8-1 雨の強い日
雨の強い日だった。シュウは雨に濡れたまま、両手で傘をしっかり握り、体を前に傾けるようにして店のドアまでたどり着いた。雨粒が髪に絡み、肩や背中に滴り落ちる。濡れた服は肌にまとわりつき、冷たさが骨の奥まで染み渡る。鍵を取り出す手も少し震えていたが、なんとか扉を開け、店内に体を滑り込ませた。
「はぁ……。」
思わず息をつく。店の中は湿気と木の香りが入り混じり、外の冷たく荒れた空気とはまるで別世界のように静かだった。ドアを閉めると、強く地面を打つ雨音が店内にもその響きを反射する。濡れた体を拭きながら、シュウは今日の客足を考えた。
(こんなにすごい雨じゃ、今日は暇かな。)
店の中は静まり返り、普段の喧騒はどこか遠くの出来事のように思える。
落ち着いたところで、シュウはコーヒーを沸かすことにした。小さなケトルから立ち上る湯気が、冷えた体をわずかに温める。手元の作業台に置かれたメニューに目をやり、ペンを手に取り文字を修正していく。文字の配置、色のバランス、読みにくい箇所。何度も書き直し、読み返す。グラスも磨き、ボトルを何度も並べ直す。手先を動かすたび、心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
だが、雨音は容赦なく響き、店内の静けさをさらに際立たせる。雨が強くなるにつれ、外の通りを行き交う人影もまばらになっていく。どれくらい時間が経ったか。今日は、まだ一人も客が来ていない。
シュウはふとドアに耳を澄ませる。外からの足音に心が跳ねる。
(誰か来たか――?)
しかし、ドアを押して入ってきたのは郵便屋だった。シュウは小さくため息をつき、手紙を受け取る。
「こんな日にお疲れ様です。」
「すごい雨ですね。」
「ありがとうございます。雨、お気をつけて。」
郵便屋は軽く会釈をして店を出ていった。
シュウは受け取った封筒の束を一通一通、スライドさせながら雑に確認していく。その中で一つの封筒に目が留まった。真っ白な封筒は差出人不明で、見たことのない折り目をした風変わりなものだった。封を開くと中には少し小さめの手紙が折り畳まれて入っており、文面を開くとそこにはピトの字があった。
《 シュウへ。
突然こんな手紙を送ることになってしまったこと、どうかお許しください。
私達は、きっと、もう二度と、あなたのお店を訪れることはできないでしょう。
ご主人様からは、「何も言うな」と言われたけれど、どうしても伝えておきたくて。
今までたくさん迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。
急なお知らせで驚かせてしまったこと、直接お話することが出来なかったこと、心から申し訳なく思っています。
バーカラビナで過ごした時間は、私たちにとって宝物です。
本当に楽しかった。ありがとう。
どうか、お元気で。 》
シュウは言葉を追う手を止め、深呼吸する。何度も読み返してみるが、内容がうまく頭に入らない。確かに手紙はピトの字で、彼女の小さな手形も押されていた。でも、”ザクレト”とも、”ピト”とも書かれていない。自分たちの名前を文面に残さずに、この手紙を出したということが見て取れた。
「なんだよ……二度と来れないって……。」
胸に重くのしかかる現実に、思わず声が漏れる。
突然の別れにひどく落ち込むシュウ。頭の中では、ありえない光景がよぎる。ザクレトもピトも、もうここに来ない。二度と顔を合わせられない。
手紙をもう一度読み返すも、”来れなくなった”とだけある。
何か起きたのか、どんな事情があるのか――。理由もなく別れを告げるなど、ありえない。シュウは、人ならぬ二人の中に、むしろ誰よりも人間らしい心を見た。
何かしたいと思うが、どこに行けばいいのか、どう動けばいいのか、まったくわからなかった。体は硬直し、心は焦燥に飲み込まれていく。
外の雨音がさらに強く聞こえてくる。窓を打つ雨粒がまるでシュウの胸の中のざわめきを映すかのように、規則正しい音を刻む。
シュウは考えがまとまらないまま、店の中をおろおろと歩き始めた。
(サルマは、デゴル山での戦へ遠征に出て以来、長い間会えていない。もう二か月近く経つか……。きっとノルムやゾーも同行したはずだ。二人の顔も、サルマが行ってしまった日から一度も見ていない……。)
(じゃあ、ゴロやフォルンは? きっと西エリアの鍛冶屋にいるはずだ。ここからは少し遠いが、馬車を使えばすぐに行ける距離だ。何か知っているかも……。)
シュウは、とにかく手紙の真相を確かめるために、なんでもいいから情報が欲しかった。鍛冶屋なら、冒険者の武器や装備を手入れするのに、外の情報を持っているだろうし、共通の知人を持つ者同士で話すことで、少しでも心に平静を取り戻したかった。
シュウは店をクローズにして、出発の準備を始めようと決意する。
だが、その瞬間、店の扉が唐突に開いた。
雨で湿った外気と共に、鈍い鎧の音が店内に響く。振り向くと、王国騎士団〈アルケイン〉の騎士団長クローヴェルが立っていた。濡れた毛布のようなマントが肩にかかり、目はシュウを鋭く見据えている。
「いやぁ、今日はひどい雨だな。 また来たよ、ご主人。」
クローヴェルは、景気よく少し張った声でシュウに笑顔を向ける。シュウはその姿をまっすぐ見つめて、その場で石のように固まってしまった。




