4-1 バーカラビナへようこそ
「ここが魔術師がいるって噂の酒場か?」
太い腕でお店の玄関を押し開けたのは、鍛冶師の親方ゴロだった。
逞しい肩に削り粉の匂いがまとわりつき、まだ火床の熱が残っているような男である。
カウンターの内側でグラスを磨いていたシュウが、顔を上げる。
「いらっしゃい! あ、来てくれたんだな!」
シュウは思わず笑みを浮かべる。
「こんばんわ!」
続いて親方の後ろから顔を出したのは、弟子のフォルンだった。女性の鍛冶師見習いで、澄んだ瞳と淡い金髪が印象的だ。
「フォルンも来てくれたのか!」
再会を喜ぶ声に、フォルンは肩をすくめて笑う。
「頼まれていたものを持ってきたよ。」
席に着いた二人が差し出したのは、銀色の輝きを放つカクテルシェイカーだった。三つの部品から成る、スリーピースシェイカー。
これまでシュウは、少し大きめのタンブラーを二つ組み合わせてボストンシェイカーの代わりにしていた。
だが、ようやく{使い慣れていた道具}がこの異世界で彼の手に渡ったのだ。
「間に合って良かったですね。」
フォルンがゴロの方へ視線をやり、耳打ちする。鍛冶師の親方は無骨に腕を組み、頷いた。
「まぁ、なんだ。仕事がひと段落ついたしな。遊びに来たんだ。……それに、お前さんの喜ぶ顔が直接見られるなら悪くない。」
シュウは胸が熱くなるのを感じた。異世界に来てから、こうして支えてくれる仲間ができたことは最高の喜びだった。
「じゃあ、早速使わせてもらおうかな。」
シュウは二人の前で新しいシェイカーを手に取ってみせた。
バックバーから取り出したボトルは、フォアローゼズ・ブラック。
グラスに氷を入れて十分に冷やしておく。シェイカーに、琥珀色のフォアローゼズ・ブラック、レモンジュースにライムジュース、そしてグレナデンシロップを入れる。氷を2~3個入れて、シェイカーのふたを閉めて、両手でリズムを刻むように前後に振った。
金属の中で氷と液体が踊り、鈴のような音色が店内に響いていく。ゴロは満足そうな顔をして、その様子をじっと見ていた。
冷やしておいたグラスにシェイカーの中身を注ぎ入れ、炭酸水でグラスの縁までビルドアップさせる。氷を持ち上げるようにして軽く混ぜたら、グラスの淵にレモンを飾り、二人の前に静かに差し出した。
「お待たせしました。カリフォルニア・レモネードです。」
――カリフォルニア・レモネード。
注がれたグラスの中で、鮮やかな紅色と柑橘の香りが立ちのぼる。
二人は眼の前に出されたグラスをまじまじと見ると、ゴロが豪快に口をつけた。
「ほぅ……これが魔術師と呼ばれる所以か。飲んだことのない飲み物だ。美味い!」
フォルンは目を細め、香りを堪能してから一口含んだ。
「爽やかで……酸味と甘みが楽しい。すごくおいしいね!」
彼らの言葉を聞きながら、シュウはフォアローゼズ・ブラックの瓶をカウンターの上に置いた。
「このお酒は、感謝って意味を持ってる。いい仕事をしてくれた二人に、感謝を込めて作りました。」
満たされた笑顔を見せる親方を、弟子はちらちらと横目で嬉しそうに見ていた。
ゴロは、目の前に置かれたバーボンの瓶を見て言った。
「このガラス瓶も、実に精巧な作りだな。一体どんな職人が作ったんだ?」
それを聞いて、シュウはフォアローゼズブラックをじっと見つめる。
「実は、これ。今日手に入ったお酒でね。」
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頭に浮かんだのは、昼間の市場での出来事だった。
シュウは久しく見なかった人物の背を見つけた。
茶色の外套に身を包んだ小柄な商人――この異世界で最も不可思議な存在、茶色の商人だ。
「探しましたよ。」
思わず声をかけた。顔のよく見えないその商人は振り返り、外套の影からにやりと笑った。
「商人ってのは神出鬼没さね。欲しい時に欲しい人へ商品を届ける……それが冥利ってもんだ。」
そして彼は、ひとつの瓶を差し出した。
フォアローゼズ・ブラック。懐かしいラベルが、この異世界の光の下でも確かに輝いていた。
「そんなことより、あなた… !!」
シュウは顔を上げると、茶色の商人の姿はすでにそこに無かった。まるで蜃気楼のようにあっという間に消えてしまっていた。
手に渡された瓶には小さなメモが貼られている。
〈お代はきっちりいただいたよ。またごひいきに〉
驚いて少し冷や汗をかき、懐を探ると、財布の中の硬貨はきっちり計算されて減っている。釣り銭まで正確に。
市場の真ん中で呆然と立ち尽くしてしまうシュウ。
――彼はいったい何者なのか。
この世界に来て以来、最大の謎が彼だ。
なぜ自分の元いた世界のお酒を届けるのか。
彼もまた、別の世界から来た者なのか。あるいは行き来する術を持っているのか。
もしそうなら――自分も。
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「……どうした、難しい顔して。」
ゴロの声に、シュウは我に返った。
「いや……ちょっと、な。」
ごまかすように答えると、鍛冶師は豪快に笑った。
「お前はいつも考えすぎだ。だが、それがこの酒の深みを生み出してるんだろうな。」
ゴロは分厚い手でグラスを掲げる。その言葉に、シュウは胸のもやが少し晴れたような気がした。
今の自分にとってこのバーと訪れてくれる仲間たちがどれほど大切なのか、十分に理解していた。
もし帰れる手段があったとして、それを見つけたとして、自分は本当に帰りたいのか――。
答えの出ない問いを胸に抱えながら、シュウはまたシェイカーを手に取った。
音が再び店内に響き、客たちの視線が集まる。
その光景こそが、今の彼にとって最も確かな現実だった。




