深い闇の様に丸ごと呑み込んだ。
人々はその恐ろしい出来事に戦慄した。だがそれも直ぐに驚きに変わる。
何故ならその穴が自分達の住む世界とは違う未知の場所に繋がっていたからだ。
・・・・・・そこは奇跡とも言える場所だった。
空想上の話でしか聞いた事が無い自然環境や建造物。
想像を遥かに超える進化を遂げた生き物や植物。
世界の常識を変える事すら可能な未知の天然資源。
人の様な外見で獣の耳や角が生えており高度な知能を有する生物。
人間の理解を超えた神秘の力。
そこに存在にする物全てがとても神秘的で未知なる無限の可能性を秘めていた。
人々はその世界の事を聖秘大陸群と呼んだ。
人類が一つの事に熱狂し冒険する新しい時代がやって来たのだ。
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「あっ!? もう何も無いです!」
可愛らしい声を上げながら落胆する少女。
腰まで伸びた艶やかな漆黒の髪、透き通った青藍の瞳はサファイアを想起させる。
その相貌は幼いながらに恐ろしい程に見目麗しく整っており、仄かに漂う子供らしかぬ色香が少女に妙な妖艶さを与えていた。
かと思えば時折みせる子供の様に柔和な笑顔が密かに愛くるしさを覗かせてくる。
そんな妙な妖艶さと年相応の可愛いさを持ち合わせる可憐な少女。
怜。それが少女の名だった。
「・・・・・・あれ? 狩ってきた角甲種の肉がまだ沢山あった筈だけど。」
「怜が成長期だから仕方ないです陰。」
「そっか、それなら仕方ないね。ちょっとその辺で狩猟してこようかな。」
怜に話しかける少年は幼いながらに不衛生な路地裏で汚水を啜って何とか生き延びていたあの頃を静かに思い出していた。
彼の幼い頃は毎日が苦痛の連続だった。だがそれでも彼は必死に生き延びてきた。
幼い頃に自分と周りに嫌気が差しあの日に穴と呼ばれる特異点を潜ってから十年。
名前のない孤児の幼き少年はあれから大きな成長を遂げていた。
頼り無く小さかった身長も随分と伸びた。
日々の食べ物に困り飢える事も無くなった。
様々な文字を読むことも書くことも喋る事も出来るようになった。
道行く人々に蔑む様な目で見られる事も無くなった。
自分を守れる力を手に入れた。
・・・・・・そして怜と言う名の少女に出会った。
それも全部ある人物の存在のお陰だった。
聖秘大陸群にやって来た見ず知らずの少年を弟子にして育て上げた若い男性。
少年と同じくメガリアから此方の世界にやって来た境界者と呼ばれる稀有な存在。
神崎陽。それが陰と言う名の少年の師匠である中性的な容姿をした若い男性の名だった。
「あっ! オヤツも無いです陰! どうしましょうか?!」
「・・・・・・向こうに買い出しにいくかい怜?」
「行きましょう陰! 新作スイーツが出てないか楽しみです!」
「OK! 準備したら行こうか!」
陰は嬉しそうに笑う怜を見て陽との懐かしい日々を自然と思い出していた。
それと同時に怜と初めてあった日から比べて感情豊かになって年相応の態度を自分に見せる様になった事を嬉しく思っていた。
そんな会話をした後、幻想的な自然の中にある小さな一軒家を二人は出て行った。
陰がゲートを潜り後の師匠になる陽に出会ったあの日。
陽に聖秘大陸群で生きていく術とある力の扱い方について陰は教えてもらった。
そして五年前に陽と分かれたあの日、ある約束を二人は交わした。
幼い陰にとってその交わした約束の内容は余りにも衝撃的過ぎる内容だった。
陽は幼い陰に優しく言った。
『その時がきて君が約束を覚えていたら世界を頼むよ。』
陰にはその言葉が本心から出ているものに思えた。
陽の目が嘘をついてる人の目には見えなかったからだ。また陰は人の嘘を見抜く事に関しては絶対の自信があった。
幼い頃の影響が陰にそのような特技をもたらしたのだろう。そして何よりも陽は冗談を言うような人では決して無かった。
陰と言う名も陽から貰ったものだった。
幼い陰が弟子になった時に自分には名前が無い事を教えたら陽は優しく抱き締めてくれた。
そして陽は名も無き少年に自分の名と反対の意を持つ陰という名前を提案した。
幼い陰は陽と同じ名前が良いと言った。頬を膨らませながら陰みたいな卑屈な名前など嫌だと。
すると陽は
『陰、俺の陽って言う名前は太陽から取ってあるんだ。太陽って目立つでしょ?
目立つと色々と大変な事が多くなるんだよ。それに大変な事が増えると責任が伴ってくるんだ。だから・・・・・・』
と格好つけて陰に言った。でもそんな陽の顔が陰には何故か少し寂しそうに見えた。
今でも何故、陽があんな提案をしたのかは陰には分からなかった。
今にして思えば陽が流暢に陰の母国語を話せたのが彼にとって幸運だったのかもしれない。
いや、そもそも素性が分からない見ず知らずの少年を弟子にする事自体が幸運だったのかもしれない。
そんな陽と過ごした五年間は今の陰を構成してる大事な思い出だった。
「ゲートがこの辺にある筈ですよ。下りますか陰?」
「そうだね行こうか怜。」
「はい陰!」
「ならここまで送ってくれた此奴ともお別れか。」
陰と怜が見下ろす聖秘大陸群の上空からの景色。
雲を越えたそこにあるのは夜空に浮かぶ二つの輝く月。一つは青白くもう一つは赤黒い。
正反対の性質を持つ様にもみえる二つの月。この世界ならではの光景。
この世界でも普通は滅多に見ることの無いこの眺めもある生物のお陰だった。
空を切り裂くような巨大な四つの翼。恐竜の様な見た目をした蛇型の双頭。
その口内は刃の様な鋭い歯が無数に並んでおり炎が時折、漏れ出ている。
翼を畳んでも五メートル以上はある巨大な身体中にびっしりと生える堅固で鮮やかな緑鱗。
巨大な体を支える筋骨逞しい手足に伸びた黒く太い三本の鉤爪が何とも言えない威圧感を放っている。
双頭翼竜
この世界に存在する尖牙種と呼ばれる中の一種で脅威度Bに分類される双頭翼竜。
双頭翼竜が翼をはためかせながら地面にその巨体を下ろしてゆく。
かなりの高さがあるが陰は躊躇いも無くその背中から地面に飛び降りた。
「よっ、と。怜も下りなよ。」
「あわわわ。高いです陰。」
「大丈夫だよ受け止めるから。」
「ええい! じゃあ飛びますよ陰!」
「任せて。」
双頭翼竜から目を瞑り飛び降りる怜を両手で優しく受け止める陰。
陰の両腕にその身を抱えられると怜は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
怜のその顔を見た陰は優しく微笑んだ。
怜を下ろした後に双頭翼竜は直ぐに巨大な四つの翼を羽ばたかせあっという間に二つ月が浮かぶ夜空に消えて行った。
「おっ、ゲートがあったね。行こうか怜!」
「はい行きましょう陰!」
あの日一人で深い闇の中を進んで行ったように。ゆっくりとゲートと呼ばれる黒い大穴に向かって陰は進んでいく。
だがあの時と違って少年は一人じゃない。
陰は隣にいる落ち着いた様子の怜を見つめる。それに気付いたのか怜は目元を緩ませ微笑む。
そんな怜を見て少年はまたあの時と違う気持ちでゲートの中を進んでいった。
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地面を徘徊するのに適した八本の細長く鋭い脚。獲物を捕らえる為に発達した巨大な牙。
六つある赤黒い複眼は怪しい光を放っている。
そして何よりも脅威的なのは蜘蛛にしては大きすぎる体長三メートルを超すその巨体だった。
槍脚鎧蜘蛛
聖秘大陸群の生物であり角甲種に分類される脅威度Cの危険生物。
複数の人間が武器を持ったとしても到底勝てる相手ではない。そんな怪物がメガリアの市街地に出現していた。
「クソっ、にしても何で槍脚鎧蜘蛛がこんな所にいるんだよ!」
「見習い隊員の俺らじゃ此奴の相手は無理だ。 近隣の住民も大分避難したし俺らも一旦後ろに下がるぞ。」
「援護は私に任せて全員後ろに下がってください!」
聖秘大陸群の怪物を相手に闘う三人の男女達。
槍脚鎧蜘蛛一匹に対して彼等は三人だったがその差は歴然だった。
槍脚鎧蜘蛛の脚による攻撃は硬い地面をも容易く砕く為近付くのは得策とは言えない。
つまり遠距離からの攻撃が適切といえる。
だがその遠距離からの攻撃も相当な威力がないと意味が無く、槍脚鎧蜘蛛の強固な甲殻を傷付けるには至らない。
故に彼等の目的は槍脚鎧蜘蛛の誘導にあった。
槍脚鎧蜘蛛を避難する市街地の住民から遠ざけると言う事に。
一見意味が無いように見える援護狙撃の攻撃も足止めとしては機能していた。
的確に狙いをすました狙撃が脚の間接に命中していたからだ。
そうすることで僅かだが攻撃の速度が遅れていた。
「ッッーーー、Cランク以上の隊員はまだか。そろそろヤバいぞ。」
「だな。いい加減キツい。」
「キツすぎますよ! このままじゃジリ貧です!」
槍脚鎧蜘蛛の攻撃を距離を取って躱し続ける青年二人。
空を切り迫るその攻撃を手にした細身の黒刀で弾き何とか逸らし続ける。
逸らした脚が地面を軽々と貫き黒い破片が辺りに飛び散った。
「 「ッッーーーーっぶねえ!」 」
仲間の援護狙撃があるといってもその様子はギリギリに見える。
限界に近い、そう思われた。
一歩間違えれば致命傷に為りかねない地面をも砕く強力な一撃。
精神的にも体力的にも残された時間は少ないように思われた。
「お母さーんっ! どこーー?!」
市街地に響き渡る少女の泣き声。
その声に反応した槍脚鎧蜘蛛が動きを止める。
止まったのも束の間で直ぐに後ろに向きを変え声の主の方へと地面を砕きながら進んでいく。
その発達した鋭い牙を鳴らし獲物に向かって。
__まずい。
彼等の動きが一瞬の間だけ固まる。
その顔は青白く表情にはほんの少しの余裕も無い。あるのは焦りと最悪な予想だけ。
だがそんな中で一人だけ瞬時に状況を判断して行動に移った者がその場にいた。
余りに速すぎる一連の行動は彼等の目には映らない。
『グッ、グキッッーーチキッキッーーチキッ。』
彼等の目の前にいた槍脚鎧蜘蛛が突如嫌な声を上げ苦しみ出す。
その響きわたる歪な鳴き声は断末魔の様にも聞こえる。
一通り声を上げた後槍脚鎧蜘蛛は蹌踉めきながら地面に倒れた。
「・・・・・・何が起こったんだ?」
「それより少女は無事か?!」
「行きましょう!」
彼らは倒れた槍脚鎧蜘蛛の横を通り抜け少女の叫び声がした方へと向かっていく。
そこには気絶し倒れた少女と切断された槍脚鎧蜘蛛の頭が紫色の血を撒き散らし転がってるだけだった。
自分が死んだことに気づいていないのかその鋭い牙をカチカチッ、と鳴らし続けている。
「気絶してるみたいだが少女は無事だ!」
「私が手当をします!」
「誰かオペレーターに救護を要請してくれ。俺の通信機は壊れたみたいだ。」
「俺が要請する。」
「頼んだハヤト!」
「それにしても何が槍脚鎧蜘蛛を・・・・・・」
不穏な空気が流れ彼等の手が同時に一瞬止まる。
それは当たり前の反応だった。
何せ自分達が全く歯が立たなかった槍脚鎧蜘蛛を一撃で葬った何かがそこにいるかもしれないのだから。
辺りを警戒し慎重に見渡すが特に変わった事は無く人影も見当たらない。
今は気絶した少女の救護が第一。
そう判断して彼等は速やかにその場を離れていった。
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「・・・・・・行きましたよ陰。」
「そうみたいだね怜。それににしてもゲートの先に槍脚鎧蜘蛛がいるとは驚いたよ。」
「異界境防衛国家連合機関の隊員も大変ですね。」
「まあそれが彼等の仕事だからね。」
「そうですね。それより早くスイーツを買いに行きましょう陰!」
「そうだね怜。」
異界境防衛国家連合機関、通称ガイスト。
聖秘大陸群の脅威に対向するために十年前に設立された世界連合の防衛機関である。
そしてゲートから出現する危険生物から人々を守るのが彼等の役目だった。
少女を抱えこの場からの離れていく彼等を遠く離れた建物の物影から陰と怜は見ていた。
その抱えられている少女に怪我は見当たら無い。
例え見知らぬ人間だろうと目の前で死なれたら目覚めが悪い。
陰はふと目を瞑り陽との約束を思い出す。すると彼との懐かしい思い出が昨日の事のように鮮明に感じられた。
それ程までに陽と過ごした五年間は陰にとって密度が濃かった。
__陽。あの日の約束を・・・・・・俺は・・・。
複雑な表情をみせる陰を怜は静かに唯々見つめていた。




