幸せな日々
イヤだ。
そんなのはイヤだ。
俺にはもう、心に決めた女が……!
「う、う、うわああぁっ!」
自分の絶叫に驚き、彼はガバッと起き上がった。
と同時に、ベッドサイドの目覚まし時計が鳴り響く。
午前5時。いつもの起床時刻だ。
大神秋人の朝は早い。
30歳になったのを機に始めたランニングのため、彼は近頃、いつもこの時間に起床することにしていた。
ハアッ、ハアッ……。
彼は、自分が肩で息をして、汗だくになっていることに気が付いた。
どうやら、悪い夢を見ていたようだ。
近頃の夢はいつも変だが、今日はまたいちだんと酷かった気がする。
えーっと、確か……。
思い出せない。
まあいい、どうせまたいつものエロ妄想に違いない。(※『オオカミさんの恋煩い』三色)。
社内若手の期待のホープ、出世街道まっしぐら、自他も認めるプレイボーイ。
こと女性には絶対の自信を持つ彼だったが、あれは2年前のこと。
不本意にも、課内一の役立たず、部下の赤野燈子に、うっかり“恋” をしてしまった。
しかも情けないことに、手出しはおろか、想いすら告げられないでいる始末。
でも待てよ? にしては反応が薄いよな。
チラッと下に視線をうつし、自分の状態を確認した彼は、ふと首をかしげた。
って、何やってんだ俺はぁっ!!
近頃、彼女に関わる全ての行動が、すっかり三枚目と化してしまっている。
彼はプルプルっと頭を振ると、ベッドを飛び降りて洗面台へとむかった。
例え早朝ランニングであっても、彼は身だしなみに手を抜かない。
顔を洗い、髭を剃って眉も整え、寝癖の強いボサボサヘアをきっちり固めてからでないと、人前には決して出ないのだ。
トレーニング・ウェアを着こみ、玄関口にある全身鏡で頭の頂点から爪先までチェックして、彼はやっと玄関ドアを出た。
エントランスを出ると、外はまだほの暗い。
凍るような晩秋の早朝、冷えた空気にぶるっと身を震わせた。
寒い、眠たい。面倒臭いしサボリたい。
否!
よい仕事の基本は、フットワークの軽さにある。
パパンと頬を打って己を鼓舞すると、彼は一歩を踏み出した。
いつものコースは折り返し地点の運動公園まで約3km、ハードロックを聞きながら、軽く流して約13分。
5分と経たないうちに身体は寒さに馴れ、公園に着いた頃にはもう、すっかり暖まっている。
ベンチに腰かけて一休み。
ドリンクを飲みながら、朝焼けに染まる景色を見るともなく眺めていると、真っ白なプードル犬が視界に入ってきた。
さらにそのリードの先には、清楚な雰囲気の妙齢の美人が。
(彼女、最近よく見かけるな)
一昨日もその前の日も、いつもすぐ先の水のみ場近くで一休憩し、ワンコを遊ばせていたはずだ。
もしかして、もしかすると。
大神の経験上、これは自分に気がある兆候だ。
試しにチラッと視線を投げると、チラチラと向こうからも合図が返ってくる。
よし! イける。
大神はベンチを立つと、にこやかに彼女に近づいていく。
「やあ、最近よくお会いしま……」
成せない恋の苦しみに蓋をして、彼が仮初めの恋へと逃避しようとした時だった。




