光明と闇の手招き
つけっぱなしのテレビ画面から、深夜アニメのエンディングが流れ始める。ベッドのそばの目覚まし時計を見ると、長身が単身にもうすぐで追いつきそうだった。
あと数分で十二時になる。
カーテンを少し開けて、家の外の様子を伺うと、夜の闇を照らす白い電灯のあかりに照らされて、一匹の真っ黒な子狐が見えた。
どうやら、あれが御滝の言っていた"張り込み役"らしい。
うっかり般若の奴が見えたりしたらそれこそ心臓が潰れそうなので、しゃっとカーテンを閉める。
今日聞いた話は、色々な意味で信じがたいような話ばかりだった。頭では理解しようとしているが、気持ちが追いついていないのは間違いない。どこかまだ宙ぶらりんな心が、何か俺にしかわからない大切なことを見落としていやしないかと、背中を突っついてくる。そんな感覚だ。
沙耶に直接心当たりがないか聞いてみようかと思い電話したが、スマホは繋がらなかった。忙しいのか、電源を切っているのか、あるいはーー……
いや、だめだ。あれから変な想像ばかりしてしまう。俺の家のポストに、不気味な笑みを浮かべて手紙を入れる沙耶の顔。そんなはずはないと信じたい。でも信じることもできない。恥ずかしいことに、ポストに張り込んで、自分で確かめる勇気さえもない。
今だけじゃない。今までもそうだった。帰宅した時には何も入っていなかったポストの中に、朝方には白い手紙がひっそりと居座っている……。だから相手はきっと、人目につかない深夜に届けに来ている。そんなことは、簡単に予想がついていた。でもとてもじゃないけど怖くて、ポストを見張るなんてことはできなかった。そうだ。もっと早くに行動を起こしていれば、もしかしたら、こんな大ごとにはなっていなかったのではないか?そして沙耶の、俺を恨む気持ちに早くに気付いていれば……。
いや、まだ決めつけるには早いんだ。あの二人だって、まだ沙耶がどういう関わり方をしているのかはわからないと言っていた。そうだ、もしかしたら操られている可能性だってある、とも言っていたじゃないか。
「沙耶。何にせよ、お前からちゃんと話を聞かなきゃ、意味ないんだ。」
スウェットの上に上着を羽織り、スマホを操作する。沙耶の端末宛にコールしながら、俺は急いで部屋を出た。
✳︎
「どう?一闇」
『まだ手紙は来ておりません』
「わかった。何か動きがあったら教えて」
『御意』
跡見晴樹の住む家から数百メートル離れたビルの屋上。
目を細めて依頼人の家の近所を見張るが、未だ怪しい人影は見当たらない。
双眼鏡を使い、主も同じ方角を見つめている。
「もうすぐ零時になります。そろそろ跡見晴樹の家の郵便受けの下にある召喚陣から、手紙が送られてくることでしょう」
「そうね。でもその手紙にはきっと、また何も書かれてはいない。ただ呪詛を込めて送るだけの依り代のはずだわ。
般若が手紙とセットなのはおそらく間違いない。問題なのは、なぜ一緒に出現するのかということ…。考えられる理由はただ一つ…。」
「…念のため、もう一度お尋ねしますが……私達が先周りして手紙を入手しなくてもよいのですか?」
「いいのよ。なるべく刺激せずにあの般若を退治するには、余計なちょっかいは出さない方が得策なはず。あの手紙を最初に受け取るべきは、私たちではなく、跡見晴樹なのよ。」
足元に転がる小さな石を、黒のローファーがつつく。
「約束の五十日にまだ日が満たないのに、なぜ般若が出て来たのか。
考えられる理由は恐らく、私達という、相手にとってのイレギュラーが起こったからよ。
相手はきっと、手紙を以って呪詛を蓄え、五十日目に力が満ちた時に、跡見晴樹を始末する執行者として般若を差し向けるはずだったに違いないわ。
にも関わらず、般若は一昨日の夜、逢威の前に現れた……。
それはなぜか?
それは、私達という予期せぬ存在の出現を恐れたからに他ならないはずよ。"跡見晴樹はこのまま誰かに相談することもなく、手紙を悪戯か何かだろうと思い見過ごすだろう"と、タカをくくっていたのかも知れないわ。だからこそ、あんな詩を書いたのね。呪詛はリスクが上がれば上がるほど、その力も増す物。その身に危険が迫っていることを跡見晴樹にほのめかす詩を送るという大きなリスクを負えば、呪詛が無事成し遂げられたときのリターンもまた大きい……。
つまり、相手は跡見晴樹の性格を熟知しているつもりでありながら、実際には跡見晴樹のことをよく知らなかった、ということね。」
主の言葉を聞き、首肯する。
「今日、喫茶店で跡見晴樹と話してはっきりとわかったわ。
鈍いようで鋭く、臆病なようで勇敢さを見せる。
跡見晴樹はきっとそういう男よ。」
「ーー御滝」
双眼鏡から目を離した主と目が合った。
「なに?」
「一つ確認をしておきますが、貴女は私の術者です。ですから、もし依頼人と貴女の両方に危機が迫った際には、貴女を優先して助けます。ーー宜しいですね?」
ビルの上を吹き抜ける冷たい風に、黒い髪が揺れている。だが、見つめるその瞳の中には、一滴足りとも揺らぎはない。
「よろしくないわよ」
御滝が目を逸らし、自らの髪を耳にかける。
「よろしくないから、私も依頼人も、どちらも守ってみせなさい。逢威」
主の目が、再び双眼鏡にあてがわれる。
「……ありがとうございます。御滝」