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外れた世界で少女は。  作者: 三番茶屋
11/17

Ⅶ解決編

「――はぁ?旗桐家殺人事件――行司は死んだのかよ」


 雪間さんが神妙とは言えない、むしろ微かに歓喜したように電話の向こう側で声を高くした。

 こうして彼女と会話をするのはおよそ三ヶ月振りだった。

以前の事件――連続通り魔殺人事件の時は彼女が躍起になって解決に乗り出し、最終的には八千代の功績が大きかったのだけれど、それでも雪間さんが真摯に貢献してくれたおかげで見事、と言うか無事事件は収束した。

僕もその事件に関わっていた身として、多少なりに雪間さんと解決に臨んでいたが、あれ以来すっかり会うことも会話することも無くなっていた。

 全く、何と言うか。

 まるで片想いの恋模様のような、ずっと片想いで憧憬を抱いていた先輩に振られたような気分だ。

好意的に見ていたのは僕だけだった――みたいな。

突然の発信でも雪間さんは何とも思っていないかのようだ。

こんなにも僕は胸を躍らせているというのに。

 例えば、雪間 麻由紀(ゆきままゆき)

 公安刑事として国家機関に属している彼女だが、具体的な職務は僕や八千代も知らなかった。

公安刑事と言えば、反政府組織やテロ組織なんかを取り締まり、未然にテロ行為を防止したりするらしいのだが、詳細は上層部の人間しか知ることが許されないトップシークレットらしい。

何とも胡散臭い話である。

と言うか、テロ行為を防止するとか、反政府組織とか、安全大国日本でそんなこと言われても実感が湧かない。

目が眩む様な金色の髪は地毛らしいけれど、国家機関で――しかもそのトップを職とするのに、それは大丈夫なのだろうか。

公務員と言えば、普通は黒い髪で清潔感や他人から見た場合の印象を気にしなくてはいけないだろう。

さらには露出度もまたかなり高いのが彼女だった。

それを言っても、公安刑事に制服は無いんだよ、と反論されるのだった。

潜入任務は勿論、テロ集団と接触することだって厭わない彼女の職務だからこそ、ということらしい。

身分を明かせない上、そんな格好の方が利点が大きいのだろう。

灯台下暗し、木は森に隠せ、と言うことなのかも知れない。

女性というのも武器になるそうだった。

 そんな彼女が――雪間 麻由紀が偶然にも僕と出会ったのがおよそ三ヶ月前の連続通り魔殺人事件の時だったのだが、今思うと彼女にとってあの事件を解決することは職務でも何でも無かったのかも知れない。

公安刑事の務めではない――いや、事件が目の前で起こっている以上、警察機関に殉ずる身として放っておけないのが普通か。

 ともかく。

 僕と八千代は話し合いの結果、旗桐 行司の死をどう処理するか――死体の処理、訃報の処理をどうするかを雪間さんに相談しようということになったのだった。

八千代は雪間さんを頼りたがらないけれど、容疑者となってしまった現状、鎖に雁字搦めになった体で無茶に行動を起こすことはできなかった。

まぁ彼女なら、別に雪間さんに頼らなくとも事件を解決して、面倒な処理も的確にこなすだろう。

それでもこの事件に関して言えば、雪間さんに報告した方が良いだろうというのが僕の見解だった。

それについては八千代と相違することはなかった。

行司の死はいずれ明らかになることだろう。

彼を殺害した真犯人も明らかになるだろう。

その時の対応を雪間さんに依頼しようと考えた結果だ。

穿った見方をすれば、雪間さんに面倒な事後処理を全て押し付けるように捉えられるけれど。

 公安刑事という、国のトップシークレット――実感が無さ過ぎるせいか、胡散臭さが滲み出る雪間さんは僕の言葉を聞いて何かを察したのか、少し沈黙した後に続けた。

「お前はまた面倒なことに巻き込まれてんのかよ。んで、あたしのことも巻き込むつもりか」

 落ち着いた声ではあったが、どうやら怒りを抑えているようだった。

八千代と違って我慢が効く。

なんて。

「雪間さんには僕たちがこの事件を解決した後の処理をお願いしたいんですが」

「はぁ?何であたしがそんな面倒なことしなきゃいけないんだよ、バカかお前。つーか、お前たちが勝手にやってることだろ。あたしに一任するんじゃねーよ」

 むぅ……。

 相変わらず難しい人だ。

いや、当然か、雪間さんの言う通り、これは僕たちの問題で、僕たちの事件なのだ。

いくら以前に協力関係にあったと言っても、これとそれはまた別問題なのだろう。

「なら、どうすれば僕の依頼を受けてくれますか?」

「仕事の依頼って言うんだからそれ相応の報酬は用意してくれねぇと困るぜ。あたしだっていつでも無償で動けるほど暇じゃないし」

「お金――ですか」

「いんや、ろくに持ってない奴から毟り取るほど鬼でもないよ、あたしは。それに金に困ってる訳じゃないし、あたしの労働を金で簡単に買えると思ってるなら大違いだ」

 僕はそこで少し考えて沈黙する。

 八千代と僕だけで事件を処理することは容易かも知れない。

しかし、行司を殺害した犯人を見つけた後はどうすればいい?

行司が死んだという事実を消すことが出来ない以上、それはいずれ公表されることになるだろう。

その時、僕たちはどうすればいい。

八千代なら、犯人を警察に突き出して行司の訃報を公にするだろう。

間違いなく、別にそれが間違っている訳ではない。

むしろ、殺人事件としては当然の帰結だろう。

こうなってしまった以上、何時までも隠し通すことは出来ない。

分家にもいずれ知らせが行く。

テレビのニュースにはならないとしても、強大な権力を掌握していた行司が死んだという事実もまた国に報告が行く。

警察の介入を良しとしない旗桐家だとしても、最早、最終的な結末が見えている以上、ここであえて通報しない意味も無いのかも知れない。

なぜなら、彼の死を隠し通す意味が見出せないからだ。

検挙率およそ九十九パーセントの警察機関ならあっという間に解決してくれるだろう。

いずれ公になる。

いずれ既知の事実になる。

 けれど、どうだろうか。

 解決した後、旗桐家の未来はどうなるのだろう。

 旗桐家――林檎ちゃんはどうなるのだろうか。

類を見ない唯一と言って良い異質な天才は――行司の死が公表された後、林檎ちゃんは国に縛られるということになるのかも知れない。

旗桐家と同じように、存在を縛られて、才能を利用されて。

 それはダメだ。

 それじゃ、行司が死んだだけで何も変わらないじゃないか。

旗桐家の今後とか、今まで保持していた権力がどうなるとか、本家を失った分家の将来とか、そんなことどうだっていいじゃないか。

僕はこの事件を解決する意味を思い出さなくてはいけない。

 僕は一体何のためにここにいると言うのだ。

 『守るための殺人行為は綺麗です』と。

 『助けてくれますか』と。

 そう僕に言って見せた少女のためじゃないか。

 少女が見る"世界"を変えるためだろう。

 だから僕は、林檎ちゃんの存在を可能な限り隠蔽しなくてはいけない。

 そのために――

「林檎ちゃん――旗桐林檎の才能があれば僕たちは雪間さんに協力することができます」

 僕は意を決して言う。

「あたしに協力?」

「えぇ、正直、僕だけじゃ雪間さんの足手纏いになるだけかも知れませんが、僕がいれば八千代が付いてくる。そして、今回の事件上手く事後処理が出来れば、林檎ちゃんも僕に付いてくるでしょう」

 いや。

 僕に付いてくるんじゃなくて、僕が彼女をさらって、奪って、誘拐して――僕が悪で、彼女は正義――『お姫さま』と『魔王』の関係なのだから。

「ははっ、確かに林檎の才能を味方に出来れば仕事も捗るってもんだ。だが、お前はあたしの仕事を何も知らないだろうが、ボケ。知った風な口聞くな」

「それについてはこれから勉強させて頂きますよ、雪間さん」

「わかった、信憑性の無いお前の口約束を信用して依頼を受けようじゃねぇか。だけど、一つだけ条件がる」

 条件――

 僕は生唾をごくりと飲み込む。

風邪気味なのか、喉の奥に痛みが走った。

「林檎をあたしの味方に出来るのは願っても無いことだが、事件が解決すればお前の思う通り旗桐本家は崩壊する。その時、あいつの面倒はお前が見ろ」

「え……?何で僕が――」

「バカか、お前。何のために八千代と解決しようとしてるんだよ。事件が収束する意味は理解してるだろ?行司の死と林檎の存在についてはあたしが上手く処理してやる。けどな――」

 林檎の居場所はもう無いんだぞ、と雪間さんが言った。

似合わずか、少し悲しげな物言いのように感じた。

 この事件を解決する意味。

 解決した後――理解はしている。

 行司の代わりに林檎ちゃんが当主になるとは思えない。

それもそうだ。

もしも、そんなこと思っているならば今すぐにでも行司の死を喜んで代わりを務めればいいのだ。

事件を解決する必要性も消失するということだ。

まぁ、彼の死を喜んでいることは同じかもしれないが。

「そうですね、でも林檎ちゃんの才能を生かすならば雪間さんと同じ場所に居た方がいいんじゃないかって思いますけど」

「あのな、お前本当にバカだろ。あたしが林檎の才能縛ってどうすんだよ。林檎の存在縛ってどうすんだよ」

「あぁ……そうですね」

 そうだ、僕は何を言ってるんだ。

 才能を誰かに縛られる"世界"はもう御免だ。

 震える彼女の手をもう見たくはない。

「それにな、あたしはそういうの駄目なんだよ」

「……?」

「子供って何考えてるかわからねーし、殺したいくらいに憎い。と言うか、あたしを子供と一緒にしようとするんじゃねぇ、このボケ。あたしが子供嫌いなの知ってるだろうが!」

 と言って。

プツ、と一方的に雪間さんは電話を切ったのだった。

子供嫌いだなんて、初耳だったけれど。

 林檎ちゃんを利用して、雪間さんに依頼を引き受けてもらっておいて言うのも何だが、僕も行司も大して変わらないのだと思った。

あたかも林檎ちゃんが僕自身のものかのように――彼女の才能を利用して、こうして自分の優位化を図っている。

いや、そもそもこの事件の解決が縛られた彼女を解放する意味を持っているわけだから、それもこれも全て林檎ちゃんのため――だと、思う。

けれど実際、穿った目で見れば、事件の収束に伴ういざこざをスムーズに処理するために林檎ちゃんを利用して雪間さんに依頼したということだ。

まるで彼女の才能を使役するかのような、客観的に見ればそんな風に捉えれる。

かと言って、可能な限り八千代にこういった情報操作や処理を任せたくないという僕個人の意思もあったから、無理にでも彼女の才能を利用せざるを得なかったというのが本音なのかも知れない。

乱暴で横暴な性格については雪間さんに遠く及ばないけれど、大雑把で乱雑な点に関して八千代に勝る者はいない。

きっと情報の誤差が生まれるだろう。

下手すれば林檎ちゃんの処遇が悪化するかも知れない。

何でも卒なくこなす八千代ではあるが、その一点のみ懸念すべきことだ。

念には念を押す必要がある。

 雪間さんを巻き込む形になってしまったけれど、それもまた致し方ないことだった。

まぁ、彼女ならこの程度の事件に関わったところで、それを何とも思ってはいないだろうけど。

 八千代の仕事を信頼していないわけではない。

むしろ大いに信用している。

彼女の中から外まで全て信じている。

行司が林檎ちゃんに対する接し方を溺愛と表現したけれど、僕だって八千代に対する気持ちはそれに引けを取らない。

彼女に陶酔して、心底愛していると言っても良いほどだ。

それ故、八千代を理解しているからこそ僕は雪間さんを巻き込み、林檎ちゃんを利用した。

雪間さんのためだったら何でも出来る。

林檎ちゃんのためだったら何でも出来る。

それ以上に、八千代のためだったら何でも出来る。



死ねと言われれば――死ねるほどに。



「林檎ちゃんは旗桐 行司のことを死ぬほど憎んでいたかい?」

 僕は雪間さんとの電話を終えて、縁側に座る林檎ちゃんの背後から訊く。

 八千代はどこに行ったのか、姿が見えないようだった。

「はい、そうですね。そうかも知れません」

「…………」

「いや、正直、おじいちゃんの生死に興味が無いと言うか、どっちでも良いって思っていたのかも」

「まぁ、人の死を最初から覚悟している方がおかしいね。死の淵に立ってからこそ、死を実感できるんだから」

 僕は笑みを浮かべながら林檎ちゃんの隣に座った。

それは苦笑いだったのかも知れないし、林檎ちゃんを哀れむ同情の笑みだったのかも知れない。

少し近すぎたせいか、彼女は少し反応して僕から距離を取った。

嘆息したい気持ちを抑えて僕は続ける。

「僕は林檎ちゃんと行司の関係性を少し誤解していたんだよね。確かに行司からは剣呑な様は感じ取れたけれど、少なくとも林檎ちゃんは彼に対して好意的だと思っていたよ」

 林檎ちゃんは無表情に沈黙した。

「もっと言えば、孫に厳しく当たるおじいちゃんって感じで、その中身は優しさだったんじゃないかって。愛の鞭と言えば聞こえは良いかも知れないけどね。まぁ、そうだったとしても溺愛って表現したのは大きな間違いだったかな」

 彼女の沈黙はまだ続く。

相変わらずの無表情だった。

「あぁ……溺愛と言うなら、案外的を射ていたか。林檎ちゃんの遺伝子を残すためだったり、才能を利用するためだったり――行司は林檎ちゃんに愛されたかったのかもしれないな。ほら、人を好きになるにはまず自分から、とか何とか言うし」

 そんな言葉があるかどうかは疑わしいことだったが、僕はあざとく続けた。

無表情だった林檎ちゃんの幼い顔が少しだけ歪んだ気がした。

一点を見据えていた鋭い眼差しが僅かに緩んだようだった。

緊張が解けたような、そんな風に感じた。

「行司がやったことを容認するつもりじゃない。むしろ、それに関しては僕が殺したいくらいに怒りを覚えてる、もう死んでしまったけどな。それでも僕は先月の事件に分家を三名も殺害した行司を評価するよ」

 先月の事件――旗桐 番、久木、紗枝が殺害された。

犯行は本家使用人だが、恐らく、と言うか間違いなく犯行を指示したのは行司だろう。

 なんために殺したのか。

 『誰』のために殺したのか。

もう既にその答えは導き出されている。

「林檎ちゃんは僕に『守るための殺人行為は綺麗です』と言った。理由はどうあれ、行司が守ってくれたことは間違いないと。君だって本当は理解しているんじゃないか?」

「理解って……」

 ようやく口を開いた林檎ちゃんの声はか細く、今にも消え入りそうなものだった。

長い豪雨が強く地を打つ音に掻き消されるほどのものだった。

「行司が死んで喜んでるとか、僕が優しくしてくれるからとか、そんな嘘を吐いてまで自分の本音を隠す意味ってあるのか?」

「嘘じゃありません……」

「そうだね、嘘じゃないだろう。行司がやってきたことを酷い悪行を認めて彼を好きになれるはずがないんだから。けれど――林檎ちゃんは今、葛藤しているんじゃないか?」

「…………」

「行司を許せない、憎い。でもその反面、彼が林檎ちゃんを守る為に取って来た行動も認めている。それが自分の才能を利用するためだったとしても、家族を信じたい淡い希望もある。だから今、自分がどんな心情なのか曖昧になっているんだろう」

 僕はさらに続ける。

 饒舌に、しかし飄々と。

「君が病室を与えられている理由は概ね理解している。林檎ちゃんの行動を許容しているのは行司じゃないか?それに、あんなに綺麗に整えられたベッドは一体誰が何のためにやってるんだ?」

 林檎ちゃんは――と。

 林檎ちゃんは――と。

「今まで様々な知識を得てきたんだろうけど、感情や心情っていうのは、いくら参考になる文献を読破したところで、いくら難解な書籍を購読したところで、いくらそれの伝達方法や発生原理を論文なんかで知ったところで――体感しなくちゃわからないんだよ」

 その言葉に林檎ちゃんは、弱々しくも鋭い眼光を放っていた彼女の目は皺くちゃに潰れて、悲鳴のような泣き声をあげたのだった。

 ぼろぼろ、と。

 幼い瞳から溢れ出る大粒の雫は、秋雨に負けず劣らずのものだった。

歯を食いしばって、小さな拳を握り締めて、彼女は泣いた。

生まれて初めて泣く赤子のように泣き叫んだ。

「感情ってのは自分でも理解できないことの方が多い。複雑に絡み合ってる。林檎ちゃんにも知らないことがたくさんあると言ったけれど、君は皆が知っている当たり前のことを知らない。何も、知らないんだよ」

 僕は力一杯握り締められた拳を覆うように林檎ちゃんの手を取った。

 泣き止む気配の無い彼女の声は苦しそうで、本当にそのまま死ぬんじゃないかと思えるほどだ。

見ているこっちまで息が詰まりそうな。息が苦しくなってくるような。

そんな気分にさせられた。

初めて見る林檎ちゃんの涙を僕は見ていられなかった。

同情と言えばそうなのかも知れない。

哀れみと言えばそうなのかも知れない。

でもそれ以上に、泣く林檎ちゃんを見て嬉しいと思った。

自分の定規を持たない彼女が――他人が学んだものでしか計れない定規を持つ彼女が、初めて自分一人で『それ』を学んだように見えたからだ。

 僕は彼女の手を離して立ち上がる。

 立ち上がって――。


「行司が死んで、辛いかい?」


 と訊いた。

 か細い声で、「はい」と聞こえたような気がした。


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