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外れた世界で少女は。  作者: 三番茶屋
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Ⅵ答弁編・2

 九月十三日――午後二時。

 分厚い雲間からほんの僅かな光が差し込んではいるが、どうやら午後の降水確率は八十パーセントらしい。

秋雨だ、長い長い雨だ。

連日の残暑とも言える気温のせいで秋を感じることがなかったが、僕はここでようやくそれを実感した。

 旗桐 行司が死んだ一室――襖を開けた先の縁側に座り、立派な盆栽や松を眺める。

背後に死体が今もなお放置されていると言うのに、随分と落ち着いた気分である。

隣に八千代がいるおかげでもあるけれど、それ以上に林檎ちゃんの存在が大きい。

白いワンピースに薄手のカーディガンを羽織った彼女は何とも言えない表情だった。

ぶっきら棒でしかめっ面が常である林檎ちゃんだけど、どうも様子がおかしい。

いや、おかしいと言えばおかしいのだけれど、普段の表情と大して変化が無いとも言える。

醸し出す雰囲気が違う、と感じた。

生憎、僕は霊能力者でも霊媒師でもないので、人のオーラや守護霊、背後霊なんか見えるはずがないのだけれど、しかし、それでもいつもとオーラが違うと感じた。

空気が違う、とも言えるような。

 それもそうだろう。

 去年に両親を同時に失い、使用人を失い、そして今度は祖父を失ったのだ。

いくら天才だからと言って、家族の死を正面から受け止めるにはまだ幼い。

十四歳なのだから。

 これは一般論だ。

本来、年齢問わず人の死を素直に受け入れることは難しい。

ペットの死ですら立ち直れない程の人だっている。

前々から死を覚悟していたとしても、現実を目の当たりにして受ける衝撃はあまりにも大きいのだから。

 だが――と思った。

 彼女の場合はどうなのだろうか。

確かに、最初に行司の死体を見た林檎ちゃんの反応から窺えたことは、そういったものだった。

死体を見て、震えながら僕の手を強く握っていた。

正常な反応だろう、人としてなら当然の反応だろう。

まさか死体を見て、何も思わない人はいないだろう。

自分と無関係な人間だったとしても、眼前に死体があるという非日常的な現実を前に無表情になれる方がおかしい。

それこそ狂っている。

その後の呆けた林檎ちゃんを見ても、家族の死を受け入れることが出来ず脱力しているようにも見えた。

 普通だと思った。

 平凡な女の子だと思った。

 どこにでもいるような少女だと思った。

 ありきたりな反応だと思った。

 当然の動作だと思った。

 一般的なそれだと思った。

 普遍的に認知されているような仕草だと思った。

 凡俗と言っても良いと思った。

 その辺の女子中学生と見分けがつかないと思った。

 目立つものがないと思った。

 特徴がないと思った。

 特技もないだろうと思った。

 得手不得手がないと思った。

 全てが平均的だと思った。

 それ以上でも以下でもないと思った。

 ただの十四歳だった。


 それは――

 それは『おかしい』だろ。


 どうして僕はそんなことを感じたのだろう。

いくら天才でも、どれだけ有能でも、多種多様な才能を保有していても、僕が林檎ちゃんからそれらを感じたということは、どう考えても『おかしい』ことだ。

彼女は――彼女を普通だなんて思えるはずがないのに。

全てを狂わせる天才の彼女が平凡に見えるはずがないのに。

 一体林檎ちゃんは何を見ているのだろうか。

 何を見据えて、何を考えているのだろうか。

 脱力して、呆けた顔で見つめる先には何があるというのだろうか。

 彼女が見る"世界"は一体――


「おじいちゃんは決して優しい人ではありませんでした」


 と、顔色を変えないまま、林檎ちゃんは言った。

何も感じられないような表情だった。

左隣に座る八千代が少しだけ反応する。

「お兄ちゃんも八千代さんも聞いた通り、旗桐家はひどく閉鎖的です。しかし、そんな閉じられた社会形成は初めからそうだったという訳ではありません」

 林檎ちゃんは抑揚のない話し方で続ける。

機械が喋っているようだった。

「こうしておじいちゃんが死んでも警察を呼べないのも、分家の方々に訃報としてお知らせ出来ないのも、全部私のせいです」

「…………」

「具体的に言えば、わたし自身が『おかしい』と自覚し始めたのは六歳くらいの頃です。その時にはもう既に高校の勉強は終えてました。わたしは単純に、今の勉強が終わったから次、そしてまた終わったから次、そんな感覚で学習していたんです」

 謂わば好奇心ですね、と林檎ちゃんは言う。

「それが当然のことだと思ってました。いや、そもそも難しく考えてませんでした。単純に――作業のように勉強していたんです」

 それはまるで、天才である自分を自虐するような物言いだった。

自分の才能に呆れているようにも思えた。

「そして十歳の時には周りも『おかしい』って気づきますよね、当然です。その頃のわたしは興味がある訳でもないのに医学の勉強していたんですから。一般教養と言える勉学については、その時点で終えてました」







 そしてわたしは――

 わたしは――と続ける。


 





「おじいちゃんに襲われそうになりました」








「――!?」

 襲われ……。

 襲われそうになった?

「襲われそうになった、ということなので未遂ですけど」

「それはどういう意味?」

 僕は驚愕のあまり、深く彼女の言葉を考えずに訊く。

 咄嗟に訊く。

「具体的に言うと、性的な意味で、です」

「…………」

「運良く、両親が止めてくれたので未遂に終わりましたけど、その時からです。わたしが病院に通うようになったのは――」

「林檎ちゃん、どうして旗桐 行司はそんなことを?」

「天才の遺伝子を残すため」

 と、八千代が言った。

 林檎ちゃんが言いかかった口を遮るようにそう言った。

それだけで、理解するには十分だった。

行司を理解することは出来ないけれど、把握するには十二分だった。

 僕は歯を食いしばる。

 ギリ、と音が鳴る。

「つまり、だ。いいか少年、よく聞け。君には先月の事件の真相をあまり詳しくは話さなかったが――いや、話せなかったが、分家は彼女を狙った。その意味はもう理解できるな?」

「…………」

 なんだ、それ。

 そんなことあっていいのか。

 十歳の幼女と血の繋がった祖父が子供を作って遺伝子を残す?

 大の大人数人が十四の少女と子供を作る?

 ふざけてる。

 ふざけ過ぎにも程がある。

 道徳も倫理も破綻し過ぎているじゃないか。

百歩だろうが万歩だろうが、億歩だろうが譲ったとしても理解出来ない。

頭がおかしいとしか思えない。

『狂っている』としか思えない。

「君には彼女を狙った理由はその才能を利用して、新しいプログラムを構築したりとか何とか言ったが本来の狙いはそれじゃあない」

「なら、今回の事件――旗桐 行司が殺されたことじゃなくて、林檎ちゃんがさらわれた意味は……」

 考えるだけでおぞましかった。

 深く思考すればするほど、恐怖で体が震えた。

踏み入れるべき領域ではないような気がして、林檎ちゃんにひどく同情して、居た堪れなくなる。

「先月の事件から繋がっている――財産分与、そして分家との絶縁。つまり少女を連れ出して――」

「もういいよ、八千代」

 もう――十分だ。

 やっと今回の事件の深層を理解できた。

 旗桐家が抱える『何か』。

 大きすぎて掴むことの出来なかった旗桐家の全貌。

 ようやくそれらを把握した。

「けれど、林檎ちゃんの才能を利用して本家の財産を搾取するため、って八千代は言ってたよね」

「そうだね、でも本来は少女の遺伝子を残すことが出来るのなら、それで良かった。遺伝子を残すということは、別に子供を作るというわけじゃあないよ。少女を妊娠させても分家からすればあまり意味がないからね」

 八千代はつまり、と剣呑な表情で続けた。

今にも怒り狂って暴走して、人でも殺めてしまいそうな痛々しい雰囲気を醸し出していた。

「少女の遺伝子、つまり卵子を摘出して売ればいい」

「本来はそのつもりだった、っていうことか」

「しかし、三人も殺されるというのは分家も予想外だっただろう。だからそれを利用して本家から財産を奪うことに成功したという訳だ。わざわざ抵抗する少女を誘拐してまですることも無くなった」

 残酷だ。

 天才――異端で異質な存在は周囲を狂わせる。

その結果とでも言うのだろうか。

かと言って、それだけで――勉学に突出しているだけで、こうも過酷な人生を送らなくてはいけないのか。

 天才という異質さは、排他されてその人を孤独に陥らせる。

間単に言えば仲間外れにされて、ハブられる。

それも必然的に、いや、故意的に。

小学生や中学生の間ではよく見る光景だろう。

周囲と何かが違うと、それだけで虐められ、除外される。

しかし、それは別に特殊なことではなく、正常とは言えないが在り来たりな社会の光景だ。

当たり前で、当然で、一般的だ。

虐めがなくならないのと同じことだ。

虐めが無い学校やクラスがある方が稀有だろう。

 それが大人になれば。

 大人の社会に属するようになれば。

才能を認知されて出世する者がいる、突出した才能を活かして事業をする者もいる。

才能や素質、資質を金で売り買いすることだってある。

 けれど。

 けれど、だ。

 余りにも大きすぎる才能は――巨大で強力な鬼才は、認知されることはなく、それを活かせる場も存在せず、眩し過ぎる光に狂った狂信者が利用を企んで天才を破滅させる。

林檎ちゃんは一般的な才能とは違う。

天才、なんて軽々しいものとは違う。

彼女の『それ』は、悪魔染みた『それ』だ。

神様は才能を与えた、と言うが、彼女の場合与えたのは悪魔だ。

与えられた才能も悪魔なのだ。

 異端、異形、異質。

 辛辣だが彼女にはぴたり当てはまる表現だと思う。

「おじいちゃんがわたしを溺愛している、ある意味的を射ていますよね」

「でも君はあのじじぃを好意的に思ってはいない」

 八千代が襖一枚隔てた向こう側に放置されている死体を顎で指して言う。

「そうです、こんなこと言うとお兄ちゃんに嫌われるかも知れませんが、わたしは別におじいちゃんが死んで悲愴なんて感じませんでした。最初に死体を見た時、咄嗟に服を握りましたが――あの時わたしはこうすればお兄ちゃんは手を握ってくれると予想していたんです」

「…………」

「その後も悲しげな表情をして、ぼぉっとしていたらきっとこうしてわたしの話を聞いてくれると予想していたんです」

「…………」

「わたしが旗桐家でどんな立場に置かれているのか言えば、同情して守ってくれると予想していたんです」

「…………」

「わたしは――」

「林檎ちゃん、わかったよ。もう全部知ってる、そうだろうと思ってた」

「おじいちゃんが死んで、むしろ喜んでいます」

「…………」

 歪んだ笑顔だった。

 ひどく歪んで、少女には相応しくない醜い笑顔だった。

 今まで見た来た彼女の天使のような微笑には程遠いものだった。

「なら、少女が楽しんでる中悪いが、終わらせるとしようじゃないか。生憎、私はいつまでも腐敗臭漂う家には居たくないんだよ。一張羅のスーツに臭いが染み付いたら大変じゃないか」

 八千代は胸ポケットから煙草が入ったケースを取り出して、一本くわえた。

僕はそれを見て同じように胸ポケットに入れていたライターを手に取る。

カチ、と。

残念ながら火は点かなかったけれど。



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