1-4 深夜の来訪者
「ん…ぁ、なんだ、どうした?」
重たくなった頭をゆっくりと持ち上げて、ようやくカウンターから起き上がった大男は、状況を確認するように周りを見回した。
すっきりと整った広くて長いカウンター、奥の棚に綺麗に並べられた美しく輝くボトルの数々、念願かなってようやく来ることが出来た憧れのバーの景色そのものだった。
目の前には腕を組んで真っ直ぐに見下ろしてくるマスター。横には羽を畳んだピトがカウンターの上で俯き気味に正座をしている。
「え…何?この状況?ワシどうしたの?」
「覚えていないのか?お酒で潰れたんだよ」
男には全く記憶がなかった。しかも自分が酒に潰れて気を失うなど想像もしていなかった。
「この場所でザクレト様が目覚めるまで、この方が待っていてくださったんです。」
「どういうことか、説明してもらおうと思ってな。」
面食らった顔をした男は、小さく頷く妖精を見ながら状況を察し、姿勢を正すように座り直した。
「…はい。ザクレトといいます。東の魔王をやってます。ここには人間のお酒を飲んでみたくて来ました。」
「…ほ、本当に、魔王ザクレト…さんなんですか?」
シュウはその名前を口にした途端に思わず動揺してしまった。
「あ、はい、魔王です。」
魔王ザクレトと聞けば、この街で知らぬ者はいない人間と敵対する魔族の長の名だ。この国の冒険者もその命を討ち取らんと魔界へと足を踏み入れている。しかしながら、さっきまでカウンターに情けなく突っ伏していた人間の姿をした魔王を見て、シュウの恐怖心はもはや薄れていた。
「どうして人間の街に?侵略か?」
「いや、ほんと、お酒飲みたかっただけで。営業時間過ぎれば、人間にも会わないしバレないかなーと思いまして。」
(コイツ…わざと営業時間外を狙って来たのか…。)
「よし、通報しよう。」
「ちょっと待って!!!」
「バレたら困るのよ。ここで人間達と戦いたくないし、殺されちゃう。それに二度とお店に来れなくなっちゃうから。」
クネクネする魔王を横目に小さな妖精が堂々と声を上げた。
「なんとか、見逃してください!」
似つかわしくない猫撫で声で勝手を言う魔王より、妖精の方が幾分しっかりしているようだ。
「とりあえずこの街で悪さをしようとしてないのは、様子からも分かったよ。でも、なんでわざわざ危険を冒してまで、お酒が飲みたいんだ?この国の冒険者から命を狙われている身だって、知らないわけじゃないだろう?」
「たまたま人間の作った酒というものを飲むきっかけがあってだな、その時の感動と言ったら…もう忘れられなくてな。どうしてももう一度飲みたかったんだ。そこでこの店に来れば極上の酒が飲めると街で聞いて、出向いてやったわけだ!」
「でもたった一口で倒れてしまわれるだなんて。心配しましたわ。」
「魔界ではお酒はないのか?」
「ワシらの住む場所は魔素の濃い土地でな…酒を作ろうと熟成してみたんだが、魔素に侵食されたのか、全てがポーションなどの薬になってしまったんだ。おそらく魔界では酒は作れないだろう。」
「それで闇夜に忍んで、こんなところまで。」
反省の色を見せ、改めて座り直す魔王。
「迷惑をかけたようで申し訳ない。とても美味しかったのはちゃんと覚えている。」
「美味しいと言ってもらえるのは素直に嬉しいよ。」
「…そこで相談なんだが、また忍んで来てもいいか?」
危機感もなく好奇心だけで動くようなこの男は、懲りずにまた飲みに来るようだ。
「お店に面倒ごとは持ち込まないでくれ。ここは人間の住む街だし、魔王が出入りしてる店なんて知られたら、営業できなくなる。」
「そこはバレないよう配慮するし、ここでは誰にも危害を加えないと硬く誓おう。なんなら魔法で盟約を交わしても構わない。」
シュウは一瞬迷う表情を浮かべるも、目の前にいるどこか気の抜けた魔王に、少し心を許していた。
「しっかりとその約束を守ってくれるなら……また飲みに来てくれるのは構わない。」
言葉にならない満面の笑顔で、シュウを見上げるザクレト。
「よかったですね!これで念願のお酒を楽しめますね。」
「誰にもバレないようにして来るのは当然だが、営業時間も守ってくれると助かる。」
「ああ、しっかり対策した上で来させてもらう!大丈夫だ!ピトがいれば、触られでもしない限りバレることはない!」
シュウはカウンターから宙に飛び立った小さな少女に目をやる。ドワーフとかエルフとか、人に近い存在は時折耳にするが、妖精は非常に珍しい。現に姿を見るのは初めてだった。
「はい!私がザクレト様の秘書、音の妖精ピトと言います。」
聞けば今回この店に来れたのも、ピトが物音を消したり、音囮をつかうことで街の中に入り込めたようだ。
やはり珍しいその姿は目立つ存在のようで、あまり人前には姿を見せないという。
気づけば閉店時間からずいぶんと経ってしまった。外はもう明るくなってくる時間だ。
「じゃぁ、また気が向いたら…ご来店をお待ちしております。」
「世話になったな。また近いうちに楽しみに来る。」
「お会計、3000セルになります。」
席を立とうとした大きな男とその男の肩に飛び移った小さな少女は、その場でシュウを見つめたまま石のように固まった。
「…えっ?…お会計?って、何…?」
シュウは目を丸くして固まってしまい、しばらく3人は見つめあったまま、鶏の高鳴きが店に響くまで動けなかった。




