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万華鏡たちの舞  作者: 日傘ユキ
18/20

未明の空



どういうことだ。

家から出た直後、俺は自分の目に届いた視覚情報を、にわかには信じられなかった。

いや、今だって信じられない。

だって、この大きな般若に抱えられている、だらりとしな垂れた身体ーー

そいつが間違いなく、あの沙耶だったからだ。

気を失って力なくうなだれるその姿は、とても悪の親玉のようには見えない。


一体何が?

どうして沙耶が?

だって、あの二人の話じゃあーー


般若と睨み合っている二人に目を向ける。


先ほどからこの辺り一帯に横たわる、びりびりとした長い沈黙。

思わず唾をコクリと飲み込む。喉が痺れてしまいそうだ。

なんでもいい。沙耶を、沙耶を助けなきゃ。

そう思うのに、動きたいのに、沙耶を助けたいと思えば思うほど、足が地面に刺さっているかのように重く感じる。動いてくれない。

わかってる。

不気味な般若の面、白装束、そいつの持つギラギラとした日本刀。それら全てに圧倒されてしまってるんだ。

動けよ。

動けよ!俺!

なんで、動かないんだよーー!


右の拳の中が汗で滲み、じりじりした気持ちが高まったその時。



「…なるほど。そういうことなのね」



最初に沈黙を破ったのは、御滝だった。




✳︎




黙したままの般若を見据え、間合いを図る。


「逢威」


御滝の合図と共に、左の小指にはめた指輪から力を解き放つ。


「行け、二闇!」

『御意』



大きな黒い狐の姿になった二闇が、般若に飛びかかる。


すかさず般若はすり足で後ろに移動し、若田沙耶を小脇に抱えたまま、片手で刀を振り下ろしてきた。


二闇が瞬時に左に避けて躱す。

そこに、般若の横の一閃が入る。

二闇が後ろ足で地面を蹴り上げ、飛んで躱し、すばやく後ろに回り込む。

口をがばりと開き、大きな牙を剥いた。


狙うは、若田沙耶を抱える般若の腕ーー。



『ぐあっ!』



だが、それは叶わなかった。


般若の後ろから振り下ろされた何かが、二闇を直撃したのだ。


弾かれた二闇の身体が地面に叩き飛ぶ。


「二闇!」

「戻れ!」


御滝の声が聞こえたのと同時に、指輪に眷属を呼び戻す。


般若の方に視線を遣ると、そこには般若に並び立つ、棍棒を持つ巨体の姿があった。


顔には、人の良さそうな笑みを浮かべた翁の面をつけている。


二体目の刺客ーー!


三闇(さんあん)四闇(しあん)!」


すかさず、右の耳についているイヤーカフから二体の眷属を呼び覚ます。


『いくぜ!』

『オオォッ!』


二体の黒い狐がさらに分裂し、四方八方から般若と翁に襲いかかる。


般若が振り回す刀と、翁が無造作に繰り出す棍棒をうまく避けながら撹乱していく。

二体の武器が空を切ったところで、三闇と四闇が足元に体当たりし、相手の体勢を崩す。


『とった!』


すぐさま三闇が飛び、般若の腕に襲いかかる。


しかしーーそこにあったはずの腕を通り抜け、攻撃はまたもや不発に終わった。


『何?!』


若田沙耶を抱えたまま、般若と翁の姿がみるみるうちに透けていく。


『待て!!』


四闇が吠えるも、二体の鬼は応じることなく、その姿を完全に消してしまった。


夜の風が、その場の残り香すらも(さら)うかのように、ひゅるりと通り過ぎていく。



「奴らの気配が完全に消えました。手紙の陣の痕跡も……」


「ーーまさか、もう一つの刺客を用意していたとはね」



御滝がため息を吐く。



「二闇は?」

「大事ありませんーー、!」

「あああぁあっ!!」


バシッ!


後方から主に向かって突き出された拳を、右の掌で受け止める。


歯を食いしばって震える拳を突き出したまま、跡見晴樹が叫んだ。


「どういうことだよ!!あんた達…っ、沙耶がさらわれちまったじゃねえかっ!!」


「申し訳ありません。ですが、まずは落ち着いてください」


「これが、これがっ、落ち着けるかよ!!何が『沙耶が関係している』だ!!あいつのあの様子見たか?!明らかに違うじゃんかよ!!」


「跡見様。まずは話をーー」


「あんたと、このインチキ女のせいで……ぐっ?!」


「失礼。今、何と仰いましたか?」



手に込めた力を、そのまま緩めずに問う。



「この……っ!手を、はな…っ」


「ありがとう逢威。でももう大丈夫よ」



両者の手に軽く被せるようにして、御滝が手をそっと添える。

私が手を離すと、跡見晴樹は拳を解き、力なくその場にうずくまった。



「跡見様、申し訳ありません。色々と動揺させてしまいましたね」


「……」


「ですがご安心ください。若田沙耶さんは、必ず私たちが救い出します」



さっと(きびす)を返すと、主が札を取り出し、式神を召喚した。



「どう?うまくできた?」


『はい。先のご命令通り、戦闘中に般若に(いん)をつけておきました。いつでも辿(たど)れます』


「ありがとう。行けるわね、逢威?」


「はい、勿論」


「待てよ!!」



歩き出した私達を、跡見晴樹が呼び止めた。



「俺も……、俺も連れていってくれよ!!」



振り返ると、跡見晴樹が私の腕を掴んできた。その腕は小刻みに震えている。


にわかに甘い梅の香りがする。

季節はまだ、春のほんの入り口に過ぎない。

肌を刺すような冷たい寒さが、時間をかけてこの男の身体を(むしば)んでいるのは間違いない。

だが、彼の身体を侵食しているものは、きっと寒さだけではないだろう。


この男の、恐怖に染まった目。

まるで、(すが)り付くかのような目ーー。


ああ、この男はきっと、恐ろしいに違いない。

般若も、翁も、不気味な手紙も。

幼馴染を失うことも。

恐ろしいが、そこに一人で止まることはもっと恐ろしいーー。

そんな悲痛な叫びが、直に聴こえてくるようだ。

だが、妖怪に対抗する力を持たない彼は、間違いなく足手まといになる。



「申し訳ありませんが……」


「頼むよ、なんでもするから!」


「それはできません」



御滝が跡見晴樹に歩み寄る。

夜の闇がほぐれ始め、かすかに空が白んできた。


「あなたは妖怪に対抗する術を持たない、一般人です。ここまで事態が急変した以上、相手は何をしてくるかわかりません。まして、あなたは相手に命を狙われていました。連れて行くことはできません。」


「そんな……、でも俺、沙耶を助け…」


「その気持ちは素敵です。ですが、助けたい、という気持ちだけでは駄目なのです」



御滝が、(さと)すような声音で続ける。



「気持ちがあれば何でもできると、そう言う人もいるでしょう。確かに、人の力の原動力は"心"です。

ですが、妖怪を倒そうとするならば、その"心"を形に変えうる"力"が必要なのです。

わかりますね?」


「……」


「ーー若田沙耶さんを助けたいという、あなたのその気持ちが、私たちの"力"にもなります。

どうか……もう一度、私達を信じて下さいませんか」



腕を掴む手の力が弱まり、すうっと離れていく。


御滝は微笑むと、すぐに、再び踵を返した。



「逢威」


「はい。五闇(いつあん)



黒い影を足に(まと)い、主を抱えて走り出した。


いくつもの家屋を越え、人通りのない道を行き、式神の付けた印の気配を辿って駆ける。



走りながら、ちら、と御滝を見遣る。



先ほどまでの彼女とはまるで別人のように、腕の中の主は黙したままだ。


だがその瞳の奥で、静かな闘いの炎が揺らめいているのがわかる。


跡見晴樹が若田沙耶を思う気持ちは、私が御滝を思う気持ちと同じ類のものなのだろうか。

それとも、異なるものなのだろうか。



そんなことを考えながら、明るくなる空に向かって、ひたすら駆け続けた。


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