5-4 宵越の昔話
夜も深まる店内は、ザクレトの昔話で不思議な空気に満ちていた。灯りに照らされたカウンターの木目が柔らかく光を反射し、バックバーに並ぶボトルが、まるで小さな星のように輝いている。
ザクレトはグラスを傾けながら、遠い記憶に静かに思いを巡らせていた。
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エラルドと3回目に再会したのは、彼が年を取ってからだ。
一日のうち、床に臥せる時間が長くなった彼を目の前に、ザクレトは最後の別れを告げられた。
「ザクレトよ。そこの棚の中にあるものを、お前に渡したい。」
ザクレトは指示された通りの棚を開けると、中には、一つのボトルが入っていた。
森の木々の深い時間が染み込んだような琥珀色の液体が入ったボトルのラベルには、”ストラスアイラ”と書かれていた。
「…俺はもともと、この世界の住人ではない。」
ザクレトは、床に臥せたまま話し始めたエラルドをじっと見つめた。
「家族も築き、この世界で生きてきた。それでも、前の世界のことを思い出さぬことはなかった。戻るすべも探し尽くした。だが、この世界で生きると決め、数々のつらく悲しい日々を乗り越えて、ここまできた。」
ボトルを持ったまま、ザクレトはその場に立ち尽くす。
「それは前にいた世界からの手土産だ。ウイスキーという名の酒だ。」
「酒?」
「酒というのは、人々を繋ぐ魔法のような力を持つ品物だ。」
聞けば、エラルドが前にいた世界では、酒は共通の名前を持ち、どの国、どの土地に行っても通じる共通の言語であり、飲み物だという。時に仲のよい者同士の絆を強め、時に敵対していた者同士をも繋ぎ直す力を持つもののようだ。
ザクレトには、そんなことができるような代物には到底見えなかった。
エラルドはゆっくりと体を起こし、グラスを二つ取ってくるようにザクレトに伝えた。
「家族の盃を交わそう。これで俺も最後になる。」
ボトルの中身を二つのグラスに注ぎ入れ、エラルドとザクレトは、グラスをカチンとぶつけて中の液体を飲んだ。
「これでお前とは、家族だな。」
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ザクレトは、グラスの中でゆらめく琥珀色の液体を見つめる。淡く光を反射するその酒に、かつての記憶を重ねる。そして、シュウの方を見上げて言葉を紡いだ。
「ワシは、人間達と手を取り合う未来を夢見ているわけではない。…ただ――。」
――カランカラン。
突然にドアのベルが鳴り、新しいお客が顔をのぞかせた。
「まだやっているか?」
シュウはふと時計を見る。深夜1時を過ぎていた。閉店30分前。
「はい、どうぞ。」
シュウが男性客を座席に案内すると同時に、ザクレトは席を立った。
「ワシは失礼しよう。」
「帰るのか?」
「ああ、また時間がある時にゆっくり話そう。」
そういってザクレトは代金を置いて、そそくさと店を後にした。
昔話の余韻が覚めないまま、最後にザクレトが何を言おうとしたのか気になりながらも、この日最後の接客にあたる。
最後に来たお客さんが帰った後、シュウは店を閉め、帰路に着く。
ザクレトとエラルドの話を聞いて想いにふけるシュウ。
ザクレトがお酒を飲みに来る理由は、はっきりしなかったが、何となく感じ取ることはできた気がする。
それにしても、過去に自分と同じ境遇の人間が、この世界にいた。
もしかしたら今この瞬間にも、他にもいるのかもしれない。
前いた世界に未練がないと言えば、嘘になる。
やり残してきたことも確かにある。
でもこの世界で自分の店を持ち、信頼のおける仲間も増え、それなりに充実した生活を送っている。考えてみれば、こっちの世界に来てからすぐ、確かに帰る方法を探していた。目に映る現実に向き合いながら、必死に生きる方法を探して奮闘するうちに、帰る術を探すことも忘れてしまっていた。
――戻る方法があるのか?
――いや、そもそも戻りたいのか?今となっては。
前にいた世界でも、同じようなことをずっと考えていた気がする。
自分はどうしたいのか。自分の存在価値を探して続けているような、暗闇の中の感覚。
悩めば悩むほど、頭にもやがかかっていくようだった。仕事に疲れて、眠気が出ているせいかもしれない。今日もそれなりに、忙しい日だった。
考えるのをやめよう。今すぐにはっきりした答えが出るわけもない。
シュウは、明日の仕事に備えて寝ることにした。




