6-3 バーときどきお悩み相談室
雨が弱まってきても、店内にはまだ湿った空気が漂っている。シュウはカウンターの向こうで手際よくグラスを磨きながら、いわゆる女子会の様子を見守っていた。
ピトはノルムとフォルンとの再会に顔をほころばせながら、少しずつ本来の元気な表情を取り戻している。ノルムは楽しそうにいろんな話をして、フォルンはその話を聞きながら、くすくすと笑ったりしていた。
「ところで、ノルム。サルマとの仲はどうなってるのよ?」
ノルムは顔を赤らめ、目が急に泳ぎ出す。シュウは少し意外そうな顔して微笑み、フォルンの言葉に耳を傾けた。
「えっ…べ、別に…何にもないわよ。」
ノルムは慌てた様子で答える。
「そんなに照れなくてもいいじゃない。」
フォルンがからかうように言う。
「照れてないし!」
ピトは小さな羽を震わせながら、にやりと笑った。
「ふふ、何?ノルムはそうだったの?」
ピトの言葉に、ノルムはさらに顔を赤らめ、シュウとフォルンは思わず笑みを浮かべる。少し元気を取り戻したように見えるピトを見て、シュウも胸を撫で下ろす。
「そうだったって何よ!そうもなにも、何もないって!」
ノルムは少し怒りっぽく声を張った。
フォルンがくすくすと笑い、ピトも小さく笑う。
こんなにわかりやすいのも珍しい。分かりやすく動揺したノルムは、しどろもどろな返答しかできていなかった。
「サルマのどこが好きなの?」
追い打ちをかけるようにフォルンが切り込んでいったところで、ピトが大慌てでノルムの長い髪の毛に飛び込んでいく。
「!? ちょっ…!!」
するとその瞬間に、店のドアベルが強く鳴り響き、驚いて全員がドアの方を見た。
――ガラン!!
ドアが勢いよく開き、湿った空気と共に、ひどく酔った様子の男が押し入ってきた。髪は乱れ、衣服は濡れ、足元もふらついている。
「よぉ、にいちゃん。 ッ…エール一杯くれ」
シュウは眉をひそめ、そばに寄って冷静に声をかける。
「失礼ですが、すでに酷く酔われているようですが、大丈夫ですか? すでにお帰りになられた方が…」
男は顔をしかめ、半分も目を開かずに答える。
「あ?俺はまだシラフだぞ。この店は来た客にッ…一杯の酒も出さないのか?」
シュウはため息を呑み込み、しぶしぶその男を店内に招き入れる。彼をドアにいちばん近い席に座らせ、慎重に距離を取らせた。ピトはノルムの長い髪の中に身を隠し、男の視線に入らないよう注意する。幸い、ピトの姿は男には気づかれていないようだった。ノルムもフォルンも正面を向いて、視線を合わせまいと影を潜ませている。
シュウは静かにエールを注ぎ、男の前に置いた。男は無言のままグラスを手に取り、ぐいと胃に流し込んでいった。
「お仕事帰りですか?」
シュウが尋ねると、男はへびのように睨みを利かせ、片口を上げて笑った。
「そうだ、日夜お前らッ…下民の為に汗水垂らして働いてやってんだ」
シュウは言葉に詰まり、黙ってグラスを見つめる。
ここまでマナーの悪い客は久しぶりだった。こっちの世界に来てから、こうした態度をとる客は初めてだ。せっかく明るい雰囲気になった店内だったのに、重く沈んだ静寂が戻ってしまう。
ピトは小さく息をつき、ノルムに耳打ちした。
「よくあんな奴に対応できるわね」
男は地獄耳なのか、半分眠ったような目を細めて二人に絡み出した。
「おい、女!なんか言ったか?」
フォルンが静かに振り返り、毅然と言葉を返す。
「なんでもないわ。」
「(ピトのバカ!)」
「(ごめん!)」
ノルムは肩をいれて、男に背中をむけるようにして座り直した。
男は二人を鼻で笑い、挑発的に続ける。
「ッ…こんな時間に隠れて飲んでるような女じゃ、ろくな奴らじゃねぇな。」
「ちょっと、お客さんっ…」
シュウの制止も虚しく、ノルムは立ち上がり、声を張る。
「それが何か?あんたに関係ないでしょ。」
「(…ちょっと!ノルム!)」
慌てるピトをよそに反撃に出るノルムに、男は嘲笑を浮かべ、より挑発的に突っかかっていく。
「ふんっ。女は家で掃除でもしてろ。 くそ女がッ…こんな時間に金使って飲み歩きやがって。身分をわきまえろ!」
「なんですって? あんたこそ何様よ!ただの酔っ払いが!」
「あーあぁー。気分悪いね。 男が必死こいて世の中のために働いてるってのに。 酒飲むときくらい静かにしてくれよ!」
プツンと何かが切れたように、ノルムは弓を掴んで椅子を勢いよく離れた。
それを見て、フォルンが慌てて立ち上がり、必死に腕を広げて制止しようとする。
「静かにすべきなのは、お客様のほうです。」
シュウが静かにカウンターを出て、ノルムと男の視線の間に滑り込むように立ちふさがった。
男の挑発を断ち切るように、まっすぐその目を見据えたまま、シュウは手に持っていた伝票を素早く突き付けた。
「すみませんが、お帰りください。」
その声には、不思議と静かな力が宿っていた。怒鳴り声でも威圧でもなく、譲らぬ意志そのもの。男は一瞬、目を見開いてシュウの真剣な表情にたじろぐ。
「あ? なんで俺が…?」
「お帰りください。」
「おかしいだろうがよ?悪いのはあいつだろ!」
「いえ。ここで騒ぎを起こしたのは、お客様です。警備隊を呼びましょうか?」
短い一言が鋭く刺さる。男の顔が怯んで、低く舌打ちを漏らした。
「二度と来るか、こんな店!」
手元の金を乱暴にカウンターへ叩きつけ、男は肩を揺らしながら店を出ていった。
扉が閉まる音だけが、遅れて響いた。
「はぁ…。」
フォルンは糸が切れたように、椅子へと崩れ落ちた。ピトも胸に手を当ててほっと息をつき、シュウもようやく肩の力を抜く。
「なんなのよ、あいつ!!」
ノルムは拳を震わせたまま、まだ怒りの火を消せずにいる。
「…あれで済んで、ほんとによかったよ。ノルムったら、本気で喧嘩し始めるんだもん。」
フォルンが苦笑するように言った。
「だって、ありえないでしょ!」
ノルムは耳まで赤くしていた。
「ちょっと怖かったよ。」
ピトはノルムの髪の毛から出てきて、おずおずと口を開いた。
「…ご、ごめん。」
「いや、こちらこそ。嫌な思いをさせて悪かった。」
「マスターが謝ることないよ。」
ノルムが顔を上げる。
シュウはゆっくりと首を振った。
「いや……。ああいう客は、もっと早くに入店を断るべきだった。」
不安げな目で心配そうに自分を見つめるピトを見て、ノルムは少し気まずそうに視線を逸らした。そのまま、力の抜けた動きで椅子に腰を下ろす。すっかり元気をなくした横顔に、フォルンはふっと笑みを向ける。
「ノルム、言い返してくれて、ありがとう。」
その言葉にノルムはぱっと顔を上げ、みるみるうちに表情が明るくなった。
「ふふん。当然よ!」
どこか照れを隠すように胸を張る。その様子に、フォルンは苦笑しながら肩をすくめた。
「でもさ、」
シュウが静かに言葉を添える。
「みんな、すごく心配したんだ。だから、もう店で喧嘩なんてやめてくれよ。」
ノルムは一瞬だけ唇を尖らせたが、少し顎を引くようにして頷いた。
「…うん。ごめんなさい。」
その声は小さく、けれどしっかりと三人に届いた。




