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外れた世界で少女は。  作者: 三番茶屋
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Ⅳ邂逅編・2

「おじいちゃんは暫くしたら来ますので少しの間ここでお待ち下さい」


 林檎ちゃんの案内で僕達は恐らく客間であろう一室に連れられた。

そこは威圧感のある和室だった。

高級旅館なんかでよく見るような、そんな一室だ。

真新しい畳の臭いや、色あせていない掛け軸、(ふすま)を見る限りおよそほとんど使われていない部屋だろう。

刻々と、この部屋にはまるで似合わない洋物の丸い時計が小さな音を立てながら刻む。

 僕も八千代も無言だった。

いつものあえての沈黙ではない、おそらく八千代もきっと考えているのだろう。

先の言葉――林檎ちゃんが放った台詞だ。



『八千代さんとお兄ちゃんはどうしてこんなところに?』



 何故あんな風に言ったのだろう。

 僕は耐え切れないとばかりに座布団の上で姿勢を崩して胡坐をかいた。

どうも落ち着かないのだ、先月と状況は酷似しているというのに。

我ながら細い神経である。

(のみ)の心臓である。

いや、自虐し過ぎか――これもまぁ、すぐに慣れることだろう。

緊張や不安なんてものは状況が始まれば忘却の彼方なのだから。

 と、そこで。

 俯いたままだった八千代がぼそっと何かを呟いて立った。

独り言のような、何かを呟いて直立した。

僕は彼女を下から見上げながら呆気に取られた。

呆然として口が開いただろう。

 どんどん、と。

 どこどこ、と。

 勇み足で彼女は目一杯の力で襖を開けて、奥に消えていった。

「…………」

 静まり返る一室。

 いや、元々静かだったのだけれど。

 僕の頭上にはクエスチョンマークが一つ二つでは済まないほどに浮かんでることだろう。



「私の新車弁償しやがれぇ、くそじじいっ!」



 奥から。

 遠くの方から、かろうじてそんな声が聞こえた。

「…………」

 全く、と僕は再度嘆息する。

八千代が無言だったのは我慢していたからか。

恐らく葛藤があったのだろう。

自分のせいで傷ついた愛車ではあるが、他人のせいにするという方が勝ってしまったのか。

 はぁ。

 はぁ、と僕はため息を二つ。

 いくら八千代と共に毎度毎度こうした事件の解決に乗り出しているからと言っても、間違いなく場違いだよなぁ、なんて思っていた。

先月の旗桐家殺人事件だけではない。

その前の通り魔事件だって、さらに前の集団自殺事件だって、二人で身を乗り出して解決に躍起になったものの、僕が浮いた存在なのは確かだった。

所詮おまけ、所詮余り物、そんなところだ。

 八千代の前では――大きな才能の前では誰もが霞む。

 狂う。

 周囲が狂う。

 存在価値が薄くなる。

 きっと、そうなのだから。

「そんなことはないと思いますよ、お兄ちゃん」

 振り返ってみると、林檎ちゃんがお盆に二つの湯のみを乗せて入ってきた。

それをテーブルの上にそっと丁寧に置いた。

「……どうぞ」

 湯気の立ち上った緑茶を僕はすすって深呼吸する。

 はぁ。

 はぁ、と、ため息にも似た深呼吸を二つ。

「強大な才能の前で全てが霞むというのなら、お兄ちゃんは違うでしょう。周囲が狂うというのなら、お兄ちゃんは違うじゃないですか」

「……どうだろうね」

「わたしの周りでは全てが狂います。みんなわたしに何かを見るんです、何かを重ねて見るんです。でもお兄ちゃんはいつも普通です」

 それでも、と林檎ちゃんは続けた。

 八千代の分であろう湯のみにお茶を注ぎながら言った。

「少なくともお兄ちゃんはわたしを利用しようとしたり、そんな風なことは考えていないように伺えます」

 と言った。

「どうかな、林檎ちゃん。僕は別に優しい人じゃないよ。林檎ちゃんに付け入っているのかも知れない」

「わたしを利用したりするような人は決してそんなこと言いませんでしたけどね」

「…………」

「お兄ちゃんは自虐行為で本音を隠す習性がありますよね。それはきっと楽な生き方なのでしょうけど、凡人なら誤解を生みかねません」

 僕はピエロのような、作り笑顔を見せた。

道化の微笑みである。

「ご忠告どうも」

「それに、八千代さんの隣にいるお兄ちゃんが霞んでいるなんて、わたしは一度も感じた覚えがありません」

 全く、この少女は。

 八千代と同じで僕の思考なんてお見通し――筒抜け、か。

 話半分冗談半分――噂。

いちゃらぶ看護師志木式さんとの噂と同じだ。

僕が感じているものと、第三者が感じているものは違う。

見ている景色も、情景も。

主観でしか語れない――正義と悪、ね。

そういうことなのだろう。

いや、そういうことなのだ。

「おいそこの少女、じじいはどこに行った」

 八千代が息を切らしながら戻ってきた。

相当苛々しているようで、綺麗な黒い髪が見るに耐えなくなっていた。

乱れに乱れて、どこかの妖怪全集にでも登場しそうな姿だった。

「八千代さん、落ち着いて下さい。もうすぐおじいちゃんは帰って来ます」

「はぁ? なんだ、今ここにはいないってことか」

「……はい、恐らく今は分家の方に」

「……ふぅん」

 その言葉で八千代は多少落ち着きを取り戻したようで、手ぐしで髪を整えながら僕の隣に座った。

 分家、ね。

一体分家で何をしているのだろう。

本家と分家の確執については先月の事件で解決したはずだと言うのに、財政的な意味とは別に、何かまだ問題があるのだろうか。

そもそも、林檎ちゃんを狙った理由は本家の財産を搾取するためだったはずだ。

一応の解決を見せたはず。

一応の解決は――

「なぁ、少女よ。君はさっきどうしてこんなところに、と訊いたがそんなこと言わずもがな、だろう」

 八千代がお茶を一気に飲み干して言う。

相当暴れたんだろう、喉を鳴らす。

それを見た林檎ちゃんは八千代の空になった湯のみに再度お茶を丁寧に注いだ。

「はい、恐らくわたしをここから連れ出そうとしているのでしょう」

「ご明察、と言いたいところだが、少し違う。少し違うだけでは正解には程遠いな。数学なら零点だ」

 十四の少女にも姿勢を変えない、高圧的な態度だった。

 それでも、林檎ちゃんは慣れたように物怖じもせずに言う。

「ですが、残念ながらそれは問題にもなっていないです。問題が不十分なのに解答できるはずがありません」

 なぜなら、と林檎ちゃんは続けた。

「わたしはさらわれた訳でも、連れ出された訳でも、誘拐された訳でもないんですから。自分の意思で今ここにいるのです。だから、先の質問の真意はそっくりそのままの意味だったのですよ」

「…………」

 自分の意思でここにいる?

 いや待て、それはあり得ない。

 本家にせよ分家にせよ、彼女を利用しようとしているのは明らかだろう。

自分が悪用されると知っているにも関わらず、自分の意思でここに留まっているなんて、そんなこと決してあってはならないことだ。

なにより、僕達がここまで来た意味が――台無しになる。

全てが無駄になってしまう。

先月の事件から、僕達の出番は必要なかったということになるじゃないか。

 前に林檎ちゃんは言った。

 もし、利用されることになったら助けてくれませんか、と。

今まさにその状況じゃないのか。

これは――八月中旬から一昨日までの約半月で収束したかに見えた事件の続きなのに、それは一目瞭然なのに、どうして彼女は簡単にそんなことが言えるのだろうか。

「なら、質問を変えようか。旗桐 林檎は何の意味で、何の目的を持って、どんな意思を抱いてここにいる」

「…………」

 そうだ。

 一番分からないことの一つだ。

唯一厚い(もや)に架かって、曖昧になっていたことだ。

 彼女の意思。

 林檎ちゃんの意図。

「わたしはおじいちゃんがいるこの実家で、たまには一泊しようという、そんな単純な動機でここにいます。わたしだって常に病院の――あの一室に閉じ篭っているわけではありませんし。一年の半分をあそこで過ごす身ですが、逆に言えばその半分はここで生活しているということでもあります」

「なら、何故入院中に今まで一度もしたことがないことを、わざわざこの時期にするのだい?」

「必然と言った方がいいですね、この場合。先月に起こった事件の収束に伴って、本家と分家の縁は完全に切れることになりました、絶縁です。なので、わたしを縛るものが無くなったという訳です」

 林檎ちゃんは饒舌に続ける。

表情を変えないまま。

真っ直ぐな姿勢で正座したまま言う。

「先ほどおじいちゃんが分家の方にお伺いしてると言いましたが、まさしく絶縁を勧告しに向かわれたということです。正式な発表はまだ先でしょうが、恐らくすでに絶縁関係にあるのは間違いありません」

「……そうか」

 と、八千代は言った。

それがどう意味するのか、誰にでも分かる言葉だった。

どういう意味か――

「とりあえず、ここまで来た私たちの身にもなれ、少女よ。先月のことに関しても山ほど訊きたいことがあるんだ。君の意思は概ね理解したが、彼の意思も把握しないとな」

「勿論、……十全だと思います」

 曖昧だった彼女の意思があまりにも予想していたものとは異なっていた。

異なり過ぎていた。

自分の意思でここにいるとはっきり僕たちの前でそう言ってのけた。

それが何を意味するのかわかる。

こんなところまで来ても意味はないのに――まるでそう言われているのと同様だ。

 ならば。

 僕達がここに来た意味も、理由も、全て台無しになったということか。

脆くも崩れ去ったということか。

 こんな小さな少女の、それもたった一言で。

 こんなにも簡単に終わっていいのだろうか。

 こんなにもあっさり終えていいのだろうか。

 林檎ちゃんが何故一年の半分を病室で過ごしているかと言えば、旗桐家で抱えるストレスや負担のせいではないか。

大人が林檎ちゃんに何かを重ねた眼差しを送るせいで、耐え切れなくなった彼女が選んだ唯一の落ち着ける場所じゃないか。

その意味も――僕が毎週彼女を見舞いに行っていたことも――全て無駄だったと言いたいのか、徒労だったと言いたいのか。

放って置けばいいのに、関わらなくていいのにと、そう言いたいのだろうか。

 いや、そうじゃない。

 そんな思考はしてはいけない。

 彼女が旗桐家に抱える確執は僕たちが思っている以上に大きく、深い。

それだけではなく、矛盾しているじゃないか――今僕達に言い放った強い言葉と、彼女がしてきた行動は。

 旗桐家から逃れるための入院。

 自分の才能から逃れるための入院。

 才能に注視されることから逃れるための入院。

 分家と縁が切れたからと言って、林檎ちゃんが安全だという保障なんてどこにもないではないか。

唯一安全だと、安心だと思っていた病室ですらこうして離れることになってしまったじゃないか。

その意味を彼女自身が一番よく理解しているはずだ。

今そこにいる理由を把握しているはずなのだ。

祖父に存在を捕獲されているのと同義――才能を掌握されているのと同義、こんなこと、林檎ちゃんなら理解出来ていて当然のことだろう。

 学問を終えた少女は。

 終わりに終わった少女は。

 完成し完了した少女は。

 "世界"から外れた少女は――一体何を見ている。

「お久しぶりだね、八千代君、南名君。半月ほど振りかな?」

 くつくつと不適な笑みを浮かべた老人が使用人であろう女性を引き連れて入ってきた。

 旗桐 行司――旗桐家の頂点。

 実質、旗桐家の権力全てを掌握しているのが彼だ。

茶色の(はかま)に扇子。

林檎ちゃんの背後を通り、当然のように上座に座った。

さすが、というべきだろう。

風格だけで気落ちしそうな、そんな圧迫感があった。

 八千代は特に気にもせず、大胆に足を崩して言う。

「正確には二十日と二時間、しかもそれは私に対する台詞じゃなくて少年だろう。私とは一昨日振りだ、老害。それより、私の車を弁償しろボケ」

「……ふん」

 根に持ちすぎだろ。

それに、子供染みた安い挑発もださい。

「新車なんぞ、君ならいくらでも買えるだろうに。先月の事件での依頼料はしっかりと支払ったつもりだが。まぁそれ相応の働きをしたかと言えばまた別の話になるがね」

「…………」

 はぁ。

 はぁ、とため息を二つ。

 八千代の安い挑発に乗ってくる彼もまた子供か。

「まぁそんな下らない話はよそう。望むなら修理費くらい出しても構わん。ここまで来た御礼として受け取って貰おう」

 ところで、と旗桐 行司が続ける。

「南名君、久しぶりだね。早々に言うが、今まで孫の見舞いご苦労だった」

 そんな風に。

 そんな風に簡単に、言ってのけた。

 心を折ろうと言わんばかりに、言い放った。

「そうですね、どういう風の吹き回しかは知りませんが孫娘を溺愛するにも加減ってものがあるでしょう。少なくとも、表沙汰になって逮捕されないようにお気をつけ下さい。老害とは言え、旗桐家にはあなたが必要でしょうから」

「……ふん、言うようになったな」

 だめだ。

 やっぱり、だめだ。

 僕は心の底から旗桐 行司のことが嫌いだ。

 大嫌いだ。

「全く、井の中の蛙とも知らずに」

 と、消え入るような声で八千代がさらに追い討ちをかけた。

まるでつまらない独り言のように、そんなことを言った。

「……八千代君、君は今、何か言ったかな」

「目も悪ければ耳も遠いのか。引退した方がいいんじゃないか」


「八千代様、これ以上旗桐に対する侮辱はお控えを」


 驚きだった。

 行司の斜め後ろに正座した使用人であろう彼女がそう言って見せたのだった。

至って冷静に、無表情に。

一定の声で、機械のような声音だった。

これには八千代も驚いたようだったが、すぐに顔つきは元に戻る。

「小さい井戸の中だけで鳴くなら何も言うことはないよ、五月蝿くないしね。ただ海にまでやって来て同じようなことしてるから、つい鼻についただけだ」

「お前は一体どういうつもりだ。そんなこと口走っても良いと思っているのか。何のためにここまで来た」

 林檎ちゃんは終始無言である。

というか、あまりにも八千代が旗桐 行司を挑発するせいか、驚愕しているようだった。

何も口出しできない、口出しできることはない、と。

そんな表情だった。

 しかしまぁ、もう八千代を止めることなんて無理だ。

僕も彼女と同じくらいに旗桐 行司のことは嫌いだけれど、少なくとも孫を溺愛する一点のみに置いては多少なりに好意を持っている。

その一点のみだけだが。

けれど八千代の場合、それすらも否定しているのだろう。

いや、彼女には祖父が孫を可愛がっているという風には見えてないのかもしれない。

 それぞれ見ている景色が違う――情景が違う。

 "世界"が違うのだから――正義と悪。

「何のためにって、もしかして理解していないのかい? もう分かりきっていることだろう、ここいる全員そんなこと――」

 旗桐林檎を連れ戻しに来た、と八千代が堂々と言った。

 その言葉は僕の揺らいでいた心をがっちりと固めたように思えた。

曖昧だったものを、もやもやしていた心情を、はっきりと確かなものしたようだった。

「はっ、どういう思考回路でそんな発想になるのかは把握しかねるが、それについての決定権など私にはない」

「だね」

「もうすでに林檎の意思は知っておるだろうに。林檎は何て言ったんだい?」

 と、ここで表情をあまり変えなかった林檎ちゃんがどきっとしたような仕草を見せた。

そして、どうしてか震えていた。

しかし、それも一瞬で、すぐに淡々と、飄々(ひょうひょう)と言う。

「わたしの意志でここにいる、と。分家とは絶縁関係にある今、わたしの居場所はここだと、そう発言させて頂ましたよ、おじいちゃん」

「あーあー、もういいからそんなの。さっき聞いたこと二度も三度も言わなくてよろしい」

 八千代は呆れた顔で林檎ちゃんに険しい眼差しを送った。

 実は八千代のやつ、林檎ちゃんもあまり好きじゃないのか。

なんて、そんなくだらない感想を抱いて。

「林檎少女の意思がどうとか関係ないからね。私は旗桐 行司に訊いているのだよ」

「林檎の意思が関係ない、だと?」

「そうでしょう、旗桐家の権力を掌握している身、少女の意思がどうあれ、あなたが彼女を解放すると言うだけでいいのだから」

 八千代はニヒルに笑った。

 冷たく、暗い笑顔だった。

「はははははっ、お前自分の言ってる意味をわかっているか? それはつまり、この旗桐 行司に、お前が指図するということか!」

「指図なんて意味ないでしょうよ。あなたが頑固ってのも良く知っているからね。でも――」

 八千代の笑顔は崩れない。

 悪魔みたいな微笑だった。




「じじいが死ねばそんなの関係ないでしょ」




 なんて。

 そんな風に言ってのけたのだった。

 宣戦布告である。

 旗桐本家を敵と看做みなした瞬間だった。

「八千代様、どうか穏便に。そしてもう夜も深い故、今日のところはお引取り願います」

「へいへい。では、また後日」

 どうやら、八千代は最初からこういう展開を想定していたらしい。

林檎ちゃんが何故簡単に病室を抜けたのか、という疑問からくる推測ということだ。

彼女が抱える家族への確執というのは、何も分家だけのことではない。

つまり、先月から一昨日にかけて一応の解決を見せた旗桐分家の殺人事件が分家からの解放を意味するのと同様に、本家の呪縛を示唆するものだった。

そういうことらしい。

 さらに。

 僕は少し勘違いをしていた。

旗桐 行司が孫娘である林檎ちゃんを溺愛しているという話だ。

彼と再会して分かったことがあった。

今まで気付かなかったことだったけれど、あれは決して溺愛なんかじゃない。

偽者で、嘘偽りだ。

林檎ちゃんの方に彼に対する好意があると思ってはいたけれど、先の態度を見るとどうしても納得はできない。

あれは、怯えているだけではないか。

自分の意思でここにいると言い放った彼女は、旗桐 行司に怯えている。

恐れている。

なぜなら、震えていたではないか。

 八千代が宣戦布告してくれて良かった、と僕は帰りの車内で眠たい目を擦りながら思う。

林檎ちゃんが抱えている問題は、大きい。

それが垣間見えただけでも良かったのかも知れない。

どこかで林檎ちゃんを大切にしてくれている優しい祖父だと、そんな風に思っていたけれど、実際そうではなかった。

具体的に彼女に対して厳しい発言をした訳でも、辛い負担を掛けた訳でもないが、少なくとも林檎ちゃんは震えていたのだから。

本当は旗桐 行司が彼女のことを想っている可能性は零ではない。

しかし、一方通行の片想いほど虚しいものはないだろう。

恋愛ではないのだから。

片想いの方が楽しいとか、傷つかなくて済むとか、そんな低次元の話じゃないのだから。

 それにしても、八千代はどうしてあんなに旗桐行司を挑発したのだろう。

いつもならもっとクールに、冷静に、可愛い笑顔を見せながら仕事をするというのに。

まぁ、彼女にも抱えるものは多かれ少なかれあるのだろう。

いや、もしかして本当に車の件で八つ当たりしただけなんじゃ……。

「…………」

 野暮な詮索はやめておこう。

 八千代が捲くし立てる姿も可愛かったし。



 なんて――――どうでも良い不埒な妄想をしたところで、僕は気付かない内に目を閉じた。


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