2-4 寝不足と仕事
シュウは冷やしたシャンパンをワイングラスにゆっくりと注ぎ入れていく。そこにクレーム・ド・カシスを重ね、優しくステアした。薄いピンクの液面と細やかな泡が立ち昇るその様子は、とても美しく高貴な雰囲気を醸し出す。
「キール・ロワイヤルです。」
差し出しながら、静かに告げた。
ザクレトは興味深そうにグラスを受け取り、目を細める。ランプの光に照らされ、紅と金のきらめきが彼の瞳に映り込んだ。
ひと口。
その瞬間、彼の表情がふっと和らいだ。
「……なんと品のある……。」
低い声に宿るのは、ただの感想ではなく、心の底からの満足と賛辞だった。
サルマは横目でその様子を見ながら、また一口酒をあおる。
ザクレトの持つグラスの中では、紅の泡がまだ静かに弾け続けている。
シュウは、温かくほぐれていくような、ゆっくりと流れるこの時間がたまらなく好きだった。
カウンターの奥で、シュウはグラスを一つ一つ磨いていく。蝋燭の炎が微かな揺らぎとともにグラスを反射し光の波紋を描いていく。
ザクレトはカウンターや棚に並ぶ道具をじっと見つめ、酒をあおった。
「それにしても、素晴らしい道具だな。」
低くしわがれた声に、サルマも同じ方向に目を向ける。
真鍮の計量器、細い脚を持つグラス、柄がねじれた長いスプーン。どれもが精密で洗練された形をしており、普段目にするような粗末な器機とは違ってみえる。
「人間はこんなにも素晴らしいものを作り上げるのか。」
「お酒を作るための道具は、全部特注なんだ。」
シュウは少し得意げに、しかしどこか悲しげに言葉を発した。
少しの沈黙のあと、シュウは店の奥の扉に向かい、そのまま倉庫に入っていった。
ザクレトが言葉を紡ぐ。
「まるで魔法だな。」
サルマは鼻で息を吐き、グラスを軽く傾けた。
「なぁ、あんた。この辺の冒険者じゃないだろう?」
ザクレトは一瞬、視線を向けようとしたが、問いを避けるようにやがて小さく頷いた。
「……ああ。」
その仕草に、ただ者ではない匂いをサルマは嗅ぎ取る。
「一体どこから来たんだ?」
「どこって……」
ザクレトはためらい、まっすぐ前を向いたまま答える。
「北の方だ。」
「そうなのか。」
サルマは恐る恐る、ひとつひとつ言葉を選ぶように質問を投げていった。
「ちなみに、その金貨は、北の方で手に入れられるのか?」
「いい加減にしろよ?サルマ。」
倉庫から出てきたシュウを見て、ばつが悪そうなサルマは、顔の前で両手のひらを合わせた。
「お金のある場所が知りたいのか?」
シュウとサルマは、ザクレトの方を見る。
「おい、。」「いいのか?!」
ザクレトは同時に声を出した二人を見ながら、答えた。
「遺跡だ。」
サルマはすぐに眉をひそめる。
「だが、ここら辺はもう探索し尽くされてるはずだろう?」
「この近くであれば、そうだな。東の山脈にあるデトラル川、その”朽ちた影”にあるかもしれんな。」
「ちょっと、、。」
ザクレトは普段よりも饒舌で、明らかに余計なことを口走っているように思えた。シュウの目が釘を刺すように向けられる。
しかしサルマは聞き逃さない。
「”朽ちた影”ってなんだ?」
「遺跡だ。知らんのか?」
ザクレトは当然のように返す。
「……そんな遺跡が、あるのか?デトラル川…あんなところにあったか?」
サルマは記憶をたぐるが、耳にしたことはない。
「ほら、次、何にする?」
シュウが慌てて言葉を差し込み、サルマの注意を逸らそうとする。
サルマはしばらく眉間に皺を寄せていたが、やがてバックバーに視線を戻した。整然と並ぶ酒瓶の列が彼の心を落ち着かせる。
「なぁ……」
シュウが小さい声でザクレトに囁いた。
「いいのか、そんな情報を喋って。」
「まったく問題ない。」
ザクレトは頑として揺るがない調子だった。
「捨てられた場所に、興味も未練もない。」
空を切るようにサルマは、再びグラスを置いた。
「シュウ、同じものを頼む。」
そして、ふとザクレトに目を向ける。
「それと、おっさん。」
二人の視線がサルマに集まる。彼は口元に薄い笑みを浮かべた。
「今度、俺たちをそこに案内してくれないか?」
蝋燭の火が揺れる。静まり返った空気に、グラスの氷が小さく音を立てた。




