8-4 雨の強い日
雨は一向に弱まらず滝のように降り続け、建物の屋根から流れ落ちる水はまるでカーテンのように光を反射している。
「え? ああ……。そんな名前だったかも。」
その言葉に、店内は一瞬沈黙に包まれた。重く、濃密な静寂。
「…? …なんだよ。」
サルマが訝しげに声を漏らす。しかし、それ以上の言葉は続かない。
クローヴェルは、静かに立ち上がる。鋭い目でシュウを見つめる。彼の視線には尋問のような重みがあった。
「ご主人。あの時、三人で乾杯した酒だが、レオンという人物に出した酒は……ラスティ・ネイルではないな?」
その言葉が店内の空気を一変させた。万事休すか。シュウは言葉を失い、視線をまっすぐ前に向けたまま、団長の瞳の奥に潜む冷たい鋭さを受け止める。
「…? どうしたんだ? 二人とも」
サルマは不安そうに首を傾げるが、沈黙のまま店内に雷鳴が轟く。
シュウは、深呼吸をひとつしてから口を開く。
「…あの時、レオンに出したのは、“ゴッドファーザー”というお酒です。 うちの店では、バーボンウイスキーにアマレットというリキュールを混ぜてお出しします。」
クローヴェルの瞳が一瞬さらに鋭く光る。その視線が、シュウの胸を締めつける。
「その発言が、どういうことを示すか、分かっているのか?」
団長の声には威厳と警告が混じっていた。
シュウは静かに頷く。そして、胸を張ってクローヴェルに進言した。
「ええ……。彼は、俺の大切な友人です。」
サルマは首を傾げ、二人の間に漂う緊張を理解できずにいる。
「ちょっ、二人とも、何の話をしてるんだ?」
クローヴェルは鋭く頷き、低い声で告げる。
「すぐに一緒に来てもらう。いいな?」
シュウは短く答える。
「分かりました。」
「は? おい、待て!」
サルマが立ち上がり、団長の腕を掴む。グラスの結露に濡れた手が滑りそうになるが、必死に腕を握る。
「なんだ? 何のつもりだ!」
サルマの声には怒気が混じる。
「邪魔をすれば、お前も切り伏せるぞ。」
クローヴェルの声には、殺気が宿っていた。その圧力は、まるで雨に打たれた鋼鉄のように重く、サルマの身体に緊張を走らせる。
シュウは優しく口調でなだめるようにサルマにお願いごとをした。
「サルマ、すまない。 ……少しの間、店番を頼めるか?」
そう言って、ジャケットの内ポケットからお店の鍵を取り出し、サルマに差し出す。サルマは目を丸くし、驚きと戸惑いを隠せない。
「……どういうことだよ、シュウ。」
サルマの声が震える。
シュウは短く頷く。
「頼む……。必ず戻るから。……今度はサルマが待つ番な。」
サルマは、くしゃっと笑ったシュウの顔をみて、言葉を失ったようにその場に立ち尽くした。
クローヴェルが無言のままシュウの肩に手を添え、二人は大雨の中へと歩み出る。
外気が肌を刺し、泥を含んだ道がぐしゃりと音を立てるたび、靴底が重く沈んだ。雨は容赦なく全身を叩き、衣服を重くしていく。
シュウは団長の背中を歩きながら、ただ前を見つめる。その胸の奥では、店の扉を閉め、鍵を握るサルマの姿が浮かび――どうしようもなく、心が締め付けられた。
大雨の中、到着したのは、王国騎士団アルケイン本部。白く巨大な建物は、東の中心街に威風堂々と立ち、剣の切っ先が二つに割れた形に、大きな十字架のシンボルが掲げられた象徴的なデザインをしている。雨がその建物の白さを際立たせ、威厳をさらに増していた。
「団長! 任務、お疲れ様です!」
建物の中に入ると、兵士の一人が声をかける。
「その方は?」
クローヴェルは髪から水が滴るほどに濡れているシュウを見て冷たく答える。
「明日、調書を取る。牢に入れておけ。」
「はっ!」
そう言うと兵士たちは無言でシュウの両手に手錠をかけた。
肩の付け根をぐいと掴まれ、建物の奥へ引きずられるように進む。シュウは抵抗することなく、ただ静かに王国騎士団の誘導に従った。
牢に着くと、冷たい鉄扉が鈍い音を立てて閉まり、重たく鍵がかけられる。雨に濡れた衣服から落ちる水滴が、ぽたりぽたりと少しずつ床を湿らせていく。シュウは壁に背を預け、ゆっくりと床に腰を下ろした。
外の雨音と雷鳴が、まるで世界が崩れ去るかのように牢の奥深くまで響き渡る。
頭の中で、店に残したサルマの姿がちらつく。鍵を握りしめ、呆然と立ち尽くす彼の姿。胸の奥がひどく締め付けられるが、無事を確認したことだけが、唯一の救いだった。
シュウは拳を握り、冷たい壁に頭をつけて小さく息をつく。
これから自分はどうなるのか。店や仲間たちは――。
ザクレトもピトも、もう店を訪れることはないだろう。あの二人のことだから、きっとどこかで元気にやっていくだろう。そう思うと、どうしようもなく胸が熱くなった。最後に一目、会っておきたかった。しかし不思議と後悔はなかった。
外の雨はまだ止む気配を見せず、雷鳴が牢の天井を震わせる。その光と音は、時にシュウの心を照らし、また暗い影を落とした。まるで、彼の中に渦巻く思いそのものを映しているかのようだった。




