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外れた世界で少女は。  作者: 三番茶屋
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解答の始まり

「正義と悪というのは、一体全体どうして区別される必要があるのだと思う?」


 八千代 真伊(やちよさない)が不適に微笑みながら言う。

それでも実年齢にはそぐわない可愛らしい少女のような笑顔だった。

「正義と悪なんて一枚のカードの裏表だよ。或いはコインの裏表。それでも、単純な二元論では語れない」

「それは制裁者が正義で、犯罪者が悪だという話かい?」

「一概にそうは言えないな」

 正義は主観のみで語られる――

 悪は主観のみで語られる――

 では客観的に見れば、どうなのだろうか。

「ならこういう質問に変えよう。殺人は悪なのか、正義なのか。君は一体どう考える」

「…………」

 僕は黙った。

 暫しの沈黙。

 八千代の笑顔は依然として変わらない。

むしろ僕をからかっているような、或いは試しているような、しかしそれでいて純粋な疑問の一つとして僕に投げかけているような、そんな印象を受けた。

 まぁしかし、だ。

 殺人が正義なのか、悪なのかなんて先に言った通りそんな簡単な二元論で語ることは出来ないだろう。

客観的に見るならば、それは間違いなく後者だ。

 人を殺してはならない。

 人を殺めてはならない。

 殺人行為をしてはならない。

紛れも無く、微塵も淀み無く、殺人行為は悪そのものだろう。

 なにせ、人を殺すのだから。

 人の命を消すのだから。

 終わらせるのだから。

 人生を。

 命の火を。

「まさか八千代、殺人がなぜいけないことなのか、なんていう子供染みた論争を君としなくちゃいけないのかい?」

「……はっ」

 八千代が鼻で笑う。


「逃げるなよ、少年」

 と。


 相変わらずと言ったところか、それとも、さすがと言うべきか、もっと言えば、やはり――しかしまぁ、安い挑発だ。

それでも僕は八千代に答える。

「客観的に見れば殺人は間違いなく悪だよ。しかし主観でしか善悪は語れないとさっきも言っただろう。理由のある殺人に関して言えば、殺人者が正義だという場合もあり得るだろ」

「なら、理由ある殺人なら善であり、正義だということか?」

「それも一概には言えないな。まぁけれど、理由の有無がどうあれ、真っ当な理由があれ、法律がある以上殺人が悪なのは変わりない。自己防衛でさえ過剰と看做みなされる法律さ」

「私は法律の話なんかしてないんだがね」

「はは、そりゃそうだ」


 例えば、八千代 真伊(やちよさない)

二十五歳女性。お節介、良く言えばお人よし。

傍観者気取りのひねくれ者。

淡い黒髪、腰辺りまでに伸びた長いストレートの黒髪。

口調に似合わない可愛らしい目、口。

あまりにも口調に似合わないあどけない笑顔。

口調からは想像も付かないような小さな体躯、手。

そして、外見にこれっぽっちも似合わない重喫煙者。

コーヒー。

弁護士、黒い弁護士、真っ黒の弁護士。腹黒い弁護士。

底の知れない弁護士、肝っ玉。お人よしの弁護士。

 弁護士――僕の弁護士。

 或いは、僕だけの弁護士。

 黒い――僕の弁護士。


 まぁそれにしても、少々と言うに言えないくらいの付き合いではあるけれど、未だに彼女を把握出来ない。

底が知れないと言ったが、見えないと表現する方が正しい。

あまりに外見とそぐわないのだ。

それがより一層そういった印象を強めているのかもしれないけれど。

 ここで言う弁護士と言っても、単純なそれではない。

民事や刑事、そんなものに彼女は興味を持たない。

むしろもっと言えば、裁判ですら彼女には経験が無いのだ。

そしてさらに深く言えば、弁護なんてするつもりも無いのかも知れない。

 なんの為の弁護士だ、と思う。

 誰の為の弁護士だ、と思う。

 それは肩書きとして弁護士を名乗っているだけなのだろう。

勿論、資格は持っているらしいが。

 シャツ、ネクタイ、スーツ、革靴、全てが黒で統一された身なりが常の彼女だが、同様に胸にも常に弁護士の証があった。

弁護士としての職務など未経験である彼女だが、その点については自負があるのかも知れない。

 弁護士。

 弁護士ねぇ。 


 黒い――


 ため息を一つ。

 いや、二つ。

「しかしどうにも私には分からないな」

 八千代は飲み干したアイスコーヒーのストローをくわえてテーブルに顎をついた。

 出会った頃から思っていたが、改めて見ると、妙に可愛く見えた。

いや、実際可愛いのだけれど。

「私はこれでも法律家だ、殺人の善悪なんて最初から理解してるつもり。けれどそれは法律があってこそ成り立っている世の中の暗黙のルールだと思わないかい?」

「…………」

「どんなに深刻な理由であれ、筋の通った言い訳であれ、殺人はいけないことなんだよ。たまに私はそれがわからなくなる」

 例えば、僕こと、南名 衛理(みなみなえいり)

大学生、齢十九。

男、紛いも無く男――男の中の男、は言いすぎか。

八千代が弁護士なら、この場合僕は、被告人。

 或いは加害者。

 或いは被害者。

 或いは被疑者。

 黒い――被告人。

 勿論、僕が犯罪者ということではなく、犯罪容疑をかけられた被疑者でもなく、あくまでそれは例え話だ。

彼女を弁護士として見た場合の僕の立場だ。

黒い弁護士である彼女を定規として見た場合の僕である。

それならば、その定規で僕を測るなら或いは――

「ふぅん、八千代でもわからないことがあるのか」

「わからないと言うか、理解が出来ないんだろうね。殺人者の気持ちなんて誰も理解できないさ」

 したくもないし、と八千代が加えた。

 くわえていたストローの先からどんどん雫が垂れ落ちていたが彼女はそれをどうでもよさそうに眺める。

 絶対涎だろそれ……。

 汚ねぇ。

「殺人者の気持ちなんてシンプルだろ」

「……ふぅん?」

「殺人の理由なんて主に憎しみや憎悪、怒りなんかから来るものだよ。殺人者は大体そうさ、シンプルな理由。単純明快な理由。色恋沙汰だったり、復讐だったり、そんな黒い動機なんだよ結局」

 僕は続ける。

 最早、八千代は自分の振ってきた話題にも関わらず、少々興味が失せた様子だった。

「けれど実際、それが正義ともなり得ることもある。ただそれを良しとしちゃいけない。理由はどうあれ殺人はいけないことだ。殺人者と殺人鬼は紙一重だけれど、そこには絶対に埋まらない差がある」

「へぇ……君は賢いな。まるで人を殺したことがあるみたいだ」

「八千代、もう時間だ。この後、僕は親愛なる林檎ちゃんと予定があるんだ」

「へいへーい、彼女まだ入院中なんだっけ」

「あーうん、今月一杯はね、多分」

「そっか、よろしく言っとけ」

「へいへい」

 そして僕は先に会計を済ませて喫茶店から足早に市民病院へと向かう。

ストローをくわえたまま動く気配のない八千代を外ガラスから横目に眺めながら。

 九月十二日。

 およそ半月ぶりの八千代との再会だったがあまり内容のあった話ができたとは思えなかった。

まぁそんなものだろう。

彼女との会話に何か意味があるほうが珍しい。

いつも僕を試すように、からかうように、しかしそれでいて純粋な疑問を僕に投げかけるように彼女は意味の無い話題を持ち出すのだから。

確かこの前は、性善説と性善悪について。

そしてその前は、金と愛について。

さらにその前は、恋人と仕事について。

今回は、正義と悪、善悪について。

ここ最近では一番難しい話題だったかもしれない。

八千代には中途半端な解答をしたけれど、実質人殺しの場合に置いて明らかに殺人行為は悪なのだ。

それは揺るがない、紛れも無い。

歪みも無い、淀みも無い。

しかし、逆に許される殺人行為なんて存在するのだろうか。

仇、復讐……或いは、対等な立場での殺し合い。 

全く、一筋縄ではいかない質問をしてくる。

なんてやつだ、である。

その質問に完全な解答なんて最初からないだろう。

それは彼女もきっとわかっているはずだ。

だからこそ、わからないと言ったんだろうし、純粋に僕に質問したのだろう。

もしそうだったなら、僕も素直に潔く自論を語れば良かったかな、なんて少し後悔する。

 正義も悪も、善悪も関係ない。

殺人を許容できるのは殺人者だけだ。

人殺しを許せるのは人殺しだけなのだ。

殺されて良いのは殺す側だけだろう。

それならば誰も文句は言えないはずだ、なんてこんな非現実的な自論を展開すれば八千代に笑われるに決まっているだろう。

まぁ、彼女になら笑われても構わないか。

彼女が喜んでくれるなら、彼女の笑顔が見れるなら。

しかし、自分から持ち出した話題に興味が無くすというあの飽き性はしっかり鞭を打って説教しないと。

 なんて、考えてるうちに。

 およそ徒歩二十分。

 僕は旗桐 林檎(はたぎりりんご)の入院する市民病院の玄関口に到着したのだった。

週に一度の安息の日である。

学業と八千代から開放される安息日である。

安息日と言えば少し変わった意味になるか。

 それはともかく。

 八千代には親愛なる林檎ちゃんと言ったが、これは強ち間違ってはいない表現だ。

確かに八千代を溺愛している僕だけれど、林檎ちゃんとは比べ物にならないほどなのだから。

八千代を恋人ともし表現するなら、林檎ちゃんは妹。

可愛い妹、可愛らしい妹、親愛なる妹。

まぁ、こんな表現をしたところで――僕がどれだけ彼女のこと想っているところで、相変わらずというか、やはりというか、僕の片思いということは揺ぎ無い事実だった。

僕の気持ちを知らずか知ってか、あまりに素っ気無い。

いつも不機嫌で、ぶっきら棒で、けれどどこか儚くて。

お節介かもしれないが放っておけなくなるような――そんな気持ちにさせられる。

 だからこうして林檎ちゃんが入院している中、週に一度お見舞いという形で僕は彼女に癒しを求めているのだった。

これじゃ、どっちが見舞われているのかわからないけれど。

 僕はいつものように、受付の志木式さんというぶっ飛んだ看護士に挨拶を済ませた後、病室に向かう。

 ここまでおよそ三十分。

 志木式さんに挨拶すると他愛も無い与太話に付き合わされて時間を食うことになるのだけれど、まぁそれも悪い気にはならない。

この病院に向かう途中は彼女の欠勤を期待してるわけだが、いざこうして会話してみると案外心地良いものだと思う。

僕の数少ない、気を許せるような、そんな暖かい印象の彼女だ。

 それでも、まぁ、うん……長すぎて疲れるが。

 高確率で志木式さんの上司であろう看護婦に制されて会話を切られるわけで、その度に彼女はいつも泣き喚いて、最早最近ではこの病院の名物看護師みたいな立位置になりつつあるらしい。

そして同様に、僕は志木式さんの冷たい恋人という、訳のわからない噂が広まりつつあるようだった。

嫌過ぎる。

話半分、噂半分にもほどがある。

冗談のような噂ではあったが、どうやら実際に看護婦看護士の間では有名なようだった。

嫌過ぎる。

 まぁそれはともかく、ともかくだ。

 僕はやっとの思いで病室に辿り着き、扉を一気に開ける。

ノックはしない。

僕と林檎ちゃんの間にそんな野暮な礼儀はいらない。

そうだ、そうなのだ。

「…………」

「…………」

 着替え中だった。

林檎ちゃんが今にもパジャマを脱ごうとして、裾を捲り上げているところだった。

 絶句。沈黙。無言。

 白い下着が丸見え。

 大きいとは言えないが綺麗なバストが完全にあらわになっていた。

「……お兄ちゃんは少女の下着姿を見て興奮するほど変態ではないですよね」

「…………」

「沈黙は肯定を意味します」

「……あ、いや」

 そこでやっと我に返った。

危ない、危なかった。

今の一瞬数秒が、数十分に感じるほどの衝撃だった。

頭が真っ白になるとはこういうことだったのか、なんて僕は少女の下着姿で初めての経験をしてしまったのだった。

「……ふぅ、おはようございます、お兄ちゃん」

「あぁ、おはよう、林檎ちゃん」

 林檎ちゃんはしどろもどろの僕を気にも留めず、着替えをそのまま続けて言った。

 なんて肝が据わった少女なんだよ。

 無表情に驚きもしなかったけど。

 どんな精神なんだ。

 しかし。

 林檎ちゃんは十四歳の子供である。

十九の僕が少女の下着を見ただけで慌ててはいけない。

それは間違えても間違いない。

「そう言えばお兄ちゃん、志木式さんとの噂がまた広がってるみたいですよ。昨日も検診のときに真意を聞かれました」

 林檎ちゃんは着替え終わったパジャマを綺麗に折りたたむ。

相変わらず、表情の見えない子だった。

「そして今日もまた志木式さんと色々していたんでしょう?」

「なんか含みのある言い方だね……」

 話半分の噂なんて興味はないけれど、実際自分の噂となったら気分が良いものではないな。

と言うより、林檎ちゃんが困ったようにしているというのが良くない。

「いえ、そういう意味ではありません。ただここまで広がると噂の真偽とは関係なく噂だけが一人歩きしていきます」

「一人歩きする噂なんて興味ないさ」

「お兄ちゃんはそれで構わないでしょう。でも志木式さんや、知らない先生から知らない質問されるわたしの身にもなって下さいということです」

「あ、うん。そうだね、けれど話半分冗談半分、噂なんて変化し変形し、廃れていくものだよ」

「……十全です」


 例えば旗桐 林檎。

 十四歳、中学生という身分ではあるにしろ、学校には通っていない。

義務教育の過程で籍をそこに置いてあるだけである。

一年の半分を病院で過ごす彼女にとって学校が病院であり、病院が学校のようなものだった。

しかしそれは虚弱体質という訳ではなく、病弱だからという理由でもない。

素直に彼女は中学校に通う必要がないのだ。

もっと言えば高校にも、大学にも。

彼女はすでに学問を終えている。

終了して、終わりに終わっている。

病院で過ごす理由は精神的に不安定だからという理由が大きいらしい。

学問を生まれて十四歳で終えた彼女は、あまりにも不安定で――偏っていた。

 異質、異端、異形。

 彼女は、違う。

 彼女は、生きている世界が違う。

 彼女の前では義務教育は通用しない。法律も憲法も関係ない。

 そういうことだった。

そういうこと――世界から外れた、世界から追放された、そういう風に林檎ちゃんは自分のことを言う。

偏った才能は異端で――痛んで、淘汰されて。

全く、排他的な社会だと思う。

天才だとか才能だとか、人はそれぞれ違うし異なっている。

しかし、あまりにも大きすぎる才能は、誰にも扱えないし、誰にも触れられない。

彼女の世界は暇そうに病院で過ごし、一日に数十冊の難解な書籍を読むことだった。

 学問を終えた彼女は。

 世界から外れた彼女は。

 あまりにも――

 あまりにも異質だった。

 そして何より、同情した。


「わたしの世界は案外つまらないものではないですよ」


 林檎ちゃんは僕の気持ちを悟ったように言う。

 不機嫌な表情で。

「この病院がわたしの世界ではありますが、それでも退屈だとは思ったことはありません。新しい刺激が欲しいと感じたこともありません。むしろそういう未知の刺激は知らないほうが良いでしょう、十四年半ばで全てを理解するということは今後生きる意味を消失するということにもなります」

「……けれど、林檎ちゃん――」

「わたしの知らないことがまだまだたくさんあるとでも言うのですか? しかし、そんな安価な言葉で揺らぐほどわたしの精神は柔ではありませんよ」

「林檎ちゃんが言える台詞じゃないね、それ」

「ふふっ、そうですね、弁解します」

 その笑顔はあまりにも薄かった。

儚くて、今にも存在が消えそうな、そんな微笑だった。

あどけなさの奥に暗い、深い何かを潜めたような、そんな印象も受けた。

「けれど実際、この世界には林檎ちゃんが知らないこともたくさんあると思うよ」

「そうですね、それは確かです。そして自覚も認識もしています。しかし、すでに終了したわたしにとって、そんなことはすぐに完了することで、完成することなんでしょう」

「そうかもしれないね」

 と、ここで。

 僕は早朝に八千代とした会話を思い出す。

 思い出して、自分の意見を反芻して。

 そして――

 これは単純な興味本位だ。

八千代と同じように、素直な疑問。

林檎ちゃんならどう解答するだろうか、そういう純粋な気持ちを含んだ質問だ。

「林檎ちゃんはさ、正義と悪についてどう思う」

「それは端的な表現で、という解釈でよろしいですか?」

「林檎ちゃんの素直な意見として、ってことで」

 そこで林檎ちゃんは少し悩んだように首を傾げて、しかしそれでも、はっきりとした眼差しで言う。

確かにこれは、十四歳そこらの少女の顔つきじゃない。

 学問を終えた彼女。

 世界から外れた彼女である。

「大義名分という言葉がありますが、大それた言葉にしてはそんなもの誰にでもあると思います。例えば殺人者にでも、もしくは悪者にでも」

「…………」

「しかしながら世界はそれをよしとしない。つまり、大義名分があろうとなかろうと、殺人は悪で、悪者は悪ですよね」

 なるほど。

 林檎ちゃんのことだけはある。

終わりに終わった彼女が言うだけのことはある。

かなり上から目線の物言いになってしまったが。

「まぁこれくらいのこと、ヒトなら誰にだって理解できるでしょう。法律がなくなれば、嫌いな人は殺せばいいし、障害も簡単に排除できます。怒りや憎悪も素直に吐き出すことができるでしょう」

 ただ、と林檎ちゃんは続ける。

「殺人という点に関して言えば、わたしは善にも正義にもなり得ると思いますよ」

 不器用に。

 不器用すぎるくらいに。

 林檎ちゃんは少しだけ口角を上げて目を細めた。

少しだけ顔を赤らめたような気がしたが、それも一瞬で相変わらずの無愛想な表情に戻る。

「だって、守るための殺人は綺麗です。少なくともその一点においてわたしは、そう思いますよ」

「……守るための」

「復讐でも、憎しみでも怒りでもなく、綺麗な殺人行為です。それは間違いなく正義で紛れも無く善ではないでしょうか。法律でも唯一認められていますし。まぁ勿論、過剰防衛は論外ですけれど」

 僕が中途半端な灰色だとすれば、彼女は白だ。

 真っ白で純白だ。

 まっさらと言ってもいい。

 林檎ちゃんは――眩しいくらいに白い。

 簡単に自分の答えを見つけてしまうのが彼女だ。

いや、最初から、すでに彼女はその答えを持ち合わせていたのかもしれない。

「ところで、どうしてこのような質問を?」

「んー、八千代とそういう話をしててね。林檎ちゃんはどんな解答をしてくれるのか気になってさ」

「お兄ちゃん、わかってはいると思いますが…」

「主観でしか語れないからね」

 林檎ちゃんは自分の言いたかった言葉を取られたとばかりに、少しだけむすっとした表情を見せた。

しかしこれも、愛嬌と言うものかもしれない。

「八千代さんは今どうしているのですか?」

「今は休業中なんだってさ、正確に言えば昨日から」

「旗桐家との事件はいかがのように?」

「一応解決はしたよ。僕も少なからず関与してたしね。林檎ちゃんの気にすることじゃあない」

「そうですか……」

「内部分裂が激しかったからな。いや、もう最終局面だったと言ってもいいくらいだった。けれど旗桐 行司(はたぎりぎょうじ)が躍起になって、僕も八千代もあまりに力になれなかったかもしれない」

 先月の話だ。

 八月の中旬から九月上旬までのおよそ半月とすこし。

 旗桐 林檎――旗桐本家ということになるのだが、その分家にあたる旗桐 (つがい)と旗桐 久木(ひさき)、そして旗桐 小枝(さえ)の三名が殺害された事件。

あまりにも惨殺で、猟奇的な事件だった。

今でも虐殺された三名の血の臭いや内臓の色、赤黒い肉塊、全て鮮明に思い出せるほど酷い有様だった。

そこで解決の依頼を受けたのが八千代 真伊である。

僕はこうして林檎ちゃんとの関わりもある身なので、八千代の付き添いという形で同行させてもらったわけだけれど、実質、僕達二人は特に何をするわけでもなく、解決してしまった。

 主な原因は本家と分家の内部分裂。

 犯行したのは旗桐本家の使用人。

 そして、最終的に犯人の自白。

 林檎ちゃんの祖父にあたる――旗桐家の頂点である旗桐 行司(ぎょうじ)の手によって多少の曖昧さは残しつつ、少しばかりのもやもやを残しつつ、そんなオチで事件は収束したのだった。

 しかし、もっと穿った目で見れば、使用人の独断犯行である可能性は低いだろう。

きっと本家の誰かが指示したに違いない。

解決した今となっては、そんなことすでにわからなくなってはいるが、それでも三名も殺された分家が黙ってるはずがなかった。

けれど、それも旗桐 行司が財産を分け与えたことによって沈黙したようだった。

結局は金か、そう思った。

 まぁ、しかし。

 死んだ人間は生き返らないのだ。

対価としては十分だろうし、利用したに過ぎないのだろう。

残酷な思考ではあるが、それはきっと正しくなくとも間違いでもないのだから。

 そんな猟奇的な事件が起こったということもあり、またも精神的に負荷が掛かった林檎ちゃんはこうして入院するはめになってしまったということだった。

いくら天才だからと言っても、いくら異端の才能を持つ彼女だからと言っても――中身は人間で、少女なのだから。

どうしようもないくらい不器用なか弱い少女なのだから。

本当に、本当にへたくそな――強がりだ。

 旗桐本家と分家の因縁は異質で、こんな現実離れした猟奇的殺人事件の起因は内部分裂を呼び起こした林檎ちゃんの存在だった。

林檎ちゃんの存在というより、林檎ちゃんの才能か。

十四年という歳月で全ての学問を完了した少女、その異質さが、周りを狂わせたのだろう。

 それもそうだ。

 大きすぎる才能は扱えない。触れられない。

それは周りを混乱させて、狂わせる。

価値観を狂わせる――狂乱。

林檎ちゃんへの狂信と言っても過言ではないのかもしれない。

彼女の存在は排他できないほどに大きいのだから。

 事件が収束を迎えた後、具体的に聞いたことによれば、分家が林檎ちゃんの才能を利用するつもりだったらしい。

彼女を利用して、旗桐分家は本家を超えようとした、ということだった。

まぁ、大よそ林檎ちゃんの才能を使って論文だったり、新しいプログラムの構築でもしようとしていたのだろうというのが八千代の見解だった。

その結果、本家が林檎ちゃんを守ったということになるのかもしれないけれど、逆に言えば分家の素行を利用したという風にも捉えることができなくもない。

 林檎ちゃんを押さえるために。

 彼女の才能を手に入れるために。

 けれど、そんなことは僕や八千代がいくら考えても無駄だろう。

孫に溺愛している旗桐 行司が何かを企んでいるとも思えなくもないが、とりあえず今は解決したことに、収束したことに、素直に喜ぶべきだ。

 林檎ちゃんも大変だなぁと思う。

 つくづくそう思う。

 かわいそうとも思う。

 だから少しばかりは同情するし、彼女の才能に同情する。

 まるで他人事のように――

 全く、一番他人事なのは自分だっていうのに――

「お兄ちゃんの考えている通り、分家を利用してわたしを本家が押さえたという可能性は低くはないでしょう。いや、むしろその可能性が高い。けれど内容はどうあれ、わたしを守ってくれたのは間違いなく本家のおじいちゃんです」

「うん、そうだね……」

「分家はもうわたしに手を出すことは出来ないでしょうから、今後わたしは本家で利用されるかもしれませんね」

 なんて。 

 そんなことを彼女は平然と、淡々と、表情を一切変えずに言って見せた。

まったく、今こうして目の前で入院していることすら疑問に思う。

 林檎ちゃんは――

 この少女は――あまりにも強すぎて、脆い。

「……もしも」

 林檎ちゃんが小さな声を発する。

「わたしが本家に利用されて、悪いことをされそうになったらその時は、お兄ちゃん――」

「……うん」

「わたしを助けてくれませんか」

「わかったよ、約束する」

「……親愛なるお兄ちゃんに永遠の友愛を、再会のための別れを」

 林檎ちゃんは胸の中心に手をそっと当てて、祈った。


 優しい日差しが病室の照らす。

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