4-4 バーカラビナへようこそ
夜もすっかり更け、店内には賑やかな宴の余韻だけが静かに漂っていた。
ろうそくの炎がゆらめき、グラスの残響が穏やかに夜を包み込んでいる。
さっきまでの笑い声が、まるで夢のように淡く遠ざかっていた。
「…っ……ここは……。」
「カラビナだ。ようやくお目覚めか。」
サルマは呆れ顔を見せる。
「気を失っていた……。のか?」
レオンは身体を起こし低くつぶやく。
「飲みすぎたんじゃないか?」
カウンターのスツールに座りながら、レオンを見下ろすサルマ。
「…いや、飲みすぎたぐらいでは……。んん……。 ? 皆は?」
「とっくに帰ったぞ。もうパーティもお開きしたしな。レオンが目を覚ますのを待ってたんだ。」
ソファ席のテーブルを見ると、ピトが気持ちよさそうに毛布の中で眠りこけている。
それを横目にボーっとしている頭を手で支えながら、サルマに顔を向ける。
「…ありがとう。すまなかった。」
「俺は別に。シュウなら今ごみ捨て中だ。店も閉める時間だっていうから、帰ろうぜ。」
カラン――。
ごみ捨てを終えたシュウが店に戻ってきた。
「おぉ、レオン。起きたか。 大丈夫か?」
レオンは、やたらと重く感じる身体を起こし、カウンターの方へと立ち上がる。
「ああ、すまない。マスターにも迷惑をかけたな。…お?」
カウンターの上に、何やらキラキラと光る黄金色の液体のかかったピーナッツが、お皿に盛りつけてあった。
「これは、なんだ?」
「ああ、レオンが寝てる間にみんなに出したんだ。ピーナッツのハチミツ漬けだよ。」
カウンターに入り、洗い物に取り掛かろうとするシュウ。
「はちみつ…?」
「知らないか?蜂が巣に集める蜜だよ。ノルムがプレゼントに持ってきてくれたんだ。」
「おお!」
興味津々にお皿に顔を寄せるレオン。
「食べていいか?」
「? ああ、いいぞ。」
「起きてすぐ食い意地張るなよ。」
にやり顔でレオンを見るサルマ。
レオンは、好奇心のそそられるままに、ドロッとした金色のピーナッツを指先でつまんで、指ごと口の中に入れた。
「!!!!!!!」
次の瞬間――まるで石造でも倒したかのように、彼の身体が膠着したままバタンと、椅子とテーブルを巻き込んで床へ倒れ込んだ。
ガシャン―!!!
すごい音がして、シュウは手元のシンクから思わず顔を上げる。
サルマが驚いてレオンに駆け寄る。
「おい!?大丈夫か?」
「…ん…。うるさいわね。」
ピトも大きな音に目を覚ます。
シュウも急いでグラスを置いて近づくと、そこには完全にのびてるレオンの姿があった。
サルマに頬をたたかれても、うんともすんとも言わない。
「…レオン様? どうされたんですか?」
「突然倒れたみたいだ。」
「一体なんだってんだ? レオンはそんなにお酒が弱いのか?」
声をかけ続けるサルマの隣で、シュウは黙り込んで、ピーナッツのハチミツ漬けを見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
暗闇。
そこは記憶の底だった。
かすかに炎の光。
星の音。
風の味。
どこか懐かしい青年の影だけがうっすらと浮かび上がる。
「ザクレト」
焚火でパチパチと木が爆ぜる音が耳に残っている。
「ザクレト」
突然とはっきりした声で、話しかけられた。
「!!!」
その声に、ふと顔を上げると、目の前にはその時助けた青年がこちらを見ていた。
青年の顔は、焚火に照らされて、赤々しく火照っている。
彼の名を口にすると懐かしさが蘇る。
「……エラルド…?」
(これは、夢か?)
エラルドは穏やかに口角を上げた。
「俺の話、聞いてたか?」
「……いや…。」
「いいか、ザクレト。もう一度言うぞ。魔族はもともと人間だったんだよ。俺たちと同じ、人間さ。」
昔、確かにこんな話をした。なぜ今、思い出したのかは分からない。
「……何?」
懐疑的な表情を、エラルドに向ける。昔と同じように。
「そこで見た資料には、魔素の強い地に生まれ育ち、魔素を糧に魔法を操るようになった人間が、魔族と呼ばれた、って書いてあったんだ。」
「馬鹿な。聞いたこともない。」
「それが境界を出てわかった真実さ。俺たちの生まれるずっと昔では、同じ人間だったんだよ。何も違わないんだ。」
ザクレトは言葉を失った。
魔族と人間では、姿かたちまでまるで違う。同じ種だったはずがない。
「境界を出て得た真実は、互いを忌み嫌い、殺しあう。争いが絶えることはないことだろう。」
エラルドの目は深く澄んでいた。
落ち着いた様子で、黙って焚火をつつくエラルド。
ザクレトも、目の前の火を見つめていた。
「俺はな、ザクレト。」
エラルドは、しばらくの沈黙を破り、静かに話し始める。
「人類と魔族が本当の意味で手を取り合える時、この世界は変わると思う。誰もが信じることができなかったような、この世界だけの唯一の未来を。」
ザクレトには、まったく理解ができなかった。むしろ、心の奥底では、彼のことをあざ笑っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
シュウは、空気が揺れたように感じ、突っ伏していたカウンターからゆっくりと顔を上げた。
レオンが再度倒れてから、眠ってしまっていた。結局、店内で夜を明かしてしまったのかもしれない。
「――っ!」
レオンを寝かしていたソファの方へ顔を向けると、異形の姿をした化け物がそこに立っていた。
一気に体中の筋肉が強張り、思わずスツールから立ち上がる。
まっすぐにこちらを見てくる”魔王”の姿に、シュウは声を発することができなかった。
その肉体は人間の背丈の二回りも膨れ上がり、衣服が軋みを上げ、ところどころ破けている。
赤黒い肌、鋭い牙、そして縦に細く裂けた赤の瞳。
そこに立っていたのは、バーに通っていた人間の姿ではなかった。
そばにいたピトも目を覚まし、驚いた様子で、声を絞り出した。
「……ザクレト様……っ。」
ピトの声を聴いて、シュウはようやく言葉を発せられるようになった。
「……お前が、ザクレト……?」
「ザクレト様、お姿が……。」
突っ立ったままの魔王が、ゆっくりと動き始め、左の手のひらをまじまじと見た。
すると突然に、まるで目を覚ましたかのように、いつもの調子でしゃべり始めた。
「!! ん? んん?! あれ、ワシ? 変身、解けてる?」
無言のまま、シュウとピトがうなずく。
「……なぜだ。なぜ変身が解けた……?」
ザクレトは体中をあちこち触ったかと思うと、自らの両の手のひらをまた見た。
「と、とにかく、人間の姿に戻れ。その恰好じゃ外になんかまず出られないぞ。」
店のドアは閉めてあった。店内には今、シュウとピト、ザクレトの3人だけ。
ザクレトが倒れた後、店に一緒に残すのも気が引けたため、サルマは先に家に帰していた。結果、それは正解だった。まさか魔王の姿に戻って目覚めるとは。
「……変身できない。」
「え?」
冷や汗をかくように取り乱し始めた様子の魔王。
「うまく、魔力が練れない。指先も痺れているみたいだ。」
「変身できないんですか?」
なんだか力が入っているのか、魔王は拳をおもむろに握りしめている。
「……そうみたいだ。」
「なんで、突然……。」
ピトも困った様子を浮かべている。どうやら誰にも分からないことが起きているようだ。
シュウは周囲を見渡し、テーブルの上のピーナッツのハチミツ漬けに気づく。
「おい……もしかして原因はハチミツじゃないのか?」
シュウの方を見つめ、黙りこくってしまう2人。
「ピーナッツは、普通に食べてても問題なかっただろう?これを口にしたら、こんなことになった。」
カウンターの上のハチミツがかかったピーナッツが、静かに注目を浴びる。
「……ハチミツを口にすると、変身が解ける……?」
ザクレトが静かにそう呟くと、シュウはハッとする。
「ラスティ・ネイル…っ。…ドランブイには、ハチミツが入っている。」
「!!?」
どうやら魔族にハチミツは毒らしい。
ドランブイを口にするだけで1~2時間気絶し、生のハチミツを、それも指先に絡まる程度の量を口にしただけで、魔法が解けて痺れているとまで言っていた。
(そんなもの大量に口にしたら、どうなるんだ?)
「二人の住んでる世界には、ハチミツはないのか?」
ピトは首を振って答えた。
「見たこともありません。」
「…甘くておいしいのだがな…。」
「味は分かるのか!?」
(いや、今はそんなこと、どうでもいい。)
「とにかく、ハチミツは二度と口にするな。ラスティ・ネイルも禁止!」
「…ええぇ。」
泣きそうな顔をする魔王に、シュウは気味が悪くなった。
「その姿でそんな顔するな!」
「仕方なかろう!なぜか変身できないのだから!」
そういうと、突然に見慣れたレオンの姿に戻った。
「!! おお!戻ったぞ!魔力が練れる。」
シュウは、人間の姿に戻ったの目にしたことで、少し安心した。
「安心しましたわ。もう二度と魔法が使えなくなったのかと。」
ピトも、ひとまず安堵の表情を浮かべている。
――蜂蜜。
それは魔族にとって、致命的な弱点になるのは間違いなさそうだ。
このことは、ここだけの秘密にしておこう、とシュウは静かに心に決めた。
「そういえば、ゾーが触れても、雷が出なかったな。」
「ああ、別の反射魔法をかけるようにしたからな。ワシも日々鍛錬しているのだぞ。」
得意げに話すレオンに、無反応を決め込むシュウ。
「なんでザクレトの正体がバレるのを、俺が心配しなきゃいけないんだ。初めて来たときのビンテージボトル代も合わせて、迷惑料を支払ってもらおうかな!」
「ええぇぇ。」
また泣きそうな顔で困った様子を見せる、どこか気の抜けた魔王に、シュウはなぜか安堵してしまった。
「ほら、もう帰るぞ。太陽もすっかり上り切ったからな。」
「ま、待て。何か、着るものを貸してくれないか?」
あまりの出来事の多さに疲れ果てていたシュウは、人の姿に戻ったザクレトの、ボロボロにみすぼらしい姿を見ても、ただその場で立ち尽くすしかなかった。




