宵の明星
「最近、俺の周りで、変なことが起こってるんです。なんかそれで怖くなって、でも俺、どうしていいかわかんなくて」
「なるほど、それはお困りでしょうね」
逢威が黒革のノートを取り出し、何やらカリカリと書き込み始めたのを視界の端で捉える。
「具体的な内容としては、どのようなことですか?」
「えっと…」
ちら、と逢威の方に目線を向けると、男もこちらをじっと見ていた。
慌てて目線を御滝に戻し、また口を開く。
「えっと、情けない話かも知れないんですけど…、もしかしたら、勘違いだって、笑い飛ばしちゃうような、そんなレベルの話かも知れなくて」
我ながら謎の予防線を張ってしまった。
しかし、御滝は変わらず、ゆっくりとした口調で物を言った。
「それは、お聞きしてみなければわかりませんが…。ただ、私にご相談くださる大抵の方は、そう言って話を始められる方が多いです。あなたもどうかお気になさらずに、まずは話してみてくださいませんか?」
俺が俯いてしまっているがゆえに、御滝の視線が頭頂部に注がれているのがわかる。
先を促され、俺は顔を上げた。
ええい、言ってしまえ。
重たい口をこじ開ける。
「実は、この二ヶ月くらい、俺宛に変な手紙が届くんです」
「手紙、ですか」
御滝は目を細めて復唱した。
「はい。初めは何も書いてない手紙でした。真っ白な封筒に、真っ白な便箋が入ってたんです。宛名も差出人も書いてなかったので、まあ、ありきたりな言い方かも知れないんですけど、最初はタチの悪い悪戯かと思ってました。どうせ今回だけだろうって」
「でも、違ったんですね?」
「はい。それからほとんど毎日のように、無記入の手紙が届くようになったんです」
冷めきったミルクティーを口に含み、喉の奥に押しやる。
「そんで一昨日…、四十三通目の手紙が来たとき、便箋を開いて見てみたら、このときのだけ文字が書いてあったんです」
スクールバッグの外ポケットのジッパーを開けて封筒をつまみ出し、テーブルの上に置いた。
「拝見してよろしいでしょうか?」
「はい」
御滝が細い指で広げた封筒には、筆で書かれた小さな文字が縦に並んでいた。
清月の道 淀月の橋 闇月の河
我が同胞 傷つけたる罪により 汝を罰さん
五十の文届きし時 裁き必ずや下らんことを
御滝は眉ひとつ動かさずに、淡々と続けた。
「これ以外の手紙には何も書いてなかったのですか?」
「はい…。この時のだけ文字が書いてありました」
「手紙は毎日届いたのですか?」
「いえ、時々来てない日もありました」
再び鞄を開けて手帳を取り出し、九月と十月のカレンダーを開いて示す。
手紙が届いた日には丸印をつけてあるが、届いていない日には何も書いていない。
御滝はひとしきり手帳を見ると、再び手紙に視線を戻した。
「この筆跡に見覚えは?」
「ありません。こんな達筆な人、俺の知る限りでは思い当たりません」
「では、この件の原因に心当たりはありますか?」
黒い視線が、俺に注がれる。"そもそもお前自身は、何かしでかしていやしないか?"と問うような視線だ。
なんだか、責められているような気持ちになる。
御滝の外見は高校生の俺達とほとんど変わらないが、真っ黒な外見の彼女が纏う空気には、どことなく圧迫感に似た異様なものを感じる。
「何か、誰かから恨みを買うようなことはしていませんか?」
「ちょっと待ってください。これじゃ、なんか晴樹が悪いやつみたいじゃないですか」
ずっと沈黙していた沙耶が口を開く。
隣を見ると、キッと強い眼差しで御滝を睨んでいた。
「あたしが割り込むのはおかしいかもしれませんけど、こっちは相談してる立場なんですよ。晴樹を問い詰めるのはお門違いなんじゃないですか?」
「申し訳ありませんが、事の解決のためには、原因の究明が不可欠なのです」
「なんですか、原因って」
沙耶の声の刺々しさが二倍増しくらいになった。
「大体、あなたに本当に解決できるんですか?インチキとかじゃないって保証はあるんですか?」
「沙耶、落ち着けって」
「晴樹は黙っててよ」
「もし解決できなかった場合は、報酬はいただきません」
御滝はカップの柄を持つと、静かにコーヒーを飲んだ。
「結果を見て、インチキだったかどうか判断していただいて構いません」
「ほんとですね?嘘じゃないですよね?」
沙耶が畳み掛ける。
「はい」
ただし、と御滝が付け加える。
「解決したにも関わらず、それ相応の対価をいただけないのであればーー」
コーヒーの水面に注がれていた黒い視線が、俺達に向けられた。
「こちらとしては、不本意な判断をとらせていただくやも知れません」
コクリ、と沙耶の息をのむ音が聞こえた気がした。
「さて…。改めてお尋ねしますが、原因に心当たりはありますか?」
「…それが、これといったものは無いんです」
「わかりました。では、こちらで色々と調べさせていただきましょう。その間、こちらの手紙はお預かりさせていただいてよろしいですか?」
俺が頷くのとほぼ同時にフクロウが鳴いた。
気がつけば、あれから思っていたよりも時間が経っており、掛け時計は十七時を指していた。
ナプキンで口元を丁寧に拭き、御滝が立ち上がる。
「それでは一週間後の同じ時刻に、再びここで待ち合わせましょう」
俺はまた静かに頷いた。
沙耶は隣でだんまりを決め込んでいる。
「では、これで失礼致します」
静かに出口へと向かうセーラー服の後ろ姿に続き、逢威が立ち上がった。
「ご安心ください。私の主は、必ずや貴方がたのご期待に沿うことでしょう」
にこりと微笑むと、御滝が飲んだコーヒーの代金をテーブルに置いて去っていった。
二人の姿が観葉植物の奥に消えて見えなくなった瞬間、俺は長いため息をついた。
「なんて言うか…緊張したな」
「…あたしは何ともなかったけど?」
「嘘つけ、お前もかなりドキドキしてただろ。っていうか、何であんなに突っかかってたんだよ」
「…別に」
隣を見るが、沙耶は俯いており、表情はショートカットの陰に隠れて見えない。
俺は前髪をかきあげ、呟いた。
「ま…いいや。とにかく、あの人たちがきっと何とかしてくれるだろ」
我ながら、さすがに楽天的すぎるかも知れないなと思った。
メインストリートから少し離れた遊歩道を歩きながら、御滝は一つ小さな欠伸をした。
「これからどうなさるおつもりですか」
遊歩道に点々と設置された街灯が、ちかちかとつき始めた。
あたりは薄暗くなりかけている。
イチョウの落ち葉が埋め尽くす道をサクサクと進みながら、隣を歩く逢威が話しかける。
「何か、解決の糸口は見えているのですか」
「あなたも気付いたでしょう?あの手帳の日付のマーク」
「はい」
「大安の日だけ、丸がついてなかったわ」
逢威がにこりと微笑む。
「大安を嫌う妖怪は多いですからね」
「そうね」
「やはり、私たちの同類の仕業ですか」
「そう見せかけた人間の嫌がらせっていう線もあるけど、単純に妖怪の仕業である可能性は高いと思うわ」
淡い紅色の唇が、続けて言葉を紡ぐ。
「それからもう一つ。彼のあの一昨日の手紙は、四十三通目だと言っていたわ。ということは、五十通目が届くまで、今日を抜いてあと四日しかないってことね」
「どうしますか?」
「取り敢えず、彼の家に行ってみましょう」
「住所はわかっておいでですか?」
御滝は立ち止まり、逢威を仰ぎ見た。
「どうせあなたがすでに調査済みでしょう」
再び逢威の口角が上がった。
「さすが、よくお判りで」
「あなたって有能だけれど、本当に性格悪いわよね」
「それはお互い様ですよ。御滝」