3-1 遺跡の冒険譚
客足の少ない夜は、バーの灯りがやけに柔らかく見える。
木製のカウンターに並ぶグラスは、どれも空気を孕んで鈍く光り、静けさを際立たせていた。
シュウは磨き上げたグラスを棚に戻しながら、視線を横に流す。
年配の客が勘定を済ませ、帰り支度をしていたのだ。シュウは手を止め、その背に声をかける。
「寒いから気をつけて。杖、忘れてませんね。」
扉の外まで客を見送り、店内に戻ると、そこにはすっかりこの店の常連らしく腰を落ち着けている男の姿がまだあった。
漆黒の髪を束ね、深い赤みを含んだ瞳がグラスの底で揺らめいている。
その男――ザクレトは、ただ酒を飲んでいるだけなのに、不思議と周囲を圧するような存在感を放っていた。
こんな夜でなければ、居心地の悪さを覚える客がいたに違いない。
「もう一度、ブラックルシアンを頼みたい。」
他の客はすでに帰り、静かな店内に残るのはシュウと、彼を見つめる魔王だけ。
「……そんなにじっと見られると、落ち着かないな。」
シュウが冗談めかして言うと、ザクレトは口元を緩めた。
魔王の笑みは人を試すようでもあり、どこか親しげでもある。
「酒を作る姿は面白い。何もないところから、香りや色を立ち上らせて……魔術に似ている。」
「魔術ね。俺からすれば、そっちの方がずっと不可思議な魔王様だ。…はい、どうぞ。甘党の魔王様。」
ふとザクレトの肩口から、ちいさな影がすうっと現れる。
羽根を持つ少女――妖精ピトだ。
きらめく翅がランプの光を反射し、淡い色彩を散らした。
「出てきていいのか?」
シュウが眉を上げる。
「他に誰もいないじゃない。」
ピトはあっけらかんと答え、カウンターにちょこんと腰を下ろした。
酔いを楽しむ魔王と、きびきびした妖精。
不釣り合いな二人は、先日、本当に冒険者サルマたちと共に旅へ出ていたようだ。
魔王が正体を隠してまで人間の冒険に同行するなんて、シュウには到底理解できなかった。
(一体何を考えてるんだか。)
思わず懐疑的な目を向けたシュウに、ピトが反応する。
「シュウが言いたいことはわかるわ。私も最初は、何かの冗談だと思ったもの。」
「でもよい旅になったではないか。」
ザクレトはグラスを傾けながら鼻で笑った。
シュウは納得のいかない気持ちを抱きながら、話題を変えることにした。
「それにしても、『レオン』って名は誰がつけたんだ?」
「ワシだ。」
満面の笑みで、自慢げに語る。
「この辺りではありふれた名前だろう?」
「まあ、そうだけど。」
いつしか、ザクレトはこの町で"レオン"という偽名を使うようになっていた。
人間の姿に姿を変え、素性を隠してバーに通う魔王。
シュウは、その不自然な状況に気づかないうちに巻き込まれていた。
「なら、マスターもそう呼んでくれよ。ザクレトなんて名は、舌を噛みそうだろ?」
挑発めいた笑みを浮かべ、グラスの酒を一息にあおる。
「レオン……ね。」
シュウは小さくつぶやく。
仮初めの名を使う魔王の真意はどこにあるのだろう。
シュウは二人を見つめながら思う。
――魔王であっても、こうして人間と肩を並べ、酒を酌み交わせるのだ。
その姿は奇妙でありながら、どこか温かさを帯びていた。
バーという小さな箱庭が、彼らの仮面と素顔を優しく包み込んでいる。
バックバーを流し見て次の注文を考えている魔王に、シュウは問いかけた。
「それで、レオンの最初の冒険は、どんなだったんだ?」




