1-1
●1-1
俺は人間ではない。
エロ地蔵。
新興宗教団体の幹部連中は、裏で俺をそう呼んでいた。エロティックな地蔵を彫刻されているからだ。はっきり言うと、巨大な男性器に地蔵の微笑みが浮かんだ岩の塊という、気の狂ったデザインだ。
だがそんな幹部連中も、信者どもには俺を摩訶亜鉛すっぽん一角地蔵尊と呼ばせ、手を合わせて拝ませた。
拝むって、気は確かか、と思う。だって俺は、柔らかな微笑を浮かべた大きなちんちんなんだぞ?
と言うか、そもそも俺は地蔵でもなんでもないし、切り取られたストーンゴーレムの男性器でもない。呼び名だって奴らに勝手に名付けられただけだ。
だが俺は抗議する事も出来ない。口を聞く事も手を上げる事も出来ない。地蔵ではないが、無機物である事には違いがないのだ。
俺という自我は、この地蔵が彫られている岩塊の中にある。
三年ほど前だろうか、その岩塊は、採石場でヒーロー番組を撮影中に偶然掘り出された。その時に「俺」という自我が目を覚ましたのだ。
岩塊は妙な光沢があるという事で、業者の間を巡りめぐって、自称現代芸術家のもとに渡った。彼は電動工具を使って一時間ばかりで「地蔵と男性器のハーフ」のような代物を雑に彫り上げた。
その後ある新興宗教団体に二束三文で買われた俺は、精力増強子宝祈願の御神体として祀られる事になった。
奴らは、少子化で滅びそうな人類を救うと大義めいた戯れ言を謳い、俺を担いであちこちを練り歩いた。愚か者をカモにして、一時はかなりの収益を上げていたようだ。
しかし去年、教祖と幹部ら十数人が公然わいせつ罪、強制わいせつ罪、わいせつ物頒布罪、詐欺罪で逮捕され、教団は壊滅した。
かつてはランボルギーニを何台も乗り入れていた教団ビルは廃屋となり、ホームレスが寝泊りし、不良がたむろし、地下アイドルの撮影会が開かれ、産廃業者が大量の注射器とイチジク浣腸を不法投棄する場と成り果てていた。だがそれも周囲の住人からの苦情により警察が動き、一掃された。
そして今。
建物の権利が整理され、そもそも違法建築だった為にリノベーションも出来ず、今や取り壊しを待つだけの廃ビル。
そんな静まり返った、人っ子一人いないビルの中に、俺は年代物のエロVHSの山とともに打ち捨てられていた。虚しく屹立していた。
もう誰も俺を拝まない。誰も俺の名を呼ばない。
もはや俺という自我を保つ意味はない。もう一度、深く眠るとするか……。
「エロ地蔵様!」
鋭い呼びかけにびっくりした。
なんだなんだ。ようやく無我の境地に堕ちかけていたのに。
俺の前に、一人の少女がいた。小さいが、制服を着ているから中学生か? 必死の形相で俺を見つめ、手を合わせている。
「エロ地蔵様! お願いです!」
願掛けだ。こんな顔付き男性器に向かって。どうかしている。
久方ぶりだ、こういう輩を目にするのは。ひどく懐かしい光景。
こいつもアレか。山ほどいた信者と同じか。つまりは……馬鹿なのか。
「エロ地蔵様、エロ地蔵様、どうかイイル君が私を好きになりますように。私のラブが彼に届きますように」
馬鹿に相応しく、ストレートな恋愛祈願。まったく子供らしい願いだ。まあ、可愛らしいとも言える。
「彼が私しか目に入らなくなるように、パワーを授けて下さい! 私に溺れるように、上手い事やって下さい! 私以外の全ての女を憎むように……!」
え、なんか強烈。可愛くない。
「お願いします! 国民の平均寿命が下がってもかまいません! 花粉がたくさん飛んでもいいです! 私の願いを叶えて下さい! なにとぞ!」
こいつ、自分の欲望の為に世界を捧げようというのか!?
「エロ地蔵様……エロ地蔵さま~ん。お願いっ。ねっ」
少女は急に口調を変えた。甘えたような顔付き。
「頼んだぞ! おら!」
今度は横柄な態度で。
こいつ……。いろんなパターンで迫ればどれかは届くだろうとでも考えているのか?
どうしようもない娘だな。ここまで他力本願なザマで恋が成就するわけがない。こんな薄暗い廃ビルで俺を相手にモゴモゴやっている間に、男をライバルにかっ去らわれるのがオチだろう。本物の馬鹿としか言いようがない。
見た目だって、根性に見合った情けなさだ。背は低く、痩せていて、パワー感ゼロの体つき。後頭部で揺れる髪は、ゆるふわポニーテールなのか、単にいい加減にまとめただけなのか分からない。
そして、ややつり上がっている目と、逆に常に困っている風に下がっている眉。弱気のくせに図々しい、そんな性格を連想させる子供っぽい顔つきだ。体も子供っぽいが。
この薄暗い廃ビルの中でも、髪や皮膚の色素の薄さはよく分かる。不健康な日々を送っているのだろう。
可哀想な事を言うが、まったくなんの魅力もない! 断言しちゃう。
どうせ服の下だってツルペタであろう。平らかで無毛であろう。あっても僅かであろう。そんなのは無いも同然だ。見なくても分かる。
「あの方」とはえらい違いだ。
「あの方」は本当に素晴らしい容姿だった……。男を漲らせる魅力が詰まっていた。哺乳類はもちろん、俺のような無機物でさえ、魂を持つオスなら誰もが虜になってしまうだろう。絶対に間違いない。
俺は、「あの方」の前では常にバキバキに硬質化していた。そうならざるを得なかった。あの方の姿は、魂を屹立させる。
そして何より、あの惚れ惚れする性格。誰もがひれ伏して、全てを捧げたくなる。こいつのように気弱に媚びる小さなメス犬とは真逆だ。
などという俺の心の声が通じたのか、小娘が無礼にも俺――顔を彫られた男性器の像――に、手を回してきた。もたれかかってくる。
なんだなんだ。貧血でも起こしたのか?
小娘は俺に両手を回し、頬を寄せ、なんというか、絡み付いてきた。
「君、もしかしてはじめて? 大丈夫、私に任せておいて……」
なんかブツブツ言い出したぞ。さっきまでのお願い口調とはまた別の喋り振りだ。
「あせらないで……。もう、男ってみんなあわてんぼねえ……。私はどこにも行かないから……」
子供っぽい見た目とは裏腹に大人っぽい(?)台詞を、呟く。裏腹というかちぐはぐだ。滅茶苦茶だ。
「ほらあ、イイル君のマーベラー、もうこんなにレオパルドンじゃない……。ソードビッカー……したいの?」
イイルって、さっきこいつが言っていた、意中の相手の名か。
こいつ、まさか、俺を相手にくどきの練習でもしているのか? こんな意味不明な台詞で籠絡出来る頓馬がいるか。
「んん~。いいのぉ? こういうのがいいのぉ?」
小娘は俺に頬をつけてモゴモゴ言いながら、片手は俺の下の方を撫で回す。
「いけない子ね……。ママに言いつけなきゃ」
お前は医者に診てもらうべきだ。
「すごい、イイル君、すごいわぁ……。マッドに染まってる……。こんなの、私の方も変になりそう……。イイル君……! だめ……! 狂っちゃう……。いいの? 私がどうかしたら、もう、私の事を一生面倒見なくちゃいけないんだよ……? それでもいいの? 養っていけるの?」
なんか息遣いも激しくなって、鬱陶しいったらない。
「いいの!? 本当にいいのね!? 誓う? 私、もうそんな事言われたら我慢出来ないよ!? んはあ! んはあ! んんっは!」
さすがに俺もドン引きなんですけど。
「やばいやばい! やばいって! そんなに愛しちゃやばいって! 世界を敵に回しちゃうって! 宇宙が壊れちゃうって! 次元の扉がパカッて開いて! ミクロコスモスがビッグバン! はあはあはあはあ……決めて! はあはあはあはあ……ダメ! 馬鹿! ヘヴン! ……、あ、あ、……うっ」
え、なんだ?
あ、こいつ! 鼻血を出しやがった!?
こいつ、息遣いも荒いし顔も真っ赤だし、まさか自分で言った言葉に自分で興奮したのか!? そんな馬鹿いるぅ!?
「はぁはぁ……ひひひ……ふふふ……」
こいつ、鼻血を流しながらもまだやめないのか!?
どくどく鼻血が出ているじゃないか! 溢れてるって! もはや怪我だぞ!?
「はぁはぁ」
ああ! やめろ! 鼻血が地蔵に垂れてるって! すげえかかってる! 結構、もう、べったりと……。
「はぁはぁ……えひひひ……!」
しかも、地蔵にかかった鼻血を、さらに指で塗り広げてきやがる! どうかしてるって!
「エロ地蔵の表面が、赤く染まるよ……」
ブツブツ言うな! 怖いわ!
……う、なんだ!?
温かみを感じる。血の温度か。馬鹿な。鼻血で濡れているのはエロ地蔵の表面だ。
いや、違う。最早エロ地蔵の表面は乾いていた。血の染みさえ消えていた。表面に開いていた無数のごく小さな孔が、全ての血を吸い取ったのだ。エロ地蔵の岩塊の奥に収まる「俺」自身の方へと。
彼女の血は、「俺」に届いていた。そして、伝わった……。血中成分の波動が。「ビート」が。
血液にはビートがある。それは心臓の鼓動であるが、単なるポンプの音ではない。それを流す者の感情が、意志が、つまりは心そのものの波動が含まれている。一度刻まれたビートは、血が生きている限り、その中で反響し続ける。
俺は本能的に、小娘の鼻血を全て吸収していた。飲み干した。
直後に。
「!!!」
ドカンときた。
からだが跳ねそうだ。叫び声を上げるところだった。
からだが驚いている。随分と長い事血をすすっていなかったので、胃袋が小さくなっていたのだ。自分が飢えている事さえ分からないほどに。そこに、突然小娘の血が入った事で異常に反応してしまったのだ。厳しい減量に耐えてきたボクサーに、突然ハイカロリーな揚げバターを食べさせるようなものだ。
それに、たとえ僅かな量の鼻血であろうと、その全てを俺のものにしたのだ。
かつて俺が現役の頃は、これとは比べ物にならない量の血を飲んでいた。だがそうして吸い取った血も魂も、そのほとんどを「あの方」に捧げていた。俺は単なる中継地点でしかなかった。
しかし今はもう「あの方」との繋がりは途絶えている。つまり、血も、それに含まれるビートも、魂もエネルギーも、全てをこの身に受けざるを得ないのだ。
「俺」の中に、小娘の血が流れる。
「俺」の中で、小娘のビートが反響しまくる。逃げ場がないのでどこにも抜けない。
「ああ~ん、いいでしょ~。我慢しないでいいよ~。無理しないで~」
俺の中の、枯れていた「血管」を押し広げて、小娘の血が無理矢理流れていく。時を止めていた原子の隅々にビートが伝わり、眠りを覚ましていく。
ああ!
「あの方」が封じられた時、俺も永遠の眠りについたはずなのに。図らずも意識を呼び起こされ、ついには俺のからださえも息を吹き返そうとしている!
馬鹿な! こんな小娘ごときに! こんな、俺の理想とは程遠い、チビでツルペタの子供に!
「きゃっ。あれ? エロ地蔵にひびが入った……?」
あ、ああ! 抑えきれん! 俺のからだが、目覚めていく!
「わわわっ。なに!? ガクガク震えて……」
ああーー!
次の瞬間、俺のからだを収めていたエロ地蔵の岩塊が、砕け散った。そして、「俺」自身が、露わになっていた。
「ぎゃー!?」
小娘がひっくり返った。
「うるさい! 驚くな! 一番驚いているのはこの俺だ! なんというか、まったく……嘘だろ!?」