類は敵を呼ぶ
――――曲がり角での衝突が、〝恋〟を呼ぶとは限らない。
例えそれが、午前八時の街角の、パンをくわえた女子高生だったとしても、だ。
「きゃっ!?」
というのは俺の声。突然とは言え情けない。
「いったぁぁ……」
とかなんとか言って、したたかに打ちつけた尻をさすっているのが、ぶつかった女子高生の方だ。……普通逆だろうに。
俺が不甲斐ないのか、コイツが男前なのか。まぁ、前者だろう。
「はへる《立てる》?」
パンをくわえたまま女子高生が言う。さっきその辺に落っことしていたはずだが、三秒ルールはアスファルトでも有効なんだろうか。
恐る恐る、伸ばされた白い細腕を取る。
塀から飛び出た頭上の枝が、そよ風を受けて緑の葉を揺らした。少女の眉間にシワが寄る。
「まぶいわっ《マズイわっ 》!」
「パンが?」
「へきよ《敵よ 》!!」
「敵?」
少女が指す通りでは、普通に車が行き交っている。一見すると何の変哲もない。
「ふへてっ《伏せてっ》!!」
「うわっ!」
足をかけて押し倒される。直後、頭上の枝葉が火を吹いて爆発した。
黒煙が立ち昇る中、女子高生の後頭部から垂れた三つ編みの先のリボンが、眼前で揺れる。淡い黄色だった。
「はぁ?」
「ひっ《しっ》、ひぶかに《静かに》」
唇に形のいい人差し指が宛がわれる。息がかかるような距離だった。鎖骨の下で存在感を主張する物体に、不覚にも、心臓が高鳴る。……胸デカいな、オイ。
「ふかつはっはわ《迂闊だったわ》。はっきはんをほほしははら《さっきパンを落としたから 》、はぶんほのほひへ《多分そのときね》」
「知らねぇよ! それより、なんなんだよ今の――――」
「――――あふなひっ《危ないっ》!!」
瞬時に立ち上がり飛びすさる女子高生。思い出したように腕を掴まれ、俺まで曲がり角の向こうに引っ張りこまれた。
追い立てるように道路を二本の熱線が焦がす。ついさっきまでいた場所が吹き飛び、爆風が巻き起こった。角の向こうから土煙が押し寄せる。
「へふへいひてるひはははいは《説明してる暇は無いわ》」
言いながらぐいと顔を寄せてきた。
「は?」
「くはへて《くわえて》」
「……いや、はぁ?」
「ひぃーはらっ《いーからっ》!!」
「いや、意味分かんな――――ぐふっ!?」
口を開けた拍子に、無理やりねじ込まれた。勢い余って唇が触れ合ったが、まぁノーカンだろう。やわらかかった、とだけ言っておく。生焼けのトーストが口内でふやけた。
「ほれへひとはふはんひんへ《これでひとまず安心ね》」
「はんへはよ《なんでだよ》?」
「ほのはんをふわへへるはいはは《このパンをくわえてる間は》、へきにひふかははいの《敵に見つからないの》」
一瞬の逡巡の後、女子高生は覚悟を決めたように深くまばたきし、パンから口を離した。
「……これ以上、無関係なあなたを巻き込むわけにはいかないわ。あなたは、今まで通りの生活を送って。さよなら」
「ほ《お》、ほいっ《おいっ》!!」
止める間もなく、女子高生は曲がり角の向こうへ消える。熱線が飛んできた通りの方へ向かったのだろう。追いかけようとして、曲がった先で立ち止る。俺の目に飛び込んできたものは、壁のように立ちはだかる、巨大な怪獣だった。ビルを片手で鷲掴みにして、火を吹きながら暴れ回っている。時折その両目から、あの熱線が照射されていた。
「……マジかよ。こんなの、勝てっこない!!」
それでも、通りの先ではあの女子高生の三つ編みが揺れていた。怪獣に向かって、一直線に駆けていく。歯を食いしばると、血の味がした。握りしめた拳が、みっともなく震える。
「――――クソッ!」
迷いはあった。恐くもあった。逡巡は、一瞬とは程遠い。
けど、それでも。俺は駆け出した。ふやけたトーストに噛みつき、全力で走る。
――――曲がり角での衝突が、〝恋〟を呼ぶとは限らない。
だが、〝勇気〟くらいは呼び起こせるらしい。
例えそれが、午前八時の街角の、パンをくわえた男子高校生だったとしても、だ。