序章2
学校に着いた。と言っても別に今から授業風景になるわけではない。今日からぼくたちは二年生……という事は、式があってそれでもう終わり。午前中で用は終わり、家に帰ってゆっくりできるわけだ。まあ、家に帰っても何もする事がないぼくだけど、学校にいるよりかはマシというものだ。
特別学校が嫌だ……というわけではない。勉強が嫌いだから嫌だ、嫌いな先生がいるから嫌だ、自由を奪われるのが嫌いだから嫌だ、どれも違う。ぼくが学校に行きたくない理由はただ一つ。人が嫌いだから嫌だ。この至ってシンプルな理由。それだけだ。それに、この学校というところは、僕の嫌いな人という生物がうじゃうじゃといやがる。ぼくが嫌がるわけだ。さらに高校生は様々な感情で溢れ、止まらない。うっとおしい。
学校の連中を見て、ぼくは思う。何があんなに楽しくて、何があんなに悲しいのか。
「あー、私も幸せになりたい」
ある女生徒がそんな事を口にした。
幸せになりたい。と、人であれば誰もが思い、願うことだ。ただ現実は常に幸せという訳にはいかない。人であれば、辛いことだってたくさんある。幸せと辛い。字は似ているけど正反対の言葉だ。紛らわしい。ぼくだったらこんな字は当てない。
話が少し逸れてしまったがとにかく、人には平等に幸せと辛いことが起こるのだ。などと、幸せを知らないぼくが言ってもな――。
幸せを感じるとはどういうことか。例えば、腹いっぱいに美味しいものを食べる。これも一つの幸せだ。例えば、大好きな人と一緒にいる事。これだって一つの幸せ。例をあげればきりがないほど幸せとは人それぞれに形がある。
対して辛いこと。不幸せ。これも大体幸せと同じようなもので人によってそれぞれ形がある。例えば、生まれてからずっとジャングルで住んでいる子供がいるとする。もちろんそこには、ゲームもなければテレビもない。食べ物だって、まともなものはない。そこへ、普通の子供が住むことになったらどうなる。ゲームはできない、テレビも観れない。大好きなハンバーグも食べられない。そんな生活は辛いと思うだろう。逃げ出したくなるほど辛く、泣きたくなってしまう。ジャングルに住んでいる子供からしたら当たり前の事なのに。つまりはこういう事だ。
幸せを知るためには辛さを知らなければならない。
辛さを知るためには幸せを知らなければならない。
そしてぼくは――
その両方を知らない。
この世は感情に満ち溢れている。百人いれば百通りの、千人いれば千通りの感情が存在する。そんな中でぼくはその常識から外れている。幸せだとか不幸せだとかよくわからない。生まれた時からそうなのか、生きていくうちにそうなったのか、それは当の本人であるぼくですらわからない。
そんなぼくは感情豊かな一般人を羨ましいとか、妬ましいとか、そんな事はもちろん思わない。どんな笑顔を見ても、どんな悲しい顔を見ても、それは虫を見るのとなんら変わらない。何も、感じない。それが、ぼく。それこそが、ぼく。綾の笑顔は、そんなぼくの心にちょっかいをだしてきた。