闇の刺客
『きました。前方、妖怪の気配を察知』
「わかった。手出しをせず、引き続きお前たちは見張りに徹するように」
『御意』
眷属たちと頭の中で会話をし、鬼がいる遥か先を見つめる。
私が出ていくと、妖気が大きすぎて勘付かれる恐れがある。
下手に刺激はしない。
ただし、手出しをすれば容赦はしない。
さて、奴はどう出るだろうか。
『逢威様。跡見家の郵便箱の下、手紙を送る陣の起動を確認しました。中に手紙が届けられたものと思われます。』
「外からは何も見えなかったのか?」
『はい』
ただ"届いた"という事実のみを視認できる手紙ーー。ならばやはり、あれは特別な紙で作られたものに違いない。最早、妖怪絡みであるという見解は、疑いようのない事実になったと言えよう。
しかし次の瞬間、一闇の声が鋭く響いた。
『逢威様。鬼がーー、跡見家の前を通り過ぎました』
「…何?」
『石壁を越え、隣の家屋の庭へと入って行きます』
どういうことだ?
隣の家は、確か……
ーーまさか!
瞬時に横を見ると、すでにその黒い細身の身体は走り出していた。
「逢威!」
「はい」
次いで柵を飛び越え、摩天楼から急降下していく御滝の身体を抱える。
「五闇!」
『御意』
髪留めからぬるりとした黒い影を呼び出し、自身の両足首に纏う。
五闇の柔軟な身体を使い、コンクリートへの着地の衝撃を緩和させながら、全速力で駆け出した。
目的地到着まで、あと十秒程度。
腕の中の主は、ただ黙して前を見据えている。
きっと主の中では今、様々な考えが巡っているに違いない。
もっと先の展開を読めたのではないか、という後悔。
相手の考えを見切ることができなかった、という歯痒さ。
だが主は、それらを決して口にしない。
それを口にするよりも、次なる最善の一手を模索し、直ちに行動に移すことーー。
それこそが何よりも大切だと、知りすぎるほどに彼女は知っているのだ。
もう、あと少し。
あの石ブロックの積み上げられた角を曲がればーー
「!」
ぽうん。
抱えていたしなやかな身体を上空に放り投げ、自身も右に顔を倒す。
キッと風を切る線が、先ほどまで主と私の首があった所をすらりとかすめた。
刃の出所に目線を向けると、そこにはあの夜の般若の顔があった。
次いで瞬間的に目が捉えたのは、雪のように白い羽織から覗く、不気味なほどに真っ白な腕と、その腕に、だらりと力なく全身を預ける少女の身体だった。
跡見晴樹と共に、喫茶店で会った少女ーー
若田、沙耶。
「ーー」
木を彫り込んで作られた眼が、空中に在る御滝の身体をちろりと捉えたのがわかった。
しかし遅い。
般若が手を伸ばしたのは、既に私が跳んで主をむんずと捕まえ、アスファルトの上に下ろしたのと同時だった。
着地し、乱れた黒髪を、主がさらりと一つ撫でる。
「なかなか派手なことするじゃないの」
「お気に召したのであれば何よりです」
「……なんて言ってる場合ではないわね。
さてーー」
闇の海に浮かぶ月を背にした鬼を見据え、御滝が薄い唇をすらりと開く。
「想定外はお互い様、と言ったところかしら?
般若の妖怪さん」